第一章 七話
少年三人と少女一人の一行は、緑が多く静かなユセイラ川の土手に沿った道を歩いていた。今は風も少なく穏やかな気候でとても気持ちが良い。
土手には等間隔に植えられた背の高い木々が並び、その木々は豊かな葉と可愛らしい桃色の花をたくさんつけていて、土手を散歩をする者の見る目を楽しませてくれていた。
始めの内は四人で並んで歩いていたが、誰がどう気を使ったのか、いつの間にか二人と二人に別れて歩いていた。前にトーマとキルチェ、後ろにミルトとミラーという感じである。しかし、ミラーが隣のミルトだけでなく、前を歩くトーマやキルチェにも平等に話しかけているので、男女の集団でありがちな気まずい雰囲気などまるでなかった。
いつの間にかミラーとトーマ達も、お互いを呼び捨てで呼び合うようになっていた。
ミラーは前に住んでいた街の事や、外の世界での旅の話をした。この街とはまた異なる街並みの光景、外界の美しい風景、そこでの厳しい旅の生活の様子や恐ろしい獣の群れに襲われた事など、ミラーは話がとてもうまくて、彼らはどんどん話に引き込まれていった。
特にミルトは早く外の世界に出て、その光景を見てみたいと強く思う様になるほどであった。
ミルトは四人で一緒になって話す事で、しだいにミラーがそばにいても息苦しさがなくなり、普通に会話出来る様になってきていた。しかし彼女に無防備に近づかれると、やはりまだ体が固まってしまうのであったが。
この街の子ども達の話になってキルチェが疑問を口にした。
「でもミラーなら、普通に学校に通って友達はすぐ出来たんじゃないですか?」
ミルトがミラーの様子を覗うと、彼女は少し困った様な顔をしていた。
「あ、うん。女の子の友達ならすぐに出来たわ。みんな良い人ばかりだし。でも、あの学校の上流階級の男の子達は、なんか……ね」ミラーは少し眉を寄せて言う。
「ああ、あいつらは階級意識がえらく高いからな」とトーマ。
「特にあの二人は最悪だね」キルチェは思い出すのも嫌だと言わんばかりに首を振った。
ミラーは口元に指を当て考えながら言った。
「あの二人って……、もしかしてカデ君とリポ君の事かしら」
「おっ!すげえ大正解!」トーマがぐっと親指を立てた。
「ミラーもそれで思い当たるんだ」
ミルトはミラーが自分達と同じ印象を持っていた事でかなりほっとしていた。
それは、あの祭りの日に太った金色の鎧姿の少年が、ミラーに近づいていく光景をふと思い出していたからである。
「そうね、本当言うとあの二人は私も苦手なの。あの人達とお話をしていてもすぐにお金の話や権力の話になってしまうし、仲間の男の子達にもすぐ暴力を振るうしね。それに私との初対面の挨拶もなんか変だったわ」
ミラーは喉の調子を整えるとカデの口調を真似て言い出した。
「『やあ、俺の名前はカディムス=リオンダース。俺の父上は王国財産管理局の事務長補佐をしているんだ。君の父君は何をしている人だい?』って言うのよ。私はべつにその人の親の役職を知りたい訳でもないし、その人の私への最初の質問が、私の父の職業よ。それって何かおかしくない?」ミラーはそう言ってみんなの顔を見回した。
少年三人は奴ならそんな事を言い出しそうと苦虫を噛みつぶしたような苦い顔をしている。
「それで、入学してからあまりにしつこく言い寄って来るから、ずっと避ける様にしていたの。そうしたら教室の男の子達が急によそよそしくなってきたの。たぶんあの人達が何か言ったのだと思うけど……そう思うとなんか悲しかった」
ミラーは落ち込んだ様子を見せていた。ミルトは怒りで胸が熱くなったが、トーマの方が先に怒りを表していた。
「ちぇっ!カデ達はそんな奴らなんだよ。あ~いやらしい」トーマは道の小石を蹴りつけた。
「そうですね。そうやってミラーに自分だけは優しいんだという事を見せようと思っているのでしょう。かなり浅はかで低級な作戦です」キルチェも額に皺を寄せて嫌そうな顔をしている。
