第一章 九話

日の光が差し込む暖かい雰囲気の居間の中央には、大きな一枚板の立派な食卓机があり、その周りには同じ様な木質の背もたれ付きの椅子が六脚、その卓を囲う様に並べられている。


 子ども達は自分たちには少し大きすぎるその椅子に腰を掛けて、ポムはお茶の用意をしに台所に入っていった。


 トーマとキルチェは二人でひそひそ話で楽しそうに笑っていて、ミラーは居間の中を瞳を輝かせながら見回し、隣に座ったミルトはそのミラーの様子をぼんやりと眺めていた。


 ミラーは興味津々といった眼差しで、ずっと部屋中の物を見つめている。


 向こう側の壁一面を埋め尽くす本棚やその中の書物、窓辺に置かれた鉢植えの花や、部屋を賑わす小物や置物など、何か変わった物を見つけるたびにころころと変わるそのミラーの楽しげな表情に、ミルトは目を離す事が出来なかった。


 ミラーは一通り部屋を眺め終わった後、こちらを見ているミルトに気がつき、声を抑えているが少し興奮気味に話しかけた。

「すごいわね、あの本の数……それに装丁も立派な物ばかり。あれだけの質と量の書物が揃っている所なんて滅多にないわ。学園の図書室くらいかしら……。それにあれを見て」


 ミラーは窓辺の鉢植えを指差した。その鉢には鈴なりの小さな白い花をつけた植物が植えられていた。

「あの花……。確か東方の山岳にだけ咲く希少種よ。伝承記の挿絵で見た事があるの。他にも色々な植物が植えられているけど見た事のない植物も多いわ。それにミルト、あれなんだけど……」


 ミラーは感動しているようだが、ミルトにはいつも見慣れている風景なので、なにがすごいのかよく分からなかった。しかしそういう風に心を躍らせているミラーを見ていると、ミルトも何だか楽しくなってくるのであった。


 そうしている内にポムが戻ってきて皆にお茶を配っていった。今日はいつもの無骨な湯飲みではなく、珍しく白い磁器の茶碗を使っている。


 ミラーはその艶やかな茶器を大事そうに受け取りお礼を言った。

「ありがとうございます。いただきます」


「うむ、口に合うかな?」ポムは目を細めて言う。


 ミラーは茶碗の中の鮮やかな紅色の液体を、感心を込めた瞳で眺めてから香りを楽しみながら一口飲んだ。すると花の様な芳醇な香りが一気に口に広がり、その味はほんのりと甘く後味もとても爽やかで、ミラーは初めて味わうこのお茶の風味に目を丸くした。

「わあ!とても美味しいです。これは何のお茶なのですか」


 ポムはにこやかに答えた。

「そうか、気に入ってくれたか。これはな龍鞭花という植物の花びらを煮詰めて精製したものじゃよ。なかなか美味かろう。これは儂が昔編み出したお茶でな。これを飲むと精神が落ち着くという特別な効果もある」


「えっ、ポムお爺様が考え出したのですか?すごい……」

 ポムはミラーから賞賛の瞳で見つめられ居心地悪そうに笑っていたが、少年達の面白がる様な視線を感じて、照れ隠しに一番手近にあったミルトの頭に手を置き髪を乱暴にかき混ぜてから、自分の席についた。


「さて、それでは一息ついたところで、先程のトーマの話の続きでも聞かせて貰おうかの」

 ポムが笑みを含んだ口調で言うと、トーマとキルチェも待ってましたと言わんばかりに身を乗り出してきた。ミルトは大げさに溜め息をつき椅子に沈み込み、ミラーは頬を赤く染めはにかみながら行儀良く座り直した。


 トーマ達の話はもう何度も口にしている言葉が多く、楽にすらすらと口から出ていき、ポムを大いに楽しませた。ポムは彼らの話にかすかな相づち打つだけで、あとはほっほと小さく笑い声をたて静かに耳を傾けていた。ミルトは諦め顔で彼らの話を聞き特に反論はしなかった。ただ明らかな誇張表現のところでは無言で首を横に振ってはいたが。




