セカンドフラッシュ

立川遠音

セカンドフラッシュ

 九月も末だというのに、アブラゼミの鳴き声がうるさい。あふれんばかりに葉を茂らせた街路樹もうっとうしく、自転車を漕ぐ足を早めて帰路を辿った。

 高校二年の秋ともなれば、進学校ではそろそろあらかたのカリキュラムを終える頃だ。三年生になればひたすら受験対策の日々に追われるようになる。世界史の先生も数学の先生も英語の先生も、口を揃えて「今が正念場です」と言う。多分来年の今頃も同じことを言っているのだろう。入学した当時は「身の程知らずのところに来てしまったのでは」と内心怯えていたが、県内で指折りの公立進学校の授業にも、塾なしでそれなりについて行けている。



 マンションの駐輪場に自転車を停め、降りた瞬間にドッと汗が吹き出た。全く、これだから暑いのは嫌いなのだ。家に入れば昨日と同じカレーの匂いがしていた。一晩置いたカレーはうまい。炭水化物をかき込んで、今日の疲れを労おう。

 母がおかえり、と言ってきたので、タダイマ、と返した。ロボットのようで気持ちが悪いが、「タダイマ」とだけ言えばそれ以上の会話をせずに済む。左手薬指の変形治癒痕にかけてもいい、私は母を許さない。

 制服のまま食卓についてイタダキマスと言ったきり無言でカレーをかき込んだ。やはり一晩置いたカレーは最高だ。くつくつにやわらかく煮込まれたにんじん、歯ごたえの優しい玉ねぎ、とろみの増したルウ。毎日これだけでいい。そうして夕飯を取っていると、母がまた私のことを「父に似ていて嫌な奴だ」と言ってきたが、こんなことには慣れきっているのでハイともイイエとも返さなかった。母の言葉と声音と表情と身ぶりをフルに使った悪口雑言は、私が食事を終えるまで続いた。「ああ、今の顔お父さんに似てて最悪!」とか「箸の使い方がお父さんそっくり。気持ち悪いよ」とか言っていた。まあ、世間で言うところの「可哀相な人」なのだろうな、あの人は。「かわいそうな人イコールいい人」という単純なものの見方は、なるべく人生の早いうちに捨てたほうが賢明だ。世間には私より賢い人が沢山いるから、たとえば十二歳とか五歳とかでこの現実に気がつく人もいるのだろうな、と思うと身をよじりたくなるほどの嫉妬の念に駆られた。頭が良いのに越したことはない。頭が良ければ、きっとどんな境遇からでも這い上がれるに違いない。



 食事を終えてゴミ捨てに行き、ようやく風呂に入った。湯船に身を沈め、ほかほかと上る湯気に一日の疲れを労ってもらう。

 今日は英語の単語テストで点を落としてしまった。テストで間違えた英単語を十回唱える。RとLの発音の違いについては、やっぱり何だかよく分からない。もしかしなくても語学の才能がないのだろうか。大学入学後に語学の先生に質問してみようか。大学では英語もやるけど、「二外」という科目もあって、フランス語やらドイツ語やらを選んで学べるらしい。このあいだ「二外のえげつなさ」というタイトルの動画を見てみたら、フランス語は発音がやたらと難しくてドイツ語は単語がひどく分かりづらく、ロシア語に至っては文字からしてちんぷんかんぷんだった。「二外」はスペイン語にしようかな。



 スーパーの特売で買ったさほど気に入っているわけでもないシャンプーとトリートメント、コンディショナーでヘアケア。風呂から上がったら即行でスキンケアだ。化粧水と乳液とクリームは全部ドラッグストアの安物。スキンケアに金をかけたら負け、が私の持論である。

 半袖のTシャツとハーフパンツに着替えてリビングに向かう。母がいたら嫌だな、と思うが、いないわけがなかった。我が家は2LDKで、個室はそれぞれ父と弟に与えられているのだ。本来なら遠方の難関国立大学を目指す私が個室を持つのが普通だと思うのだが、我が家は普通ではないので、個室はいつも男たちのものなのだった。

