第一章 二話
ミルト達は細く入り組んだ裏路地を喋りながら家路についた。
ひと気のほとんどない寂しげな道だ。
「しっかし、ミルトはいいよな~、魔法が使えて」
トーマが両手を頭の後ろで組み羨ましそうに言い出した。
「だからあれは魔法じゃないよ。ただ精霊にお願いしてるだけだし」ミルトは淡々と答える。
「それがうらやましいんですよ。僕らには出来ない事ですからね」キルチェは小さく溜め息をついた。
ミルトは少し考えながら言う。
「前にも言ったけど、僕もこれってはっきり分かって使えているんじゃないんだよ。精霊らしきものがその付近にいるって感じる事ができてから、その感じたものに、ああして欲しいこうして欲しいってお願いをすると、ちゃんとそのものが願いを叶えてくれるんだよ。でもそのお願いは凄い簡単なものに限られるけどね」
ミルトは立ち止まると、路地の吹きだまりに溜まっている枯れ草の山に目を向け、意識を心の奥底に引き下げて、ぼそっと呟いた。
―風の精霊達よ。風を吹き上げ、あの枯れ草達を巻き上げておくれ―
すると突然どこからか突風が吹き込んできて、枯れ草の山がその巻き起こった風で竜巻状に一気に舞い上がった。そしてしばらくすると、はらはらと枯れ草の雨のように彼らの元へ舞い降りてきた。
トーマとキルチェはおおすごいと口を開けてその光景に見入っていた。
トーマはミルトの方に身を寄せると肩を抱き寄せてふざけた口調で言う。
「なあ頼むよ、ミルト!俺にもその力を分けてくれよ」
キルチェも頷いて真面目な口調で続いた。
「そうですね。その力はきちんと仲間に分配するべき物です」
「う~ん、僕もそうしてあげたいのだけれども、教えようがないのだよ、君たち。やはりこの力は選ばれし者の力って事で……あははっ」
ミルトは真面目な口調から一転明るく笑うと、仲間からの突きや蹴りでのちょっかいから逃れた。
ミルトは小走りで少し逃げた後、くるりと振り向き仲間の方に心配そうな顔を向けた。
「でもさ、さっきのあれくらいならばれないよね?カデ達に向けて少し力を使っちゃったけど」
それを聞いた二人は安心させるように答える。
「いやあ、大丈夫だろ」とお気楽な口調でトーマが言う。
「結構遠くで、しかもちゃんと隠れてやりましたからね。問題ないでしょう。それに、あいつらはあれが僕らの仕業だって事すら分かってないはずですから」キルチェも頷いた。
「あ~でも、ポム爺さんには今日あいつらに向かって〈力〉を使った事は知られないほうが良いかもな。絶対に他人にばれるなっていつも言ってるからさ」トーマは少し眉をひそめて二人を見回した。
「そうですね。そのほうが良いかも。もしこのミルトの力の事が街の人や城の役人達に知られると、かなりやっかいな事になるらしいですからね。ポム爺さんに知られるとやはり怒られる可能性があります」キルチェも眼鏡を直しながら心配そうに言った。
彼らが言う、このポム爺さんというのは、街のはじの閑散域の深い森の中でひとり気ままに暮らしている爺さんの事で、何も知らない一般の街の者からはかなり気難しいと思われている人物の事であった。
だがこのポムという爺さんの正体は、この世俗から隠遁した大魔法使いである〈賢樹〉と呼ばれる者の一人であり、そしてその中でも位の高い〈大賢樹〉と称されるほどの人物なのだった。
彼ら少年達の保護者でもあるポムは、ミルトのその力を絶対に他の者に見せびらかしてはならんとミルト達にきつく命じていた。
それはそのミルトが持つ才能は非常に稀有なものであり、もし王国側に知られれば王国の精霊研究機関での研究対象として、王国側から徴用なり召喚命令が来てしまう程の才能であったからである。
「それじゃ、また明日~」
ミルトは二人と教会の宿舎棟の前で別れた。
その宿舎棟は白い木板貼りで造られた質素な感じのかなり古い建物であった。
この教会にトーマとキルチェは住んでいた。
二人はこの街の孤児であり、教会が運営するこの孤児院に養われている身であった。
宿舎棟にはそのような孤児の男女が合わせて十数人いて、その子ども達は、トーマ達と同様に質素な暮らしをしながらも元気に明るく暮らしているのであった。
ミルトは教会で二人と別れると走って家路についた。
教会域から少し離れて、丘を二つ越えた先の住宅域にミルトの家はあった。
街を取り囲む巨大な外郭に近づくにしたがって区画の階級は低くなっていき、ミルトの家のこの辺りはもう下層区画と呼ばれている。