ミルトが励ます様に言った。
「そんなの気にする事ないよ。ミラー。今はそうでも次第に元通りになってくると思うな。何故かというと奴らには人望がまったくないからね。奴らが言った時や、見ている時はしょうがないのかもしれないけど、もう少ししたらみんな仲良くしてくれるよ」ミルトは、にっと歯を見せてミラーに笑いかけた。
ミルトのその笑顔につられてミラーにも笑顔が戻り次第に元気になってきた。
「うん。それでね、友達のサラやミクにね、この街の男の子の事であまり良い人がいないって文句を言ってしまったの。そうしたらそんな事ないわって逆にしかられちゃったの。どうしてって訊ねたら貴方達の事を教えてくれたわ。知ってる?貴方達って学校の生徒達の間ではけっこう有名なのよ。あの上流階級層の男の子達に対抗出来る唯一の勢力だって」
ミラーは何故か少し自慢げな口調で話していた。
「あの人達のいじめから誰かを助けた事があるでしょう?」
「うん?……まあ何度かあるね」とミルト。
「そうでしょう。それに〈落ちた真紅の小鳥事件〉の事もあるし」ミラーは付け足すように言う。
「ああ、あれですか。あれはけっこうな騒ぎになりましたからね」キルチェはすぐに思い当たった。
その事件というのは、真紅の羽を持つ綺麗な小鳥が、城前の大広場の噴水前に弱って落ちてきた事から始まったのであった。
この国の一般的な教義で言うと、鳥という生き物は空から来る物であり、街の結界の中に入れる鳥は、言わば天の使いであり、神聖なものとして丁重に扱うべきものであるとされているのである。
大広場で遊んでいた子ども達が、地面に落ちてきた小鳥を見つけて、どうしようどうしようと騒いでいるところに、ちょうどミルト達とカデ達がお互い広場の反対側から入ってきたのだった。
その場にいた少年の一人が遠くからミルト達を見つけて声をかけた。
「あっ!トーマの兄ちゃん、こっち来てよ!空から小鳥が落ちてきたんだ」
ミルト達がその声を聞いて急いで駆け寄って行くと、その子ども達の足下にうずくまる綺麗な紅い羽の小鳥が見えた。だが、それと同時に向こうで同じ様に駆け寄って来るカデ達の姿も見えた。
ミルトは弱った鳥とカデ達の姿を見て吐き気のする様な嫌な事を思い出した。
それは以前にカデ達が色鮮やかな小鳥を捕まえたことがあり、その鳥を彼らは籠で飼い、持ち歩いては見せびらかしていた。しかしその小鳥はすぐに死んでしまったようで彼らは籠を持ち歩く事はなくなった。すると今度カデ達は綺麗な鳥の羽を何枚も持って現れたのだ。その羽の色は姿を消した小鳥と同じ色で、その羽はあの死んだ小鳥からむしり取ったものに違いなかった。
ミルトはそれを想像すると心の底から嫌悪感を覚えた。
鳥の保護は教会でするものだし、鳥の供養は教会の仕事の一つだ。しかしカデ達はそれを公然と無視し破っていた。
今この目の前にいる小鳥をそんな目に合わせる訳には絶対にいかない。
ミルトは小鳥を助ける決意を固めて仲間に指示を出した。
「キルチェはあそこに着いたら、小鳥を抱えてすぐに教会に走ってくれ。トーマは僕と奴らの足止めをしよう」
ミルト達は更に勢いを増して、小鳥を取り巻いている子ども達の輪に近づいた。
向こうの方が早く着くと分かったカデ達は焦りだして、乱暴な口調で怒鳴り散らしてきた。
「おい!お前ら、その鳥に触るな!その鳥は俺が貰う!」
ミルトはふんと鼻を鳴らして聞き流し、子ども達の脇を駆け抜けた。
意表をつかれて、カデ達は狼狽して駆け足がにぶった。困惑して立ち止まって待ち構えようとした彼らが見たのは、ミルトとトーマの後ろで小鳥を大事そうに抱えて逆方向に走り去るキルチェの姿だった。
目当ての小鳥を奪われたと分かり、怒ってその後を追おうとした彼らの前にミルトとトーマが立ち塞がる。
「……ちっ、どけよ。痛い目みたいのか?」リポが凄みのある低い声で脅してきた。
ミルト達はそれを冷ややかな目つきで見返して鼻で笑った。
一瞬の沈黙の後、カデ達から先に手を出してきた。