 今が苦しくても必ず這い上がる。そのための大学受験だ。リビングの時計を見ると十時に近かった。今から復習を軽くやって、十一時には寝よう。





 翌朝、ベランダから差し込む強烈な日の光に起こされた。この家の女はリビングで寝るしかないので、暑い季節には妙に早起きになり、自然寝不足になってしまうのだ。夏が去っていくのにつれてだんだん眠くなっていく体に、この土地の太陽は容赦ない。朝からうるさいアブラゼミの鳴き声を聞かされ、厳しい残暑の中、また遠い距離を走るために自転車を漕ぎ出す。



 学校の教室に入ると、既に大半のクラスメイトがいた。「この数学の問題はこの解法で解いたほうが美しい」とか、「この大学のバイオメディカルの研究は面白そうだ」とか、みんなそういう高尚な話をしている。中にはITのニュースについて英語で話しているらしき集団もいた。彼らは飛び抜けて教養豊かな家庭に生まれたのだ。私はこの学校の授業にはついて行けるけど、そしてそんなにガリガリと勉強に打ち込まなくても難関国立大学を狙うラインに立てているけど、自分は場違いだな、と思う。

 きっと彼らの親は、少なくとも片方が大卒者だろう。家には本棚があることだろう。自分の部屋を持っているのだろう。スマートフォンも持っているに違いない。何もかも私とは異なっていて、私と彼らの間には、同じ高校の同じクラスに所属しているということ以外、何の共通点もない。だからと言うべきか、私は入学当時から誰ともつるむことができず、ずっと一人で過ごしていた。この学校にはそういう人も多いので、何とか浮かずにやって来れている。地元の中学ではこうは行かなかった。地元の公立中学の、スクールカーストの恐ろしさといったらない。進学校様々、偏差値様々である。

 この高校は図書室が結構充実していて、二歳の頃から本を読んできた私でも満足できた。クラスメイトには既に大学で使うレベルの哲学書や思想書を何冊となく読破している人もいて、やっぱり私は、嫉妬する。私の地元の図書館には蔵書が数万冊しかない。それに比べて、大学で使うレベルの思想書を置いているような大規模な図書館が家の近所にある彼らは、とても恵まれている。とてもとても、恵まれている。

 あとからあとから吹き出す汗を使い古しのタオルで拭きながら席についた。昨日テストで間違えた英単語を十回唱え、文庫本を開いた。学校の図書室から借りてきた、クリスチャンの学者が書いたらしい日記のような箴言集のような不思議な本だ。その本から発せられる言葉は私の胸を刺してやまなかった。できれば著者に会いに行って話をしてみたかった。

 母が、父が、弟が、そして私が、いかに偽善でペルソナを塗りつぶした「にせもの」であるかということを、この本は容赦なく暴き、そして静かに糾弾する。一頁ごとに赤線を引きたい言葉がいくつもあった。けれどこれは図書館の蔵書で、私には中古本を買う金もない。今日は九月二十九日。ぺらりと該当の頁をめくる。この本は、少しずつ読むのがいい。示された問いに一日向き合い、噛むように味わうのがいいのだ。

 やがて担任の尾形先生がやって来ると、グループで固まっていたみんながすぅっと散らばるように席についた。



「はーい、おはようございまーす。今日休んでる人手ぇ挙げてー」



 尾形先生。フルネームは尾形千尋。三十代の女性で、このクラスの担任と国語の授業を受け持っている。授業はとても面白いし、ぱっぱと進むし、仕事ができる人なんだろうなと思う。だからなのか、こんなに適当でざっくばらんな振る舞いも、何だか似合ってしまうような人だ。堅苦しいスーツやパンプスは苦手なのだと、普段から比較的カジュアルな格好をしている。ただの白いシャツが不思議とよく似合う。