この区画になるともう綺麗な石造りの建物はだいぶ減り、木造の古い家屋が多くなって少々薄汚れた印象のある街並みになってきていた。
ミルトの住む家も木造でだいぶ古いのだが、手入れはかなり行き届いている家だった。
壁の板材が腐っていたり穴があいている箇所は板できちんと補修されていて、窓の硝子は全部綺麗に磨かれ、いつも玄関前はきちんと綺麗に掃除してあった。
そしてその玄関の脇や窓辺には色とりどりの花が植えられた植木鉢があり、小さな可愛らしい赤や黄色の花が、この家の印象を古いながらもとても清々しく見せてくれていた。
玄関先についたミルトが元気良くただいまと扉を開けると、家の奥からすぐに優しい声でおかえりという返事が返ってきた。
ミルトは奥の台所に走って行き、夕ご飯の支度をしている母親の腰に抱きついた。
「ただいま、お母さん。なんか手伝う事ある?」ミルトは少し甘えた声で言う。
ミルトの母親のマレスは手を休めて、ミルトの頭を軽く撫でて答えた。
「お帰りなさい。んー、そうね……今は特にはないかな。まだもう少しかかるからちょっと待ってて」
ミルトはおとなしく食卓の椅子に座り、母親の料理をする後ろ姿を眺めながら待っていたが、次第にじっとしていられなくなり、いま自分が手伝えそうな事を探し始めた。
台布巾で食卓を拭いて食器と箸を並べたが、それもすぐに終わってしまった。
ミルトは他にやる事が何かないか見回していると、大瓶にいつも溜めてある飲み水がだいぶ少なくなっているのに気づいた。
ミルトは母親にちょっと水を汲んでくると言って手提げ桶を持つと、清潔な水が汲める街の中央の水汲み場の井戸に向かったのだった。
ミルトは少し薄暗くなり夕日の光が街の景色を赤く染め始めた道を急ぎ足で歩いた。
そして曲がりくねった細い裏路地を、出来るだけ近道を使いながら下層域を抜けていった。
そのうちにミルトはユセイラ川に繋がる小川にかけられた橋にたどり着いた。
その時ミルトはその橋の上に一人の少女が立っている事に気が付いた。
彼女は橋の中央の欄干に手をかけて、川のせせらぎの音を聞いているかのように静かに佇んで赤い夕焼け空を眺めている。
その橋の上には他にも何人か通行人がいたのだが、ミルトは彼女を一瞬で見分ける事が出来て、その目を奪われてしまっていた。
その少女は今日の昼間の街の大通りで、危うくぶつかりそうになったあの銀髪の綺麗な少女なのだった。
ミルトはゆっくり歩いて近づきながら、まだ彼女がこちらに気づいてないのを利用して彼女をこっそりと観察し始めた。
まず目がいくのはあの綺麗で滑らかな髪だった。背中まである銀色の髪がとても軽やかに風に舞っている。
彼女の着ている青色のひとつらなりの服は、艶やかな光沢のある美しい生地で出来ていて、彼女の容姿にとても似合っていると思えた。
そしてここから見える彼女の横顔は、あの昼間にぶつかりそうになった時とは違って今はあまり表情はないが、目鼻がとても整っていてかなりの美人であると感じた。
ミルトがなんだかお人形さんみたいだなと思って見とれていると、彼女はミルトの熱い視線を感じたのか後ろを振り返ってきて、一瞬お互いの目と目が合った。
ミルトは今まで感じたことの無いような強烈な心の動揺を感じて、急いで目を伏せ駆け足でその場から立ち去った。
ミルトは夕暮れ時で良かったと思った。目が合った瞬間、顔に血が昇って顔が真っ赤になったのが自分でも分かったからだ。
わき目も振らず目的地に向かい、水汲み場に到着して水を桶に入れる時もあの子の事がどうにも頭から離れなかった。
戻る時にまたあの橋を通ると思うとなんだか胸がどきどきする。
早くした方が良いのか、ゆっくりした方が良いのか分からなくなってしまった。
散々迷ったミルトは来た道を急ぎ足で戻る事に決め、またあの子に逢えるかと期待を込めて橋の所にたどり着いたが、その時にはもうあの少女の姿は何処にも見当たらなかった。
ミルトは少なからずがっかりしてとぼとぼ家路についた。
家に帰って夕ご飯を食べててもあの少女の事を考えたりして彼の心はここにあらずな感じであった。
母親のマレスはそんな息子の態度の変化に気が付いたのか、黙って暖かく見守ってあげていた。
ミルトは浮かれた様な顔をしたと思ったら、ふさぎ込む様に溜め息をついたりして、凄くころころと変わる表情をみせていたのだ。これなら彼の事を少しでも知るものは、すぐに色恋に関わるような何かがあったのだと簡単に推測出来ただろう。
