第一章 十話

やっと場が和みいつもの雰囲気になってきた。


 ミラーは照れた笑みを残したまま、前から疑問に思っていた事をポムに訊ねた。

「ところでポムお爺様、ミルトのあの力〈精霊の使役〉の事ですが、どういったご指導で発現までに至ったのでしょう?あまり考えられる事ではないものですから……」


 ポムは軽く首を横に振る。

「いや、儂は特別何もしてはおらんよ。はて、初めの頃はどうじゃったかのう。あれはどれ位前になるか。何だかいつの間にか出来る様になったようじゃな。そうじゃろ?ミルト」


 ミルトはポムに問われてはたと思い悩んだ。思い返してみても明確な始まりというものが思い出せなかったからだ。


 う~んと……どうだったかな?だいぶ前の事であんまり覚えてないや。いつの間にか風を肌で感じた時に、とつぜん風が持つその力も同時に感じ始めたんだっけ。そうしたら風の精霊の存在が見えるようになって、あとは声みたいのも聞こえるようになって、次第に精霊達が呼び掛けにも応えてくれるようになってきて、その内に精霊にお願いする事すらも出来る様になったんだよなあ……。


 ミルトは自信なさげに答えた。

「うん……、良く分からないけど、ほんといつの間にか自然に出来る様になったんだ。だからやり方を説明しろって言われてもぜんぜん出来ないんだよ」ミルトは情けない声を出した。


 しかしミラーは逆に弾む様な声でミルトに話しかけてきた。

「ううん、それって逆にとても凄い事だと思うわ!誰からも学ばずに自分の力だけで出来る様になるなんて。故郷の賢樹様の教えの中にそう言った事を説明する一節があるの。『本物の才というものは理論を理解するのではなく、理論を超越して真理を直観してしまうものだ』って」


 ポムはふむと頷き少年達もなるほどと感心した目をミルトに向けた。


「直観ですか…、なんか難しいですけど、だからミルトはポム爺さんの話を聞いただけで火まで扱えるようになったのですかね?」キルチェが思いついた様に言った。


「えっ……、ミルトは風だけではなく火まで扱えるの?」ミラーは驚きキルチェを見つめた。


 すると今度はトーマが身を乗り出して言った。

「そうだぜ!ミルトはポム爺さんの話を少し聞いただけなのに、すぐにその場でやってのけたんだぜ」


 何故か少年達二人とも自分の事の様に得意気に胸を張っていたが、当の本人のミルトはミラーに尊敬の眼差しで見つめられ小さくなっていた。


「すごい……」ミラーは信じられないといった気持ちも秘めながらミルトを見ていたが、ふと疑問を思いついてポムに訊ねた。

「ポムお爺様、そう言えばそれってどんなお話だったのですか?」


「うむ?そんな大したお話ではない。そうじゃな例えるなら『四元素の精霊の存在』の基本じゃよ」

 ポムはそう答えた後、少し考え込みながら言った。

「しかし、そう考えるとあの簡単な話でなあ…。正確に調べた訳ではないがミルトの基本属性領域は普通の〈風寄りの風火〉だと思っておったのじゃがな。もしかしたら火の方も強いのかもしれんのう……。分布でいうと正等割付近の領域の上の方かの?」


 ポムはミルトから目を外すと、今度は行儀良く話を聞いているミラーの方に視線を移し、全てを見透かす様な不思議な瞳で見つめた。

「ふむ、そなたは水か。……しかしその元素の力が強すぎてどちらかよりかは分からぬのう」


 ミラーはそれを聞くと何故か急に姿勢を正して答えた。

「はい。故郷の賢樹様が慎重に調べて下さいました。どうやら私は水の属性しか持っていないようなのです」


 ミルトはミラーのその口調から何故か厳粛な雰囲気を感じ、昔一度だけ行った神殿の張り詰めた様な空気を思い出していた。


 ポムは驚きに目を見開き、珍しく身まで乗り出した。

「ほうっ!なんとなんと……。それでは水の〈純統一属性〉という事か……!ふ~む……」


 ポムは目を見開いたままミラーを見つめている。その目には驚きと興味と少しばかりの畏怖の念も混ざっているようだ。 


 トーマが固まっているポムの腕をつんつんとつつき意識を逸らした。


「ねえねえ、それってなんなの?」他の少年達も同じ意見だったようだ。


 ポムは気持ちを落ち着かせようと冷めたお茶をがぶりと飲んでから答えた。

「ふむ……。そうじゃな、簡単に言うのならミラーの持つ属性というものが極めて珍しいという事じゃ。よいか、全ての生き物は属性というものを持っている。それは生まれ持った資質のようなもので変えようがない。そしてその基本は地水火風の四元素の隣り合う二つなのじゃ。またそれは特に法則性がある訳でもない。人だから『地と水』だとか鳥だから『風と火』だとかな。基本的に無秩序に選択されるものじゃ。またそれぞれのその属性の微妙な強弱の違いもあり全く同じ属性値を持つものはいないとされているのじゃ」


