第一章 八話

ミルトは初めて見るミラーのこの取り乱し様に困惑してしまった。


 ミラーのその様子をあっけに取られたように見ていたトーマが尋ねる。

「この辺で他に賢樹と言われてる人は知らないなぁ。……でも何でミラーはそんなに興奮してるの?」


 ミラーはトーマ達の方に目を向けると、まるで泣き出しそうな顔で早口にまくし立てた。

「ごめんなさい。まさか、今からいきなり大賢樹様の所に伺うなんて事があるなんて……。ああ、私が今着ている服では全然駄目だわ。普通の普段着だもの。せめて宮廷着、もしくは正装の法衣くらいは着て行かないと。それに私は沐浴すらしてない。あと、せめて訪問の許可をお伺いする御手紙を出してからではないと礼を失ってしまうのではないかしら」もうミラーの瞳は潤んですらいる。


 ミルトは若干おろおろしながらもそんなミラーをなだめた。

「大丈夫、大丈夫だって。そんなに心配しなくても。僕らはいつも気が向いた時に会いに行ってるんだから。それで怒られた事なんて一度も無いし、いつも喜んで迎え入れてくれてるよ。ねえ、トーマ」


「うん。普段着とか正装とか考える事もないよ。……でも、たぶんだけど正装してきちんと訪問しようとしたら嫌がると思うな。あの爺さんは」トーマは気楽そうに言った。


「ふむ、もしかしたらミラーの考え方のほうが正しいのかもしれませんね。僕らは小さい頃からポム爺さんに慣れ親しんでいるから、ミラーのほうがおかしく見えるのかも。だけど、ミラーはこれから僕らの友達として会いに行くのだから、やっぱり僕らに任せてもらわないと」キルチェが冷静に分析しながら言った。


 ミラーはしばらくの間思い悩み逡巡していたが、彼らに何とか説得されて連れて行かれる事になった。しかしミラーの歩みは遅く、ポムと会うのを心から畏れているかの様だった。


 ミルトはどうしてそんなに怖がっているのかを尋ねると、ミラーは前に住んでた街の賢樹の事を話し始めた。


 ミラーの故郷のレドリードという街は、このミルト達が住むファルメルト城下町と同じファルメルト王国連環都市群の一つで、そのレドリードの街に住む賢樹ナラはその街を治めている執政官と同じ位の影響力を持つほどの人物でもあった。


 またそれだけではなく、賢樹ナラは実際に一軍に匹敵するほどの強大な魔法の力の持ち主であると知られ、彼は1人で高い塀に囲まれた荘厳な雰囲気の屋敷に住んで一般人とは滅多に会わず、住民から多大な尊敬と畏怖の念を抱かせていた。


 ナラの容姿もその感情を抱かせる一因であり、頭を完全に剃っているのと切れ長の目と薄い唇のせいでとても冷たそうな印象を見る者に与えて、更には彼の深遠な知識から語られるその舌鋒はかなり鋭く、また筋肉質な身体から滲み出る魔力で、とてつもない威圧感が感じられる人物でもあった。


 ミラーはそんな人物から直接教えを受ける事の出来た幸運な者の一人なのであった。


 ミラーはナラとの話で、ナラが最も崇拝して尊敬しているのが大賢樹ポムイット=ヴォルハリスであると知り、ナラほどの偉人がそこまで思う人物がどのような者なのか、全く想像もつかない程だったのだ。


 ミラーがずっとそう思っていた人物に、彼らが今から散歩のついでのようにひょいと会いに行くと言うのだから、ミラーが一気に恐慌状態に陥ってもそれはもう無理もない事であった。




 小高い丘の上に建つポムの家が見えてきた。


 丸太小屋の家とその周りの庭の風景がとても穏やかな色彩にまとめられて、とても気持ちが落ち着く風景である。花壇には色鮮やかな花達がきちんと並んで咲き誇り、そのそばの芝生には数匹の色鮮やかな鳥達がいた。一羽の赤い飾り尾羽根を持った鳥が、土をつつきながら歩いていて、近づいて来る少年達をちらりと見たが、関心なさそうにすぐに元の作業に戻っていた。


 ミルトは小屋の玄関に向かいながら思った。こんな感じの家に住むような人がミラーの思い込んでいる様な人の訳はないよなあ。


 ミルトが代表してこんこんと扉を叩いて大きな声で呼びかけた。「こんにちはー。ポム爺さんいますかー?」


  ミルト達が扉の前で行儀良く待っていると、家の中で歩いてくる音が聞こえ、扉が開きポムが出迎えてくれた。


「うむ、お主らか。よう来た、さあお入り」ポムはいつも通り櫛の入れてないような髪のままゆったりとした部屋着を身につけ、片手に煙管を持ち、優しそうな目で彼らを見つめていた。ポムは扉を大きく開け放ち彼らを招き入れようと脇にどいた。