 尾形先生の祖母はフランス人なのだそうで、栗色の髪とヘーゼルの瞳は生まれつきのものらしく、「学生時代に髪を黒に染めろと言われたが断固拒否した。それでも学校側がうるさかったので、祖母を連れていって教員たちをコテンパンにしてやった」と話していたことがあった。その話を聞いたのは一年生のときで、私はいたく感激したのだった。

 当時先生は私のクラスの国語の授業を担当してはいたけど、まだ担任ではなかった。尾形先生が私の担任に決まったときには本当に嬉しくて、来年も尾形先生だったらいいな、と思ったのを覚えている。一日の大半を学校に費やしているのだから、せめて担任の先生くらい、憧れの人であってほしいではないか。



「いないな? いないね? では早速、今日の授業のガイダンスを始めよう。先週で単元に区切りがついたから、今日は新しいやつをやるよー」



 尾形先生の授業は、単元から横道にそれた雑談が多い。その雑談がとても面白いのだ。森鴎外が年齢を詐称して医学生になった話は有名だけど、その話について尾形先生が言うには「親がもう少しゆったり構えていれば、研究者になるのなんて楽勝だったろうにね」とのこと。鴎外の親が彼に何を期待していたのかは分からないけど、家計が逼迫していたとか、そんな事情でもあったのだろうか。それから私は鴎外の作品に興味を持ち、図書室からいくらか借りて読んだりもした。尾形先生は生徒の知的好奇心を刺激する天才だと思う。



 今日からは『蜘蛛の糸』をやるらしい。芥川龍之介の短編小説だ。尾形先生はまず芥川龍之介の人となりや経歴について語った。こういう前置きの話はあえてノートを取らないことにしている。経年劣化する安いノートに書き留めたまま忘れてしまうのではなくて、私の耳から脳にしっかり貯めこんでいくのだ。あの家に帰っても、この脳の中身が私を支えてくれるから。



「芥川は『今昔物語集』に材を得た作品も多く執筆している。それを指して芥川には作家としてのオリジナリティ、つまり独創性が欠けていると言う人もいるけれど、そうではないんだ。読んで面白い古典を探し出し、それを現代版として書き上げる。独創的なパッチワークだ」



 先生はいったん教室を見渡して、話を続けた。



「納得いかない人もいるみたいだね。意見を述べたい人は挙手をお願いします」



 はい、と一人の男子生徒が高くまっすぐに手を挙げた。



「芥川のこうした作品に独創性が全くないとまでは思いませんが、やはり物語の土台を他の作品から持ってきている分、独創性という面では他の作家に劣ると思います」



「なるほど。なかなか難しいところを突いてきたね。二次創作みたいなものではあるからねぇ。一色くんの言うように、完全なオリジナル小説よりは、物語の土台作りは簡単だったかもしれない。でもね、他の難しさもあるんだ。まず元にした古典そのものよりも読みやすく、面白いものにしなくてはならない。そして元の古典がテーマとしていた概念を、当時の人々が理解しやすいように作り変えなくてはならない。道徳観は時代によって変遷していくものだからね。物語作りのアイディアは古典にあったとしても、かえって完全なオリジナル小説より難しい面もあるんだよ」



 男子生徒──一色くん──の顔には、「納得いかない」と大きく書かれてある。



「では、この議論については授業後に受け付けよう。ご意見ありがとう、どうぞ座って」



 尾形先生とお話できるなんていいなぁ、私も混ざろうかな。と思ったけど、どうせなら二人でお話がしたい。ひょっとしてひょっとしたら、今度何か本でも持って行ったら、お話をしてくれるんじゃないだろうか。茶菓子を持って行ったら怒られるだろうか。

 そんなことを考えて、授業後くだんの一色くんと共に国語科準備室へ去ろうとしていた先生を、ぎりぎりのところでつかまえてアポを取った。木曜日の放課後なら空いているとのことだ。あと二日あるので、持って行く本を厳選しておこう。

 その日は家に帰ってからも本を読み返した。これで先生との話は盛り上がるだろうか? 小説のほうがいいだろうか? 芥川の小説にしてみようかな?