 トーマ達の話は早くマレス母さんにも会わせてやらないといけないという事で話を締めくくっていた。


 ポムは深く頷いてミルトを見た。

「そうじゃな。男女の関係は別としても、とにかく新しい友達が出来たのならきちんと紹介せねばな」 


 ミルトはたじろぎながらも返事をした。

「うん……、もちろん近い内に」


 ポムはその言葉を聞きよしよしと頷くと、今度は真面目な目つきになりミラーに話しかけた。 

「そういえばミラーよ。そなたはレドリードの街からやってきたと聞いたが」


「はい、そうです」とミラー。


「かの国からの道中はどうであった。やはり国を紡ぐ道に沿って大回りで来たのかの?」ポムは外界に興味があるらしく少し身を乗り出している。


 ミラーはかすかに首を横に振り否定した。

「いいえ、それではあまりにも時間がかかるとのことで、第五都市と第二都市を繋ぐ分断街道を通ってきました。」そう言うと、ミラーは哀しげな表情を見せた。


「む……、それでは結構つらい旅路であったろう。」ポムはミラーの心中を察し気の毒そうに言った。


 ミルトは外の世界にとても興味が出てきていたのでどういうことなのかをポムに質問した。


 ポムは簡単にかいつまんで教えてくれた。


 この大陸はファルメルト王国がほぼ全てを統治していて、この王国には大都市が十二存在するという事、それらは環状に配置されていてそれぞれが国を紡ぐ道によって繋がっているという事だった。そしてその国を紡ぐ道というのは設備的にも防備的にも魔道的にも整備され安全な街道なのだが、その道は特殊な地脈である龍脈というものに沿って作られているので、とても曲がりくねっており、その道に沿って都市間を移動するとかなり遠回りをさせられたりで、とても時間のかかる道でもあるという事だった。


「……とまあ簡単にいうとそんな所か。あとミラー達が通った分断街道というのは、その都市間の移動距離をかなり短縮する道なのじゃが、基本的に防備が整っていない道なので危険なのじゃ。しかも二の五線と言うのは、第二の都市と第五の都市を結ぶ道で、かなりの時間短縮が見込めるのじゃが、危険なトラジャナル湿原を通るからのう。青い月の上弦期と言えども、あまりお勧めは出来ない道なのじゃな」ポムは難しい顔をしている。


 ミラーは神妙に頷いた。

「はい。やはり大変な旅でした。王国の衛士隊から護衛兵をお借りして、賢樹様から護符を貰っての万全を期した旅でしたが、運悪くその分断街道の途中で魔獣と出くわしてしまい、それはなんとか追い払えたのですが、護衛の衛士が何人も怪我を負う事態になってしまいました……」ミラーの声はとても悲しげだ。


「ふむ、外の世界は相変わらずじゃな……」

 ポムは腕を組んで呟くとまた尋ねた。

「しかしミラーよ、王国の衛士隊から兵を借りられたという事は、そなたら家族は王国の指示によりこの街に来たという事じゃな」


 ミラーはこくんと頷いた。「はい。その通りです……」


 ミラーは少年達を見回すと少し言いづらそうだが言葉を続けた。

「実は、これは家の者以外に口外する事は禁じてられているのですが、……私の父は地脈測量士の龍脈読みなのです」ミラーは声を抑えて言った。


 ポムは珍しく目を見開き驚きを表していた。

「ほうっ。そうか、なるほど。……それで納得がいったわい。最近ではその職についている者はとんと見かけなくなったがのう」 


 ミルト達はまったく話についていけなかったのでポムに質問してきた。


「ねえ、そのミラーの父さんの仕事の地脈……なんたらっていったい何なの?」とミルト。


「ふむ、地脈測量士の龍脈読みというのはこの王国にとって大変な歴史のある重要な職の一つでな、とても古くからありこの王国を作るその礎にもなったものなのじゃよ」


 ポムは言葉を切りどのように話せばよいか思案しながら言った。

「お主達は龍脈というものは知っているか?」


 少年達は一斉にぶんぶんと首を横に振る。


「そうか。まず龍脈というものは世界を構成する源である龍精と言うものが流れている経路であると言う事を憶えておきなさい。そして龍精というのは、それ自体が純粋で強大な活力であり、特に魔法という概念の根幹を成すもので、さらに一説には四精の集合体とも言われているとても神秘的なものなのじゃ。では何故世界を構成すると言ったのかというと、概念的な事だけではなく実際に、儂らの住むこの連環都市群はこの龍精なしでは成し得ないからじゃ。こういった大都市は龍精を使う事により形造られているのじゃよ。まずこのような大都市の中心部には龍精の湧出点というのがある。厳重に王国の魔導師達により管理されているがの。そのように龍精が豊富に流出している所の近くでは四元素の精霊達を活発に働かす事が出来る。その力を借りて建築方士が材料を切り建物を建て、風水士が設備を管理して都市を快適な生活空間になるよう運営しておるのじゃ。さらに大事なのは龍精を使って隔護結界師が魔除けや獣除けの結界を張り巡らし魔獣や霊的な脅威から都市や街道を守っている事じゃよ。だから街に住む者は安心して生活でき、国を紡ぐ道を行く者は無事に旅が出来るという訳じゃ。その他にも龍精を消費して新たな術や道具を作ったりもしておる。このような事から龍精がないと現在の社会基盤は成り立たないという訳じゃ」


 ポムはお茶をすすり皆を見回した。

「どうじゃ?ここまでは理解出来たかな」


 少年達はポムと目を合わさず一応頷いて見せた。


 ポムは苦笑しながら話を続けた。

「まあよかろう。このように大変重要な龍精なのじゃが、これは何処にでも湧き出るというものではない。龍脈上の特異点でのみ湧出するものなので、この広大な大陸の中からその湧出点と言う特異点を探し出さなくてはならない。それが唯一出来るのが地脈測量士の龍脈読みという者なのじゃ。しかし、この職に就ける者は限られていての、特質的な才能を必要とする事もあり成り手は非常に少ない。それにその職の性質上、外界に出る機会が多く、しかも未開の地に行かざるを得ん為にその命を失う事も多いのじゃ。そういった事もあり龍脈読みという者は非常に重要で貴重な人材なのじゃ」