 しかし、いつもは我先にと入ってくる少年達が今日は少し様子が変わっていた。彼らは黙ってそのまま立っているだけで動こうとしない。


 ポムが不思議そうに少年達を見ると、彼らが何故か言いにくそうにもじもじとしているのに気づいた。


「どうした、お前達。中に入らんのか?」ポムは訊ねてみた。


 すると、後ろの仲間からせっつかれたミルトが話し出した。「あ~、うんとね、ポム爺さんに紹介したい人がいるんだけど……会ってくれるかな?今ね、森の途中で待ってるんだけど」


「ふむ……何故そんな事聞くのじゃ?連れてくればよかろう」ポムは少し面白がっている様な口調で言った。


 ミルトはそれを感じて膨れっ面を見せる。「だってしょうがないじゃん。そう聞いてくれって頼まれたんだから……」


「ほう、頼まれたか」ポムは真面目な顔になりどういう事なのかを考えだした。


 キルチェがミルトの後ろから補足の説明を始めた。「なんか、始めにそう尋ねてもらうのは礼儀らしく、いきなり偉大な大賢樹様の所に伺うのは無礼にあたるらしいです」


「偉大な大賢樹じゃと?」面白がって聞いている様にみえたポムの口調に不機嫌そうな響きが混ざった。いつもの温和な表情が消え眉が険しく上がる。普段あまり見せないその様子に皆少し不安になった。

「ふむ、儂の事をそう呼びたい奴が来よったか。そやつが儂に会いたいと。それは一体どんな奴じゃ?」


 ポムの苛立ち混じりの口調に怯えながらも今度はトーマが答えた。

「いや、違うよ!ポム爺さん。そんな変な子じゃないよ。だって俺らの新しい友達なんだもん。」


 予想もしていない事を聞かされてポムはしばらく呆気に取られていたが、ふと我に返り黙って見つめてくるミルトに尋ねた。「……新しい友達?その子が儂の事を大賢樹と呼んでおったのか?」


 ミルトはこくんと頷いた。

「うん。でもなんだか怖がっているような感じだったよ。あとねポム爺さんの事をなんか長たらしい名前で呼んでた。え~と……?ポムイット……なんたらかんたら」


「大賢樹ポムイット=ヴォルハリス様って呼んでた」記憶力の良いキルチェが補足した。


「ほう。……ふむ、するとだ。さてはその子はどこか他の街から来た者ではないか?」ポムは顎髭をさすり考えながら言った。


「うん、そうだよ。え~と……どこだっけ?」トーマは答えようとしたが思い出せずキルチェの方に助けを求める目を向けた。


「たしか南の街のレドリードっていう都市だよ」キルチェが答える。


 それを聞いたポムは納得した様に頷いた。「ふむ、それでか。儂もだいぶ昔になるがその街に住んでいた事もある。ああ、なるほど。それにあの街では賢樹の名が畏怖の念を込めて呼ばれていたからのう。……しかし、大賢樹様か。儂の事は一般にはその名では知られていないはずなのじゃがなあ」


「あ、ミラーはね、その街の賢樹様に教わってたみたいなんだ」ミルトはまるで自分の事の様に誇らしげに言った。


「ほう。あの街で賢樹から直に学べる様であれば、その子はさぞかし優秀なのであろう。ミラーというのか、その子は。なかなか良い名じゃな」

 ポムはふと気づき眉をあげた。「……む、少し待て。お主らの友達というからには同い年くらいか。それにミラーという名の響きからしてその子は女の子ではないのか?」


 三人は一斉に頷いた。


 トーマが早速言い出した。「うん、そうだよ。あれ?まだ言ってなかったっけ。実はさ、その女の子が慎月祭にミルトを呼び出してさ。自分が持っていた花を……」


 ポムは手を振り慌てて話を遮った。「待て待て、その話は儂も興味があるが、まずはその子を呼んできなさい。女性を一人で待たす事は礼を失ってしまう。それにその子もこんなに待たせては、だいぶ心細くなっているじゃろう」