 それはものすごく久しぶりに味わったような気がする、幸せな悩みだった。



 木曜日の放課後、厳選した文庫本を携えて尾形先生の城へ行こうとしたところで、男子生徒に話しかけられた。一色くんである。



「岩崎さん、これから尾形先生のところに行くんでしょう」



「うん。この本について質問しようと思ってね」



 文庫本を掲げてみせた。悩み抜いて選んだのは、中島敦の『山月記』だ。中学の頃に習った覚えがある、私の好きな物語。



「尾形先生には気をつけたほうがいいよ」



 一色くんが苦笑いしながらこぼす。どういう意味かと問えば、また不思議な答えが返ってきた。



「結構クセのある人だってこと。まぁ、岩崎さんなら大丈夫か」



 それもどういう意味かと問いただしたかったが、時間がもったいない。一色くんにじゃあねと言い残し、駆け足ぎりぎりの早歩きで国語科準備室へと向かった。



「失礼します」



 ノックは三回。緊張しながらおうかがいをしてみたら、扉の向こうからよく通る声で「どうぞ」と返ってきた。嬉しさ七割、緊張三割の気持ちで扉を開ける。



「おー、いらっしゃい。岩崎茉莉花【まりか】さん」



「こんにちは。今日はお時間いただいて、ありがとうございます」



「いいよいいよー。そこのソファーに座ってて。教頭先生が奮発してくれたから座り心地はなかなかいいよ」



 名前を覚えてもらっていたことに内心感激しながら、恐る恐るブラウンの革張りのソファーに腰かけた。ふかふかとやわらかいというよりは、座った人の体重をしっかり受け止めるような固めの座り心地だ。体重を預けやすく腰が疲れにくい。

 目の前にはもう一つ三人掛けほどの長椅子と、重厚な雰囲気の艶やかな木のテーブル。木材はウォールナットか。本当に高そうなソファーセットだ。

 私が緊張でぼうっとしている間に先生は別室で紅茶を淹れてくださっていたらしい。トレーを持ってこちらにやって来た。



「あ、紅茶は苦手だったりする? 確かめればよかったな」



 と言うので慌てて「紅茶好きです!」と答えた。



「そっか、よかった。秘蔵のセカンドフラッシュを出してきたんだよ」



「セカンドフラッシュ、って何ですか?」



 先生もソファーの向かいに座った。トレーには二人分の紅茶に砂糖の瓶が載せられている。



「この紅茶はダージリンって言うんだけど、聞いたことはある?」



「ええと、名前だけなら」



 今この瞬間までダージリンをコーヒーのことだと思っていたなど、恥ずかしくて顔が赤くなりそうだ。さっきから頭に上りがちな血を落ち着かせるために、頭の中で呪文を唱えた。「カンタベリーには行けないよ。」私だけの言葉、誰にも奪われない「ライナスの毛布」だ。手に取れる物なら、他人に破壊されたり盗まれたりしてしまう恐れがあるけど、頭の中の言葉は誰にも奪われない。だから、カンタベリーには行けないよ。



「ダージリンの茶葉には年に三度、収穫期があってね。そのうち春の早摘みをファーストフラッシュ、夏に採れるものをセカンドフラッシュ、秋に採れるものをオータムナルと呼ぶ。このセカンドフラッシュは天然のほのかな甘みが特徴で、マスカットのようなフレーバーがあるんだ」



 まるで辞書のようにスラスラと解説する先生に、また心臓がギューッと絞られてしまうような気がする。英語でこういう人を指す言葉があったな。Walking Dictionary、「歩く辞書」。