夕食を食べ終えたミルトは、この日はもう早々に寝床につく事にした。
だが何度も寝返りを打ち、布団をかぶって目を閉じているのだがどうにも眠る事が出来なかった。
ミルトはこの夜、生まれて初めての眠れない夜を過ごすことになった。
ついに寝るのを諦めたミルトは、寝具に寝そべりながら窓から見える半分欠けた青い月を眺めていた。雲一つない夜空に浮かぶ青い月は、暗い闇の中で明るく光り輝いている。
その青い月の光は橋の上の彼女を連想させ、ミルトの胸の奥を熱くざわつかせた。
ミルトは青い月を見ながら思った。
あの子をこの月みたいにずっと見つめられたらどんなに良いだろう。
ミルトは青い月の光の中でいつしかゆっくりと眠りに落ちていた。
朝が来て、ミルトが目を覚ますともう日はかなり昇っていた。朝の鐘の音もすでに鳴り終えた頃である。
ミルトは母親におはようと朝の挨拶をすると、急いで朝ご飯を食べ終えて、水を汲んでくると言って勢い良く外に出て行った。
だがとても気が急いていたので、建前で言った水を汲むための道具はうっかりと忘れてしまっていた。
ミルトは一晩経って考えると、昨日の夕方にあの子を見た光景はもしかしたら夢だったのではないかと思い始めていた。それを確かめるためにも外に飛び出したのだった。
それに自分ならあの子にもう一度会えるかもという根拠のない自信を持って、あの少女を見つけるべく街の人の多く集まる場所を選んで歩き回っていった。
昨日出会ったところはもちろん中央広場の噴水や、水汲みの井戸場を数カ所回り、そして景色の良い川沿いを歩いた。
ミルトはあの子は水辺が好きそうな気がすると思っていた。
橋の上で再会したからなのか、彼女の着ていた服の色が青かったからなのか、それとも彼女の澄んだ青い瞳のせいなのかもしれない。
とにかく彼女の雰囲気は水を連想させるものを持っていた。
ミルトが川のそばで開かれている市場の中をきょろきょろしながら歩いていると、横から明るい元気な声で呼び止められた。
「あらおはよう、ミルト。こんな所で何してんだい?珍しい」
馴染みの食堂兼麺麭屋の女将シーメルが話しかけてきたのだった。彼女は市場の出店で麺麭を売っているところだった。
ミルトはどきっとしてどもりながら挨拶を返した。
「あっシーメルおばさん、お、おはよう……」
「あら?今日は一人なんだね。んん?なんかいつもと違うわね」シーメルおばさんはミルトの心を見透かしたかのように、にやりと笑っている。
ミルトがおどおどしていると、シーメルは笑顔で言い出した。
「まあいいわ、これをお母さんに届けてちょうだいな。うちの人の新作。試しに食べてみて後で感想聞かせてねって」そう言って香ばしい匂いの放つ温かい紙袋を押しつけてきた。袋の中を見てみると、中には焼きたての麺麭が入っていて、とても美味しそうな匂いも一緒に詰まっていた。
ミルトはその匂いで腹が鳴り、もうそろそろ昼めし時だと分かり、一度家に帰ることにした。
ミルトはシーメルにお礼を言い市場を後にした。
帰り道も目をあちこちに向けあの少女を探したが見つからず、家の扉を開けて暗い声でただいまと声をかけた。
すると、家の中から何種類もの明るい声でおかえりという言葉が返ってきた。
居間の食卓でマレスとトーマとキルチェが一緒にお茶を飲みながらミルトに笑顔を見せていた。
マレスは笑いの残った顔で一緒にお茶をしていた二人に向かって言う。
「ほらね。ミルトはごはんどきにはちゃんと帰って来るから、もうそろそろ帰って来ると言ったでしょう」子どものような得意げな口調だった。
マレスはみんなを見回して言うと台所に向かった。
「さあ、みんなでお昼ごはんを食べましょう」
野菜の煮込み汁だけの質素な昼食だったが、みんなで食べる食事はとても楽しく、ミルトが貰ってきた麺麭もみんなで分けて美味しくいただいた。後片付けは子ども達だけでやりマレス母さん孝行をした。
そして子ども達は元気な声でマレスに行ってきますと言うと、今度は三人で勢いよく外に飛び出して行ったのであった。
家に残ったマレスは気をつけてねと言って子ども達を玄関先から見送った。
そしてマレスは居間に戻ると、戸棚に隠してあった大きな籠を取り出して、その中にあったやりかけの裁縫仕事の続きを楽しげにやり始めたのであった。
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