分界物語 (分けられた世界の物語)[精霊域のミルト]

きまぐレニー

第一章 一話 運命の出会い

少年達の楽しそうな声が連環都市群ファルメルトの寂れた住居区画に響き渡る。


「ミルトっ!この路地から逃げようぜ!」


「うん、分かった。キルチェも早くっ!」


「ちょ、ミルトもトーマも少し待ってくださいよ……」


 彼らは楽しそうに、そしてたまに後ろを振り返りながら、まるで追っ手を気にする逃亡者の様に走っていた。


 彼ら三人組の少年達は都市の薄暗い路地裏を元気一杯に駆け抜けていく。


  少年達の容姿はみんな十代の前半くらいであり、着ている服は一目でこの街の下層域の子ども達だと分かるだいぶ着古した物であった。


 先頭を走るミルトと呼ばれた細身の少年は、綺麗な赤い髪とその端正な顔立ちから、なかなか異性にもてそうな雰囲気の少年であった。その走る姿もとても軽やかで、運動神経もかなり良さそうに見えた。


 その次を走るのはトーマと呼ばれた少年で、彼は見た目の幼そうな服装の割には長身で体格もなかなか良かった。彼は茶色の髪を後ろで無造作に束ねていて、やんちゃそうだが憎めなそうな笑顔がとても印象的な少年であった。


 そして彼らと少し離れて最後尾を走るのは、キルチェと呼ばれた少年だ。彼は小柄な体格で他の二人と比べるとだいぶ華奢に見えた。それは彼が茶髪のおかっぱ頭で丸い眼鏡をかけているので、なおさらそう見えたのだろう。


 彼ら三人組が細い裏通りを駆け抜けて、街の大通り〈黄銅の道〉にそろそろ差し掛かろうとする時に、一番後ろを走っていたキルチェが先頭のミルトに向かって大声で冗談を言った。


 ミルトは振り返って笑いながらそれに答える。


 そしてミルトは振り返ったその体勢のままで、勢いよく賑やかな商業区画の大通りに飛び出して行ったのであった。




 少年達がその大通りに差し掛かる少し前、同じファルメルトにある環状大通りの一つの〈白銀の道〉から、都市の中央を貫いている〈黄銅の道〉に入ってきた一組の母娘がいた。


 その母娘はとても仲が良さそうに並んで歩き、この街を形作る精緻な煉瓦造りの綺麗な町並みや、等間隔に建てられた特殊な形の街路灯が並ぶ風景を物珍しそうに見渡して、お互いに見た物の感想を楽しそうに語り合っていた。


 そして母親のほうが、前方にあるお洒落な洋服店を見つけて娘に提案するように話かけた。「それじゃあ、今度はあのお店なんてどう?ミラー」


「ふふ。次はお任せ致しますわ。ミレーヌお母様」ミラーと呼ばれた娘のほうは、少しいたずらっぽく楽しげな口調で答えていた。


 この母娘はどちらもこの街では珍しい銀色の髪の持ち主で、二人ともになかなかの美人であった。


 ミレーヌと呼ばれた母親のほうは三十歳位で、そしてミラーと呼ばれた娘のほうは、小柄な体格もあり十代前半くらいに見える。


 特にその娘のほうは、青い色の丈の長い上下ひとつらなりの綺麗な服を着ていて、何となく高貴な雰囲気を感じさせる少女であった。


 そのミラーの耳にどこからか賑やかな男の子達の声が聞こえてきた。

 ミラーは何だろうと何故か気になってしまい、その場に立ち止まって辺りを見回し始めた。


 そしてミラーが少し先を歩いていた母親のほうに顔を向けたその時に、すぐ脇の小道から突然少年達が飛び出してきたのが目に入ったのだった。


 その少年達は三人組で、赤髪の少年と背の高い少年と眼鏡をかけた少年の集団であった。


 ミラーは、先頭を走る赤髪の少年が後ろを振り向いてるので、前方が全くおろそかになっている事に気がついた。


 ミラーはこのままでは母があの子とぶつかってしまうと思い、二人に注意を発しようと息を吸ったが、突然過ぎて声が出せなかった。


 ミラーの視界の先で、赤い髪の少年が母親とまさにぶつかりそうになっていた。


 だがその少年は身軽に身を捻って、危機一髪の所で衝突を避ける事が出来ていた。


 しかしほっとしたのも束の間の事で、その少年はかわした際に体勢を大きく崩してしまっていて、今度はミラーのほうに真っ直ぐ向かって行く事になってしまっていた。


 大きく見開いたミラーの青い瞳に、こちらに向かって来る赤い髪の少年の姿が大きく映し出される。


 ミラーと少年は刹那のあいだ目と目が合い、お互いが相手を避けようと動いた。

 だが二人とも同じ方向に動いてしまい、あっという間にその二人の距離が詰まっていく事になった。


 ミラーはもうぶつかると思い、その場で身を強ばらせるとぎゅっと目を閉じて衝撃に備えた。


 しかし、そのお互いの身体がぶつかる寸前に、今度は二人の間で不思議な突風が巻き起こった。


 少年はその一瞬の風のおかげかミラーの寸前で身をかわし、何とか二人は無事にぶつからずにすんだのであった。


 驚きの冷めないミラーが、その場でしばらく身をすくめて立ち止まっていると、三人の少年達が少し離れた所に並んで立ち、声を揃えてごめんなさいと大声で頭を下げて謝ってきた。