 ミルトはすぐに承諾し駆けだして行こうとしたが、なんだか少し気恥ずかしく感じて一瞬躊躇した。それを察したトーマがミルトの背を強く押し出しながら言った。

「はやく呼んで来いよ。ほら駆け足!」


 ミルトはトーマの気さくなかけ声のおかげで、元気に駆け出す事が出来た。


 まさに飛ぶがごとく小道を走り、勝手知ったる森の中を突っ切り近道をして、ミラーの待つ場所を目指した。


 やがてミラーが一人佇む姿が見える所まで来ると、ミルトは走る速度を緩めた。


 その場所はミラーがここで待つと頑なに言い張った所で、ミラーの姿はミルトが最後にちらっと振り向いて見た姿勢と少しも変わってなかった。


 ミラーは両手を胸の前で組み合わせ、顔を少しうつむかせ背筋を真っ直ぐにして立っていた。


 その姿はまるで神に祈りを捧げる信者か、もしくは裁きを待つ咎人の様に見えた。


 ミルトはなんて声をかけて良いか分からず、ミラーが気がつくまで黙って歩きながら近寄っていった。


 ミラーは足音を聞いてミルトに目を向けたが、心配そうな瞳で見つめるだけで何も言葉を発しなかった。


 ミルトはそのミラーの表情を見てられず、無理に笑顔を作ると空元気な声を出して呼びかけた。

「お待たせ!ミラー」


 まだぴくりとも動かないミラーに近寄りながら話を続けた。「大丈夫だよ、会ってくれるって。さあ行こうよ」


 ミラーはそれを聞いてやっと身体の緊張を解き、少し表情を和ませて頷いた。


 ミラーはミルトに促され森の小道を黙って歩き出した。


 ミルトはこの二人っきりの沈黙を回避するべく、なんとか頑張ってミラーに話しかけた。「うんとね、やっぱりそんなに心配することなかったよ。ポム爺さんはいつも通り優しかったし、それにミラーと会う事も快く返事してくれてさ。僕達が会わせたい人がいるって言ったらなんで連れてこないって言われて、それで森の途中で待たせてるって言ったら、早く連れきなさいって怒られちゃった。ははは……」


 ミラーはミルトの話を黙って聞いていたが、最後の言葉を聞くとぴたっと立ち止まった。


 ミルトが戸惑ってミラーを見ると、ミラーは怯えた様な表情で頭を下げて謝ってきた「ごめんなさい、ミルト。私のせいで貴方が怒られてしまったのね……」


 ミルトは手を振り慌てて否定する。「ち、違うよ、ミラー。怒られたって言うより注意されたって感じで……」


 ミルトはミラーを安心させようとポムの事を色々話すのだが、ミラーの凝り固まった心を解きほぐすことは出来なかった。ミルトはこれ以上変な事を言ってミラーの心を乱したくないので黙って歩くことにしたのだった。


 ミラーはずっと心配と緊張の混ざったような青ざめた表情をしている。


 ミルトはこんなにも神経を張り詰めているミラーを見てなんだか気の毒に思った。だけど自分の知っているポムの事を想像してみて、なんで会うだけでミラーがこんなに緊張しているのかは全く分からなかった。 


 二人は同じ人物の事をまるで違う視点から考えて黙々と歩いていた。




 森の木々が途切れて丘の上の建物がミラーの視界に入ってきた。


 そしてミラーが瞳をこらすとその建物の玄関の前に、両脇に少年を従えてこちらを眺めているがっしりとした体格の老人の姿が見えてきた。


 ミラーは改めて両手を胸の前で組み、顔を伏せ更に姿勢を正すと、流れる様な足運びで歩き出した。


 ミルトはその歩き方の美しさに見とれて少し遅れながら彼女についていった。


 二人はゆっくりと小屋に近づき、小屋の前の木製の階段の前まで来て歩みを止めた。


 ミラーが小さいが凜とした声を発した。「お初にお目にかかります。大賢樹ポムイット=ヴォルハリス様。お目にかかれて光栄でございます」


 ミラーは祈りの姿勢を解き、気丈にも顔に笑みを浮かべて、腰を少しかがめて優雅にお辞儀をした。


「私の名前はミラーマ=アクウォートと申します。このたびミルト君達の紹介で貴方様へお目通りが叶いました。どうか今後ともよろしくお願い致します」


 ミラーは緊張しながらも最初の挨拶を終える事ができ内心ほっとして、少し落ち着いてポムの言葉を待てた。


 ポムはミラーの口上を聞き終えると、いつもの温和な表情を見せずに真面目な堅苦しい口調でそれに答えた。「うむ。良く来た。ミラーマ=アクウォートよ。大まかな話はこの者達から聞いておる。お主がこの者達の新たな友人となる事については、儂は特に異論はない。しかし……」


 ポムは言葉を切るとじろりとミラーを見据えた。


「これからお主がこの者達と同様に、この儂のもとを訪れる事については一つ条件を出させて貰おうか。……お主にそれが出来るかどうか分からぬがな」


 少年達は何を言い出すのかと戸惑いポムのほうを見た。ミラーも不安そうな顔でポムと向き合っている。


 ミラーはごくりと唾を飲み、固い口調で尋ねた。「その条件とはいったいどのようなものでありましょうか?」


 ポムは仰々しい口調で、勿体ぶりながら一度咳払いをしてから言った。「うむ。それはの、これから儂の事を呼ぶときは、あの長ったらしい名前ではなくミルト達同様、ただポム爺さんと呼ぶことじゃよ」 


 ポムはいつもの優しい笑顔になって改めてミラーに話しかけた。「どうじゃな?お主にそれが出来るかな」


 ミラーはあまりにも予想もしていない事を言われて目をぱちくりとさせていたが、やっとポムの真意を理解して涙ぐみながらも笑顔を浮かべた。「は、はい!勿論大丈夫です。えと…、ポムお爺様」


 ミルト達はこの家に来て初めてミラーのいつもの声を聞けて、嬉しそうにお互いを見つめ合い小さな歓声をあげた。


 ポムの声もとても楽しげであった。「ポムお爺様か……、まあよかろう。これでやっと儂もお主の事をミラーと呼べる訳じゃな」


 ポムは改めて家の扉を開き皆を招き入れた。

「さあお入り、ミラー。むさ苦しい我が家へようこそ」

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