第一章 四話

 ミルトの火の力の発現の事で盛り上がった後、ポムがお茶を淹れ直して一息ついた。


 改めてキルチェが冷静にポムに訊ねた。

「ねえ、ポム爺さん。何故ミルトはこういう事が出来るのでしょう?」


「ふむ、そうじゃのう……ミルトは元々精霊親和力がずば抜けて高いという事もあげられるのだが、儂が思うに意識や意志を司るアストラル体、それを魂体とも言うが、それがかなり発達しているのであろう。この魂体というのは年齢を重ねることで徐々に成長していくのだがミルトの場合はすでに成熟の域に達していると思われるのう。そのアストラル体がミルトのエーテル体、それを精神体とも言うが、それがアストラル体に賦活され不可視な世界いわば超感覚世界を体感出来る様になっているのじゃろう。もしくはアストラル体の中の自我が持つ固有の想起が活発に働く事で認識という概念が、現世界で顕著に現れているのかもしれん。または……」

 ポムは目を閉じ考え込みながら難解な言葉で説明を始めていた。


 少年達にはほとんど理解出来なかったのでお互い目を合わせて苦笑いしながらも、ずっと大人しく黙って聞いていた。


 ポムはしばらくしてはっと我に返ると、ばつの悪い顔をして簡単な言葉で話し始めた。

「まあとにかく、儂にも正確なところはあまり分からんという事じゃ。精霊の力の行使というものは確固たる認識と意志の力が必要になるのじゃが、ミルトは誰に学ぶでもなくそれが出来る様になっていたからの。この儂でさえ今のミルト並に精霊に意志を伝えられるようになったのは、もっと老成してからじゃったからのう」


「そんじゃあミルトはポム爺さん以上のすごい才能を持っているってこと?」トーマが身を乗り出して訊ねた。


「うむ。そうじゃな。これでミルトはすでに二つの精霊の力を使う事が出来ている。風だけでも大したものだったが、今日の儂の話を聞いただけで火まで使えるようになってしまった。ミルトの身体の属性領域は〈風寄りの風火〉という平凡な属性なのだが、このように若い内から二つもの力を使える者がいたというのは、儂の長い人生の中でもあまり聞いた事はないのう」

 ポムはのんびり煙管を吹かしていたが、急に厳しい目つきになり少年達を見回しながら忠告した。


「しかしよいか、この事も含めてミルトの力の事は絶対に秘密じゃからな。忘れてはおらんかもしれんがミルトの力の事が世間に知れ渡ると、ミルトは王国の連中に目をつけられ色々と面倒な事が起きるじゃろう。故にこれらの事は絶対に他言無用。ミルトも見知らぬ人前で絶対に力を使ってはならぬぞ」


 少年達はお互い目を合わせて意思の確認をするとポムに向かってはいと返事をした。


 ポムは三人の仲の良さと素直さや賢さを知っているので、一応安心する事ができた。


 しかし最悪の事を考えるならば、ミルトに今の内からある種の魔法を教え込むという手もあった。歳が若くとも扱えるような、隠れたり身を守るような魔法があるにはある。ミルトの才能ならば習得は可能だろう。しかしミルトはまだ幼すぎるし、もしかしたら高すぎる精霊親和力が逆に危ないかもしれない。魔法の組み立てが失敗した時に力が暴走して肉体や精神に深刻な傷を負ってしまう可能性もある。魔法というものは精霊術とは違い便利で多くの恩恵をもたらしてくれるが、反面多くの危険をもたらすものでもあるのだ。


 ポムはとにかくミルトが無事に何事もなく成長することを願っていた。



 日が傾き部屋に入る日の光が少なくなると、ポムは三人を帰らせた。ポムの家から出たときはまだ明るかったが、次第に夕日が風景を赤く染め始め、長細い木々の影を地面に作り出している。