 ポムは一度言葉を切り少し思考を巡らしてから話を続けた。


「しかし、純粋に単一の属性だけを持つものもおるにはおる。それは四元素の精霊や、その力を持つ一部の妖精達じゃな。生き物……ましてや人間がそのような属性を持つ事は非常に稀なのじゃよ。そのような単一の属性の事を〈純統一属性〉と呼ぶのじゃ。因みに属性の話でいうと、これほどではないが他にも特別な属性領域がある。それは〈正等割属性〉というのじゃが、これは自身が持っている属性二つが丁度等しくなっている状態のことじゃ。これもまた稀なのじゃよ、ほとんどがどちらか寄りに傾いているはずなのだからの」


 ポムは思いだしたように話を続けた。


「先程話した龍脈読みの事を覚えているかな?龍脈読みになるには勉強や修行だけではどうにもならない特質的な才能が必要になると言ったがそれなのじゃ。龍脈読みになるには火と地の正等割属性が必須なのじゃよ。『地脈』を司るといわれる属性がな」


 ポムは話し終えると煙管に火を点け思索に耽った。目を閉じ瞑想している様にも見える。


 ミルト達はポムの邪魔にならないように小さい声で話し始めた。


「なんか、ポム爺さん難しい事言ってたけど分かったか?」とトーマ。


 横に座っていたキルチェがそれに答えた。

「う~ん……、何となくだけど。とにかくミラーはすごい特別な女の子なんだね」


 ミラーはその言葉を耳にして哀しそうに顔を伏せた。何となく肩を落としていてはたから見ても落ち込んでいるのが分かる。


 ミルトはミラーのその姿を見て胸が苦しくなった。しかしなんて言って励ましてよいのか分からない。ミルトは彼女を落ち込ませた張本人のキルチェを意志の込めた瞳で見て、ミラーの方をちらちら目で示した。


 キルチェはミルトの視線で、自分の言った事でミラーを落ち込ませてしまったと気づき慌てて言葉を付け足した。

「ま、まあミラーがいくら特別でも僕らはもう友達だからね。ミラーには残念かもしれないけど僕らはそんな特別扱いはしないよ」


「そうそう、俺たちはミルトやポム爺さんで慣れているからな。あの二人に比べればミラーなんてどこにでもいるただの普通の女の子だぜ」トーマもミラーを励ます様に言った。


 ミラーはついくすりと笑ってしまった。大賢樹と自分を比べるというトーマらしい考えが新鮮だったのだ。ミラーは顔をあげそっと隣をうかがうと、ミルトもこちらを向き笑顔で彼女を受け止めてくれていた。


 ミルト達を見回してミラーは思い返していた。


 物心ついてから一度も心から打ち解けられる友達を作る事が出来なかった事を。父親の秘密の職業や自身の稀な属性、父親の事は誰にも話す訳にはいかない、そして自身の特別な属性を知った者は誰一人として親しく話しかけてはくる事はなかった。


 いつしか彼女は自らの心に垣根を作りあまり他人と親しく交わらない様に心がけるようになってしまっていた。表面上の友達はつくることは出来たが、何でも安心して話せるような友達は今まで全くいなかった。


 しかし今、仲間から優しい目で見つめられて、ミラーは次第に心の中が暖かくなってきたのを感じていた。


 今ここにずっと胸の内に秘めてきた事を全てさらけ出すことができて、それをきちんと受け止めてくれた仲間がいる。真の意味での友達が出来たのだ。


 この街に来てからもずっとそんな友達は作れないだろうと思っていた。しかし、街角や橋の上で何度も出逢った赤い風を纏った不思議な少年を見て、ふと感じた。もしかしたらあの男の子なら私の全てを受け止めてくれるのではないかと。淡い期待を胸に頑張って友人に紹介して貰うと、その予感は想像以上だった。彼は特別な力を内に秘めているのにとても素直で優しい少年だった。そしてその周囲には、偉大な大賢樹のポムや、そんな特別な二人を普通の先生や友達のように接しているトーマとキルチェがいた。