 母娘はその少年達の謝罪を受け入れて許してあげた。


 すると少年達はまた一斉にぺこりと深く頭を下げてから、通りの奥のほうに向かってまた元気に走り出して行ったのであった。



「大丈夫だった?ミラー」

 ミラーがしばらくぼうっとしながらその場に立っていると、ミレーヌがミラーに近づき話しかけてきた。


「え?うん。私は大丈夫。特に何も無かったし。びっくりしただけで」

 ミラーは少年達が去って行った方をじっと見つめながら答えている。  


 娘の顔をちらりと見たミレーヌは何か察したような顔つきを見せた。

「あの子達って貴女と同じ位の年頃だったわね。だったらこんなに大きな街だけど、たぶんまた何かですぐ逢えるわよ」


 ミラーは母親の言葉にうんと生返事をして並んで歩き出した。


 だがミラーは、まるで心を囚われたかの様に、先程の赤髪の少年の事をずっと考えていた。


 あの時……あの子との間に巻き起こった不思議な暖かい風。

 とても強い風だったのに気持ちが良くて何か不思議な感じがした。

 あれってもしかして魔法なのかな。

 ううん、あれはたぶん違う。

 なんか精霊達が自然と守ってくれたような……。

 え?という事はまさか精霊術?

 ……どうなのだろう。

 でもそれよりも、あの男の子とはもう一度会って、今度はちゃんとお話をしてみたいな……。


 ミラーはほんの一瞬出会っただけのあの赤い髪少年の事が、何故かずっと頭に残り、気になって仕方がなかったのであった。




  一方、赤髪の少年ミルトも走りながらあの少女の事を思い返していた。


 あ~危なかった。でもこの辺りであまり見たことない母娘だったな。

 あと、あんな間近で女の子を見たのは初めてだ。

 それになんかすごい良い香りもしたし……。


 ミルトが走る速度を落として、後ろをちらちら振り返りながら駆けていると、長身の少年トーマがからかうような口調で声をかけてきた。

「まったく気をつけろよな。ミルトォ」


 ミルトは、そのからかいの言葉に黙って走りながらの跳び蹴りで返事をした。まあ、それはあっさり躱されたのだが。


「確かにトーマの言うとおりです。もう少しであの女の子に怪我をさせるところでした」眼鏡をかけた真面目そうな少年キルチェが、即座にその話に乗ってきた。


 トーマは、走りながら腕を胸の前で組みうんうんと頷いている。


 ミルトは大げさに溜め息をついて、同じく走りながら降参の仕草を見せた。

「はいはい……確かにそうですね、キルチェくん。……でもさ、あん時はキルチェが後ろを振り向かせたからで……って、もうかなりつらそうだな」


 ミルトはそう言ってからキルチェの表情を確認すると苦笑するように笑った。

 キルチェは凄い苦しそうな顔をしながらも、とても冷静な口調で話していたのだった。


 彼ら三人組は街の裏道と脇道を駆け抜けて、自分達の勝手知ったる一般街の裏路地に入ると、やっとそこで一息ついた。


 疲労困憊のキルチェはふらふらと石の階段に崩れ落ちて呟いた。

「も、もう……動けない……」キルチェは息も絶え絶えと言った感じだ。


 トーマはキルチェのそばの石壁に寄りかかると笑い声をたてた。

「へへっ、キルチェは体力無いよな」


「むっ、そんな事言わないで下さいよ。トーマだってはあはあ言ってるのに」

 キルチェは膨れっ面で答える。


「ほら、あれ見てみ」トーマはそう言うとミルトを親指で指差した。


 ミルトは特に疲れた様子も見せずに、曲がり角に戻って半身で建物の陰に隠れながら元来た道をうかがっている。


 それを見たキルチェは溜め息をついて肩をすくめて言う。

「あれはミルトの方がおかしいんです……」


 しばらく周囲を警戒するように後方を見回していたミルトが皆の元に戻ってきた。「うん。大丈夫だな。誰も追っ手は来ないよ」


 ミルトは二人に朗らかに話しかけて、服の袖口で額の汗を軽くぬぐってから、キルチェの横の石階段に腰を掛けた。トーマとキルチェも吹き出た汗を襟元や服の裾で拭っている。


 三人の格好は、皆同じようにつぎはぎや縫い合わせなどの補修箇所の多い、お下がりのお下がりの様な服を着ているのだが、とりあえずはその服の洗濯は行き届いているようで、そんなにみすぼらしくは見えない格好をしていた。トーマとキルチェの服装は似たような上下淡い栗色の少年の街着だが、ミルトは灰色の肌着を着てその上に焦げ茶の上着を着たりして、少々お洒落な格好をしている。