 三人は薄暗くなった森の中を鳥たちの寂しげな鳴き声を聞きながら、ミルトの力の事をひそひそ声で話しながら帰った。


 街の大通りにつくと、そこは街灯がきらめき人がまだ沢山歩いていて賑やかだった。しばらく大人に紛れて歩いて途中の別れ道でミルトは二人と別れた。


 ミルトは少し歩いて振り返って見ると、トーマとキルチェがじゃれ合って歩いている姿が見えた。ミルトは街なかで急に寂しくなり走って帰った。


 狭い路地を駆け抜け、急いで家の扉を開けるといつも通りの母の笑顔がミルトを出迎えてくれた。


 マレスは食卓でお茶を飲んでいるところだった。

「お帰りなさい。あらら、もうこんな時間なのね」


 ミルトは夕ご飯の支度をしようと立ち上がる母親を押しとどめ、今日の出来事を興奮した口調で話し出した。


「ねえ、お母さん。僕すごいんだよ、さっきポム爺さんのとこで火を操れたんだ!今日は僕たちポム爺さんのとこで授業してもらったんけど、実は火の精霊はどこにでもいるんだって。あとそれに僕の体の中にも火の力があるんだって。うんとね、僕だけじゃなくてトーマもキルチェも生きているものにはみんな火の力を持っているんだって。それでさその時に、そんなに身近にあるんだったら風を操るように火も使えないかなって、ふと思ったんだ。そうしてポム爺さんに教わりながらやってみたら、紙に火を点けることが出来るまでになったんだよ!」

 ミルトはきらきらした目で母親を見つめると得意げに言った。


 マレスは息子の話にいちいち頷いて聞いてあげ、両手を胸の前で組み自分の事の様に喜んだ。

「まあ、すごいじゃない。そんな火まで操れるようになるなんて。それじゃあ今日はお祝いしなきゃね」


 マレスは息子の頭を優しく撫でてから台所に向かった。マレスは竈の前に来ると楽しげな目でミルトを見て手招きをした。

「ねえねえ、じゃあお母さんにもその力をちょっと見せてくれない?」


 ミルトは喜んで母親の元に駆け寄り竈の前に立った。本来竈に火を点ける作業は少し面倒で時間のかかるものなのだが、ミルトが意識を集中した指先を竈内の薪に近づけると、火花が散り薪の一本が一瞬で燃え上がった。


 マレスは目を見張り、すごいすごいとはしゃいで息子を抱きしめた。ミルトは胸に抱かれながら母親の喜ぶ姿を見ることが出来てとても満足だった。


 ミルトはいつもより少し豪勢な食事を食べ、幸せな気持ちで眠りについた。


 マレスはミルトがちゃんと寝ている事を部屋を覗いてそっと確認すると、戸棚にしまっておいた籠を取り出してあの裁縫の続きを始めた。

 それはもうすぐ来るお祭りの日に息子達に着せてあげるための服だった。

 彼女は内緒で仕上げたこの服を渡して喜ぶ息子達の様子を思い浮かべながら、毎日夜遅くまで糸を通していたのであった。




 慎月祭の日がやって来た。


 慎月祭は二年に一度開催される大きなお祭りで、赤い月が青い月に丁度丸一日中隠される時期に行われている。


 何故この時期に祭りを開くのかというと、この青い月しか空に見えない時期を慎月期と呼び、この慎月期の期間だけは外界の獰猛な獣たちが絶対に街を襲ってこなかったという昔の慣習があったからであった。


 それはこの慎月期が、今のような高い城壁も立派な軍隊もなかった時代の人々にとって、外界の獣の襲来という驚異から唯一息をつけた期間であり、今までの無事を祝いそしてこれからの鋭気を養うということで宴を開いたのが始まりとされている。


 そして普段はゆっくりと休む事の出来ない街の護衛の人の代わりに、この時期だけは街人が代わりに武装をして街の警備をしたという逸話も残っていた。


 その名残でこの街の慎月祭では男性は武装して街を歩くという習わしが出来ていたのだった。


 この日は、本物の国の兵士達もいつもより煌びやかな鎧を身に纏い、よそ行きの衣装で街中を行進していた。街の人々もそれぞれが自慢の武装を着込み剣や槍、弓などを持って街の中を歩いている。


 裕福な家の者達は、金や銀、宝石で彩られた豪華な甲冑を身に纏って、まるで夢の国から来た騎士の様な姿の者もいた。一般の街の人々も先祖代々伝わる鎧などを着込み、この日だけは精一杯着飾って見せていた。