 ポムはミラーを少し憐れむ様な視線を向けて話を続けた。

「それにそのような人材であるが故に世間に身分を伏せている事も多い。何故ならそのような特殊な技能を狙う者がいるからじゃ。もし未開の地で未確認の湧出点が見つかり、それが悪人の手に渡るとなると面倒な事になりかねないからじゃ。だいぶ昔になるが〈ビス・マークスの城塞〉という事変もあったからのう」


 キルチェが身を乗り出して言い出した。

「あっ僕知ってるよ!盗賊団が西の山に砦を作って立てこもったんだよね?」


ポムは詳しく説明を始めた。

「うむ。この地域をまたにかけていたマンチェスト一家と言う盗賊団がある龍脈読みを捕らえてきて湧出点を見つけ出す事に成功したのじゃ。それがビス・マークスの丘と呼ばれる所じゃ。その湧出点はそれ程多くない流出量であったとは言え強固な砦と結界を創られ、国を紡ぐ道からだいぶ離れた場所で、更にはそれが都市の中間地点と言う地の利があり、なかなか攻めあぐねてそれを討伐するのにかなりの時間を要したのじゃ」


「ふ~ん、もうその盗賊団はいないの?」とトーマ。


「うむ、すでに討伐されてその砦は破壊され今では廃墟になっておる。魔導師達がその湧出点に厳重に封印を施してもいる」ポムが答える。


 キルチェはミラーをちらりと見て言った。

「ははあ、龍精ってすごく大事なものなんですね。……それじゃあその龍脈読みの御息女っていったら実はすごいお嬢様なんじゃないですか?」


 ポムは真面目な顔で頷いた。

「そうじゃな。もしその事が悪い者に知られたらミラーにも何か災いが降りかかるかもしれん。だからこの事は誰にも口外しないようにな」


 少年達はポムを見つめ神妙に頷いた。しかし彼らはさっきまで仲良く話をしていた女の子がかなり身分のあるお嬢様だと分かり、否応なしに自分達との生まれの違いを感じてしまった。


 少年達は、一緒の席についているのに彼女が急に遠い存在のように思えたのだった。


 ミラーも皆にそう思われてしまったのならしょうがないというような、寂しげで悲しげな、そして何か諦めた様な表情であった。




 ポムはこの重く沈んだ場を取り繕おうとしてミラーに問いかけた。

「しかしミラーよ、そなたも父親と同様に何かしらの力を持っているのではないか?この家の精霊達が少し騒がしいのでな」


 ミラーはこくりと頷いた。

「はい。故郷の賢樹様のご指導のおかげで〈精霊への呼び掛け〉まで出来る様になりました」


「ほう……その歳でのう。なかなかの才能じゃな」ポムは眉を上げて心底感心する様に言った。


 ミラーはそれを聞くと謙遜するように首をかすかに振り顔を伏せた。しかしすぐに顔を上げミルトをちらりと見ると笑顔を見せてポムに話しかけた。

「いいえ、私なんかよりミルトの方がよっぽど才能があるではないですか。だってミルトはもうきちんとした〈精霊の使役〉までやってのけるのですから」


「まあ、ミルトは特別と言っても良い位だからのう……」

 ポムは顎髭を触り同意しながらもはっと気づいた。トーマとキルチェも気づいたようでミルトのほうに目を向けた。ミルトはと言うと視線を逸らし気まずそうに黙っていた。 


「ミラーよ、そなたはもうすでにミルトの力の事を知っておったのか?」ポムはミラーに問いかけた。


「えっ、はい……。ミルトには慎月祭の終わりにその力で助けて貰いました」ミラーはその時の状況を皆に詳しく説明をした。


すると話を聞き終えたトーマが少しとげのある口調で言い出した。

「ふふーん?……という事はその時すでにミルトとミラーは秘密を教え合う様な仲になっていたわけだ」


「でも、考えなしに人前で力を使うのもどうかと思いますが」キルチェも続けて言い出した。


 二人はミラーにミルトの秘密を知られて、いきなりミルトとの優位性を取られたように感じて何だか面白くなかったのだ。ミルトとミラーの関係を茶化して喜んではいるものの、心の奥底では女なんかに友達を取られたくないという気持ちもあるのだろう。


 部屋に気まずい沈黙が訪れたが、ポムが少年二人をなだめるように言った。

「まあ良いではないかお前達。何故ならその時にはこの二人はすでに〈慎月祭で花を交換し合った間柄〉なのだったのじゃからな」


 ポムはおどけるように皆を見回しながら言う事で、子ども達の笑顔を引き出す事に成功した。


 トーマとキルチェはそうだったと手を打ち鳴らしながら笑い、ミルトとミラーはその事を思い出して恥ずかしそうに顔を見合わせたのだった。

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