ミルト達は足止めが目的なので、器用に彼らの拳や蹴りを躱していたが、数でいうと二対五の戦いなので次第に不利になっていった。
しょうがなくミルト達も反撃をしたが周りを囲まれるとどうしようもなかった。
次第にミルト側が劣勢になり、ミルトがこれはまずいなと思っていると、周りで見ていた少年が一人加勢してきてくれた。それは始めに声をかけてきた少年で、小柄な体で相手にへばりつきながらも健気に戦ってくれた。
それを見た他の少年達もミルト達の仲間に加わってきた。いつもはカデ達には口もきけないような少年達が勇気を振り絞って加勢に来てくれたのだ。
ミルト達は注意のそれた相手を翻弄し、加勢してくれた少年達を助けながら縦横無尽に動き回った。
その内にこの騒ぎの聞きつけた大人達が仲裁に入ってきた。キルチェも神父を連れてきていて仲間の釈明を始めていた。
大怪我をしている者はいなかったが、打ち身や擦り傷で敵も味方もみんなぼろぼろだった。いつの間にか周りには野次馬が集まってきていて大広場が半分埋まるくらいだった。
そしてこの問題は教会預かりとなり、子ども達やその親、学校、更には街のなかまで話が広まっていき、最終的には喧嘩したことはお互い悪い事であるとされ、喧嘩に参加した全員に一定期間の街の清掃という罰が与えられた。そしてさらに、カデ達には街で拾った鳥は必ず教会に届けるという誓いを街の住民みんなの前でさせられていた。
ミルト達はこの件でカデ達に一矢報いたという事で、一般街の人々、特にその子ども達から高い評価を得るようになったのだった。
トーマが自分たちの事を少しばかり美化しながら話しているのを、ミルトは少し照れながら聞いていた。キルチェの得意満面での所々の合いの手も抜群だった。
「すごいわ、貴方達って」ミラーは心底感心したような声で言った。
「でも、怖くはなかったの?人数が全然違ったのに」ミラーは黙って聞いていたミルトを覗き込みながら訊ねた。
「いや、怖かったよ。でもあの時は無我夢中で小鳥を守らなきゃって気持ちが強かったから。ねえトーマ?」照れ隠しにミルトはトーマに尋ねた。
「そうだなあ、でも俺はミルトに引きずられたって感じだったけど」
トーマは茶化す様に言った。
「でもそうですね。ミルトは何やら周りを巻き込むような力がありますよね」キルチェが分析するように言う。
「ちぇ、そうやって何か僕のせいにするんだから」ミルトは頬を膨らませて不満そうだが、それをミラーは嬉しそうに取りなした。
「でも正しい事をしたのだから良いじゃない。尊敬するわ」
ミラーはミルトに笑顔を向けて話を続ける。
「それでね、その一件から貴方達は街の子どもはもちろん、学校の子達の間で有名になったのよ。サラ達も言っていたわ。何か困った事があったらミルト達のところに行けばいいって」
ミルトはそう言えば、その辺の時期から見知らぬ子達から挨拶されるようになったなと思い返していた。
キルチェが思いついた様にミラーに訊ねた。
「うん?するとミラーも何か困った事があったから、今回ミルトを紹介してもらったって事?」
少年達は一斉にそうなのと言った目でミラーを見た。
ミラーは慌てて首を横に振り否定する。
「ええっ!ううん、私は違うわよ。私は以前に街なかや橋の上で出会った赤い髪の男の子の事をサラ達に訊ねたの。そうしたらそれはたぶんミルトっていう同い年の男の子だって教えてくれて……。でも学校でも見かけないし街なかで捜してもなかなか逢えないし、どうしても一度会ってお話してみたい男の子なのって、そう言ったら今度引き合わせてあげるって言ってくれて。それでやっとあの慎月祭の時に……」
ミラーは彼らにそんな風に思われるのは心外だと言わんばかりに反論していたが、次第に声が小さくなっていった。それはミルトがそっぽを向き出し、トーマとキルチェの顔が次第にやけていくのが分かったからだ。