 長剣を背に背負う者、斧を腰に帯びる者、弓や槍を手に持ち歩く者など様々だった。魔法の心得がある者は裾を引きずる様な長い法衣を着て杖を持っている者もいた。


 街中の至る所で自分の腕前を示す事が出来る場所が設けられ、剣技や演舞、組み手や武道会など自分の晴れ姿や力量を人前で披露していた。


 この祭りでは男性は凜々しく武装しているが、女性の方も美しく着飾っている。


 昔からこの時期に異性と巡り会うとその相手とは縁起が良いとされ、今ではこの祭りが男女の出会いの場となっていた。


 この国の慣習では普段は女性が男性に声をかけるというのはあまり相応しくないとされているが、この時期だけは別でそれが美徳だとされていた。ゆえに特に独身の男は勇ましく、そして女性は美しく着飾って街の中を歩き回り、運命の相手を探そうとしているのだった。




 その祭りの日、ミルトは朝寝坊をしてしまった。明日の祭りの事を考えると興奮してなかなか寝付けなかったのだ。


 トーマとキルチェが家まで迎えに来て、マレスが起こそうとした時にやっと起き出してきた。寝ぼけ眼のミルトに二人は文句を言って支度を急かし、ミルトも謝りながら急いで準備をした。


 やっとミルトの支度が終わり三人が出て行こうとしたところでマレスは皆に声をかけた。

「ちょっと待って。今日は慎月祭でしょ、私から皆へ贈り物があるの。受け取ってちょうだい」マレスは隠してあった大きな紙袋を持ってきて、彼らに順番に手渡していった。


 三人は何だろうとわくわくしながらそれを受け取り、重さや紙袋の手触りを確かめたりしていたが、ミルトが真っ先に訊ねた。


「お母さん、これはなに?」ミルトは紙袋を光りにかざして、その中身の様子を透かして見ようとしている。


「さて、何でしょう?」マレスは子どもの様な目で逆に訊ねてきた。


「開けていい?マレス母さん」もう我慢出来ないとトーマが言う。


「もちろんよ。皆開けてみて。気に入ってくれると良いのだけれど」


 三人で一斉に紙袋の中身を引っ張り出すとわあと大きな歓声をあげた。


 それは革製の鎧の様に見えた。


 しかしその素材は軽くて手触りも柔らかく感触は革とはまるで違っていた。良く見てみると厚手の布を何枚も重ね合わして縫っていて革に似せているのだ。


 その鎧の様な服は、胴体部分が完全に覆われている形状の物でかなり細部まで細かく造られていた。胸板の箇所が厚く盛り上がっていたり、肩には大きめな肩当て、腰には逆三角形状の腰当てが四方に付いているなど、城の一般軽装武装の革鎧にそっくりだった。


 それは名前をつけるならば布鎧の服と言えるだろう。


 ミルト達は目を輝かせて騒ぎながらその服を身につけた。三人とも体格は違っていたがマレスはきちんと考えて縫っていたので、皆寸法は完璧だった。


 三人は着終わるとお互いを検分し合った。自分の姿だけでもそれっぽいのに三人寄るとまるで本物の鎧を着ている様な感じがする。


 興奮気味の子ども達にマレスは首を傾げて訊ねた。

「どうかしら、気に入ってくれた?」


 三人は良い言葉が出ずに、うんうんと勢いよく頷くと、マレスに力一杯抱き付く事でとびきりの嬉しさを表現した。ミルトが弾んだ声で言った。

「ありがとう、お母さん。僕こういうの着てみたかったんだ!」


「すごいよこれ!本物みたいだ。ありがとうマレス母さん」トーマの声も弾んでいる。


「うんほんとに格好いいよね。僕これを一生の宝物にします」キルチェは自分の服を大事そうに撫でながら言った。


  マレスは三人の心から喜ぶ様子を見て自分も嬉しくなり、皆をぎゅっと抱き締めてから送り出した。

「さあ、気を付けて行ってらっしゃい。もう祭りは始まっているわよ」


 三人は並んでマレスに向かって敬礼をすると、大きな声で行ってきますと挨拶をして、元気に外に飛び出していったのであった。

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