 ミラーは自分もその輪の中に入れたんだと思うと自然と涙が溢れてきた。


 ミラーは笑みを浮かべて皆を見回し涙声で言った。

「……ありがとう、みんな。……これからもよろしくね」


 少年達はもちろんと力強く頷いてみせた。


  ポムはミラーの小さく鼻をすする音でふと思索をやめてミラーを見た。するとミラーの頬に涙がつたっているのを見てぎょっとなった。


「むむっ。ミラーは何で泣いておるのじゃ?お前達女の子を泣かせたらいかんぞ!」

 何も知らないポムは怖い顔で少年達をたしなめた。


 少年達はポムを見つめて少しの間ぽかんとしていたが、次第に可笑しくなり笑い出した。


 ポムは何が可笑しいのか分からず憮然としていたが、ミラーまでくすくす笑っているので、自分が変な事を言ったのだと悟った。


 しかしポムの顔は皆の笑い声が完全に収まるまでその表情を崩す事はなかった。




「それでは、失礼します。ポムお爺様」

 ミラーは玄関先で頭を下げ丁寧に挨拶をした。少年達はすでに我先にと階段を駆け下りている。


「うむ、また来なさい。待っておるぞ」

 ポムはそう言って皆を送り出したがもう一度ミラーだけを手招きをして呼び戻した。


「今度はミルトの母親に会うのであろう。そなたなら大丈夫じゃよ、必ず気に入って貰えるじゃろうて」ポムはほっほと笑い片目をつむってみせた。


 ミラーは恥ずかしそうな笑みを浮かべてこくりと頷き、改めて別れの挨拶をすると先に歩き出して待っている仲間のもとへ走り去っていった。


 ポムは子ども達が森の木々に隠れて見えなくなるまで見送ると、煙管に火を点け赤く染まり始めた空を眺めた。


 ミラーか……。あのたぐいまれで特殊な属性を持つ者は善いにしろ悪いにしろ時代が動く時に現れると言われているが……。それにあの子の父親の龍脈読みがこの街にわざわざ呼ばれて来たというのも何か気になるのう。


 ポムは煙を深く吸い込み宙にはき出した。宙に浮かんだ白い煙は揺らぎながら消えていった。


 ポムはそれをぼんやりと眺めて呟いた。

「儂の考え過ぎなら良いのだがの……」




 ポムの家からの帰りのいつもの別れ道に差しかかり、ミルト達とトーマ達はそこで別れた。


 いつもは一人で寂しく帰るこの道が、ミルトには今日はまったく違って見えるようだった。


 夕暮れに赤く染まった石畳の道の真ん中を、ミルトとミラーは大きな影を後ろに伸ばしながら並んでゆっくりと歩いていた。


 二人の会話は少なく途切れがちだが気まずい雰囲気ではなかった。


 二人の間を通り抜ける今日の夕風はとても穏やかで、軽く頬を撫で髪を揺らす程度なので気持ちが良い。そして風が吹き抜けるたびミラーの香りがふわりと舞ってミルトに届くので、ミルトはそのたびに心が躍り何か夢見心地な気持ちで歩いていた。


 ミラーは手を後ろで組み、夕暮れの道の景色を楽しみながらのんびりと歩いている。


 楽しい時間は過ぎるのが早い。


 もうすでに今日待ち合わせた橋のところまで来てしまっていた。ここからの帰り道は別々になってしまう。


 ミラーは橋の半ばで立ち止まると橋の欄干にもたれかかりミルトに話しかけた。

「ねえ、ミルト。もう少しお話しない?」


 ミルトは自分も思っていた事だったのですぐに承諾した。

「うん、いいよ」


 お互い笑みがこぼれた。ミルトはミラーの隣に来ると橋の手摺りに飛び上がり腰掛けた。 


 ミラーはくすりと笑って言った。

「えっと、じゃあね、ミルトは大きくなったらなりたいものってある?」


 ミラーはミルトの顔を覗き込んだ。


 ミルトはミラーに近づかれ、少しうろたえながら答えた。「えっ、そうだね……。あんまり考えた事はないかな」


「ふ~ん、そっか。私はあるんだ」ミラーは遠くの方に目を向けた。

「それは治療士さん。私の属性って水でしょう?水は『生命』を司っているから最も適しているんですって。それにやりがいもありそうだし。でも勉強や修行はかなり大変みたいなんだけどね」