ミラーは少し不安になり自分の言った事を思い返してみると、けっこう大胆な事を言っていたと気づき頬を赤く染めた。ミルトの方を盗み見るとミルトの耳も赤くなっていた。
にんまり顔のキルチェが言い出した。
「ふむふむ、なるほど。決して困った事があったからではないと」
「良かったじゃん、ミルト」
トーマがミルトの肩をえいと軽くひっぱたく。
ミルトはそれをよけずに甘んじて受けた。
また彼らの冷やかし心に火が点いたのを諦めの心境で受け流すことにしたのだ。
ミルトがミラーの方にちらりと目を向けると、目が合ったミラーはごめんなさいといった仕草を見せ、ミルトはもう慣れたよといった顔でそれに答えたのだった。
四人は話しながら再び歩き始めたが、今の川の土手沿いの道をはずれても、多くの人が行き交う大通りに差しかかっても、更にその通りを抜けて閑散としてきた郊外の小道に入っても、彼らの話題はずっとミルトとミラーの事ばかりで、当の本人達は何だかこそばゆい感じで、恥ずかしくてしょうがなかった。
とうとう我慢出来なくなったミラーは、何とか話題を変えるべく、前を歩く二人に話しかけた。「ねえ、これから何処に行くの?」
「うん?ポム爺さんのところ。やっぱりポム爺さんにも早いところミルトとミラーの事を報告しておかないとね」トーマのにやにや顔は変わらない。
ミラーはこのままだと今度はそのポムと言う人物に絡めた自分達の冷やかしのねたを考えそうだと思い、慌てて言い足した。「それで、そのポムお爺さんってどんな方なの?」
するとトーマの顔つきが変わり考え込む様な仕草を見せた。やっと興味がミルト達からそれたようだ。
「うーん、いつも気難しい顔しているけど根は優しい爺さんって感じだよ。なあ?」
トーマに促されキルチェも考えながら言った。
「そうですね。そんな感じです。でも、僕らには怒った顔は見せないですけど周囲の人達からは怖がられているような気も……」
ミルトが後ろから話に加わってきた。
「ううん、怖がられているというより尊敬されてるんだよ。だからみんな気を使ってあんまり近寄らないんじゃない?だってポム爺さんは賢樹って呼ばれるくらいの人だよ」
「そう、ミラー知ってるか?賢樹って言うのは強大な魔力と無数の呪文と深い知識を持つって言うそんな凄い人の事を言うんだぜ。そんな人が俺らの先生、いやお師匠様なんだ」トーマは前を向きながら得意げに言った。
「そんな事言っても魔法とかなんて、まったく教えて貰ってないじゃないですか。」キルチェが横槍を入れてくる。
「まあでも、色んな事を教えてくれるし、一応僕らの先生とは言えるよね」
ミルトが前の二人と話している内にミラーの歩みは次第に遅くなり、ミラーは彼らから数歩遅れてついて行く格好になっていた。
ミルトは自分の隣から突然消えたミラーを振り返り不思議そうに見たが、ミラーの表情を見て眉を寄せた。
ミラーは少し青ざめた表情で、何か怖ろしい事を聞いてしまったとでも言う様にミルト達を見つめていたのだ。
「どうしたの?ミラー」ミルトはミラーに向き直って訊ねた。トーマとキルチェも同様に振り返って立ち止まっている。
ミラーは黙って数歩彼らに近づくと口を開いた。
「あの……もしかしてなんだけど、今から……まさか、さの賢樹様のところに行こうとしているの?」ミラーの声は若干震えていて、とても信じられないという声色であった。
「え?うん、そうだけど……」ミルトはミラーがどうしてそんな表情をしているのか分からなかった。
ミラーはミルト達にどんどん詰め寄りその真剣な顔を近づけてきた。
「あの……この街の賢樹様ってお一人しかいらっしゃらないわよね。これから会おうとしている方のお名前がポムお爺さんって……まさか、もしかして、その方は大賢樹とも言われるポムイット=ヴォルハリス様……なの?」
ミラーはかなり取り乱していて、心から慌てている様に見えたのだった。
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