 ミルトは皆の息が整って落ち着くのをしばらく待ってから、不意に足下の石を掴むとぽーんと宙に放り投げた。


「ひゅーん……べちゃー!」

 ミルトはその石の動きに合わせて、面白おかしくそう言い放った。


 それを聞いた二人は今日の事を思い出しておもわず吹き出した。


 ミルトも一緒になって笑いだし、三人でひとしきり笑った後、トーマが身を乗り出して言った。

「いやー、やったよな。あんなにうまくいくとは思わなかったぜ」


「そうですね。やはり連携の上手さの勝利でしょう」キルチェは感慨深く言う。


「うんうん。あいつらの顔ったら……」ミルトはくすくすと笑った。



 彼ら三人の今日の成果と言うのは、街の中で目が合うといつも突っかかってくる同年代の嫌みな少年達に、一泡吹かせてやったと言うものであった。


 その嫌みな少年達と言うのは、裕福な階級層に生まれた子供達で、一般区画街に住む者に強い差別意識を持つ少年達であった。


 彼らは徒党を組み、街の子供達に威圧的な態度で接していて、時には弱い者いじめをする事もあるので、一般の街の子ども達に恐れられまた嫌われてもいた。


 その彼らの中心的な立場にいるのは、高級官僚の子供のカデとリポという兄弟で、その兄弟はミルト達より二つほど年上であり、体格のほうはどちらも横に立派で、そしていつもきらびやかで派手な格好をしている少年達であった。


 一般街に暮らす少年達にとっては彼らは天敵のようなもので、しょっちゅう泣かされてもいた。


 そんな彼らに対抗出来る同年代の一般街の子供はミルト達くらいなもので、ミルト達は虐められている街の子供達を助ける事もしばしばあった。


 ミルト達はその事で一般街の子供達から尊敬の念を集めるのだが、カデとリポ達はまたそれが気に入らないのだった。




 今日のミルト達は朝から三人で遊んでいて、カデ達を街中で見つけるとそっと後をつけ、皆の日頃のお返しをしてやろうということになった。


 作戦を考えたキルチェが参謀長官になり、トーマが偵察部隊、ミルトが実行部隊と言う役割になった。


 キルチェが今回考えた作戦は、彼らが興味を持って足を止めそうな物を、彼らが通る道の木の真下に置き、それに意識を向けている時に頭上から木の実を落とすというものである。


 キルチェは彼らの動きを分析して行く先を推測し、その偵察をトーマに任せると、近場の雑木林から二つの物を見つけ出してきて実行部隊のミルトに渡した。


 ミルトは目をきらきらと輝かしてそれを受け取り、大事そうに抱えると彼らの先回りをするべく動き出した。


 ミルトの右手には、自分の拳ほどの大きさもある鎌持ち虫の卵の塊がある。この鎌持ち虫と言うのは街の少年達に大人気の昆虫だ。


 そして左手には熟れてぶよぶよした果実がある。これはクセエの実と言う名の果実で、本来はなかなか美味で薫り高い果実なのだが、熟れてしまうともの凄い臭気を発する恐ろしいものだった。さらにこの果実はある畏怖すべき二つ名を持ち、それは〈肥溜めの咆哮〉と呼ばれるとても怖ろしいものであった。


 ミルトはキルチェの指示通りに、街路樹の真下の路上に鎌持ち虫の卵を置き、その頭上の木の枝にクセエの実を配置すると、遠くの茂みに隠れてその時を待った。


 キルチェの読みは見事に的中しカデ達がその道に現れた。


 そして彼らは路上の卵を見つけると一斉に近寄ってきて騒ぎながらそれを覗き込んでいた。


 まさしく読み通りであった。


 隠れてカデ達を確認したミルトは意識を集中すると、クセエの実を見ながら一人呟いた。

 ―風の精霊達よ、どうか風を吹かしてあの実を揺らしておくれ―


 するとその木の周りに一瞬だけ小さな風が吹いた。


 その風を受けた枝が揺れてクセエの実が枝から外れ、そしてその実はそのまま真下に落下していった。


 その真下には丁度、カデ達の頭が輪になって並んでいる。


 そしてクセエの実は見事にリポの後頭部に当たり、その中身を一気に弾けさせて、異臭を放つねっとりとした黄色い果汁を辺り一帯に飛び散らせたのであった。


 初めは何が起きたか分からない様にぽかんとしていたリポは、自分の頭から漂うもの凄い臭いに気づいて絶叫した。


 リポだけでなく他の仲間も激臭を放つ果汁を頭からかぶっていて、その液体を振り払おうと、必死に頭を振ったり髪を掻き毟ったりとじたばたしていた。


 その光景はまるでみんなで輪になって狂った様に激しく踊っているかのように見える。


 リポはしまいにその場に座り込み大声で泣き出してしまい、集まってきた見物人の見せ物になっていた。


 それに気づいたカデは顔を真っ赤にして、周囲の人々に悪態をつきながらリポを引きずり、その場からこそこそ逃げ出したのだった。


 彼らが当分の間この事で、街の者から笑われることになるのは間違いなかった。


 こうしてミルト達の今回の作戦は大成功をおさめたのである。

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