「へえ、ミラーはもう将来の事とか考えてるんだね。僕はまったく思いつかないよ」

 ミルトは降参の仕草をした。


 ミラーは口元に指をあて考えながら言う。

「ん~そうね。それなら将来どんな大人になりたいかを考えてみたらどうかしら?あとやってみたい事とか」


「そうだね……。外の世界にはかなり興味ある。色々冒険とかはしてみたい。ん~……、あとどんな大人になりたいかというと……。やっぱり、何かあったときにみんなを守れるような大人になりたいかな。お母さんやトーマやキルチェ、ポム爺さん……は別に大丈夫だと思うけど、あと知り合いの人みんな……、それにもちろんミラーも」

 ミルトは頑張って言い、照れくさいのを隠すために真上を向いている。


「うん、ありがとう…。ミルト」ミラーはとても嬉しそうだ。


 ミラーは思い浮かべる様な顔で言った。

「人を守るお仕事と言ったら、……お城の衛士さん?でもミルトには合わないかも。規律が厳しいし、派閥争いとかもあるみたいだし。じゃあ、護人さんとか。これは警備を主にしている民間の人達ね。街の門を守ったり街の治安の為に巡回したり、国を紡ぐ道で旅人を護衛したりもするわね。もっと自由な感じで狩人さんって言う職業もあるわね。街の外に出て危険な獣を狩ったり希少な植物を採取したり、あとは遺跡を調査する事もあるみたい」


 ミラーは横にいるミルトをじっと見つめた。

「でも、ミルトなら何にでもなれそうね」


 ミルトは腕を組み足をぶらつかせながら言う。

「ん~、そうだなあ。お城の衛士は嫌かな。あんまり良い感じの人知らないし。街の門番の護人さんには仲良い人いるよ。あの人達は楽しそうに仕事してるな……。あんな感じならなっても良いかな。あと狩人だっけ?狩人に知り合いはいないけど、外界を冒険出来るならそれもけっこう面白そうだね」


 ミルトはしばらく考えて、橋の手摺りから跳び降りるとミラーに向き直った。

「よし!僕の将来は護人か狩人にしよう。今度ポム爺さんに言ってみるよ」


 ミルトは剣を振るまねをしたり弓をつがえるまねをしたりしている。


 ミラーはそんな楽しそうにしているミルトを青い瞳でじっと見つめていたが、突然身を乗り出して言った。

「あのね、実は私、あの治療士さんより他にもっとなりたいものがあるんだ」    


 ミルトはまたふいに近づかれて少し動揺して言った。

「えっ、そうなの?何だろう……」


「聞きたい?」とミラー。


「うん」

 ミラーはミルトに背を向け数歩ばかり歩いてから言った。


「……それはね、お嫁さん。愛する人と一緒になれたらそれが一番幸せだもの」ミラーの声は小さかったがミルトにははっきりと聞こえた。



 ミルトはかなりどぎまぎしながら答る。「ふ、ふ~ん、そうなんだあ……」


 ミラーは背を向けたまま呟いていた。「それが、貴方なら良いのだけれど……」


 ミルトは意表をつかれ、たじろいだ。

「えっ」


「ううん、なんでもない!じゃあまたね、さようなら」

 ミラーは振り返って笑顔でそう言うと、髪をなびかせて走り去って行った。


「……」

 ミルトは夕暮れの橋の真ん中でしばらくの間一人でずっと佇む事になった。




 ミルトが自分の家に辿り着く頃にはすでに青い月が見え始めていた。家々の窓から明かりがこぼれ夕ご飯の良い匂いが辺りに漂っている。


 ミラーの去り際の一言で骨抜きにされたミルトを家で待ってたのは、少し冷めた夕御飯とマレスの心配そうな顔と彼女のお小言だった。


 ミルトはこれら全てを心あらずで済まして、諦めた顔のマレスの早く寝なさいの一言で早々に寝床に入った。


 ミルトは布団に横たわったまま、きらきらと瞬く星空の中でひときわ輝く青い月をずっと眺めていた。


 ミルトは今日もまた一歩大人の階段を登ったようだ。


 今まで将来の事とか結婚の事とか一度も考えたことがなかったが、ミラーに触発されて色々と考えさせられたのだった。自分のなりたいもの、将来の結婚相手、そしてその人との生活風景など考え出したらきりがない。


 そしてそれらの考えは全てミラーへと至り、全ての事柄をミラーと関連づけて考えているので何だか目が冴えてしょうがなかった。


 これでまたもやミルトの青い月を眺めての、なかなか寝付けない夜が何夜も続くのであった。

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