「今までコンビニの紅茶くらいしか飲んだことがなくて......先生は紅茶にお詳しいんですね」



「まあ趣味の一つだからねー」



 ここですかさず食いつく。



「他にもご趣味があるんですか?」



「ベタなものから挙げれば、読書、映画鑑賞、テニス。紅茶もハマる人は多いね。比較的マイナーなものだと、ガラス集めかな」



「がらすあつめ、とは」



「ヴィンテージのガラス細工を集めてるんだ。職人技が光るインタリオのブローチなんてもう最高だよ。次ここに来たら見せてあげよう」



「ぜひ! お願いします!」



 やった。やった。思いもかけず「次の約束」ができてしまった。まだ本題に入ってすらいないのに、この盛り上がりようはいいんじゃないだろうか。先生と親しくなれたら、卒業後でもいい、学校の外でお会いできるかもしれない! 私の人生が変わってしまう。とても素敵な方向へ、変わってしまう。

 ほぅ、と息をついて座り直した。生まれてこの方、私の希望が叶ったためしは皆無に等しいので、夢は夢として胸に仕舞っておこう。冷静になろう。でも、だからこそ、しばらくの間は、夢を見せてほしい。神様、あなたはどこにもいないと思うけど、もしいるとしたら、今を生きるよすがを私にください。

 紅茶を一口二口いただく。あんまり甘くなかったけど、一晩置いたカレーよりうまいかもしれない。頬の熱が取れた頃、本題に入るために恐る恐る口を開いた。



「……今日は、小説を持って来たんです。先生と感想を話し合いたくて」



「おお、いいねえ。何々? どんな小説?」



「......『山月記』です」



 文庫本を静かにテーブルに載せる。面白くて、文章が好みで、短くて、盛り上がれそうな小説。先生と語り合いたい小説。心の一部を、先生に明け渡したような気がした。先生はニッと笑う。



「いいねえ、いいねえ。岩崎さんはどうしてこの小説を持って来たの?」



「すごく惹かれるフレーズがあるんです。ええと......『臆病な自尊心と、尊大な羞恥心』」



「ふむふむ。李徴が過去の自分を省みて口にした台詞だ」



「はい。李徴は自分の感情を見誤り、扱いそこねたわけですが、それなら自尊心は自尊心らしく、羞恥心は羞恥心らしくいられるようにするには、どう生きればいいのかなと、思いまして」



 こんな高尚な話、生まれて初めて口にするかもしれない。緊張で心臓が痛い。変に思われやしないだろうか、面白くないものの見方をしているのではないだろうか、私がこんな高尚な話をしようなんて、身の程知らずなんじゃないだろうか。先生は黙って考え込んでいるように見える。



「自尊心も羞恥心も、一人の人間が両方持っていて自然な感情だ。むしろ、どちらかが欠けた人間は、不健全な状態にあると言えるだろうね」



 先生が、私の言葉に応えてくれる。世界の色と音が、鮮やかに、適切に、秩序づけられて配置されていく。花が咲くように。乙女椿の花弁のように。



「李徴のような大秀才の内心は、私には推し量れない。けれど、自分がどこかでふるいにかけられる体験は大事なんだろうね。試験に挑んで戦うという体験は」



「李徴は、自分が天才ではないことが露になるのが恐ろしくて努力も挑戦もできなかったけど、それは甲斐のない人生だ、ということですか」



「うん。少なくとも私はそう思うよ。岩崎さんはどう思う?」



 ヘーゼルの瞳がやわらかな光を宿してこちらを見ていた。そういうやわらかさは、とても鋭くて、本当は痛いものなんですよ、先生。



「私は......私は、自分の話になりますが、希望が叶わないことの多い人生でした。この学校に入れたのも、半分は運です。試験を受けるチャンスすら与えてもらえない人間なんて沢山いるのに、李徴は弱すぎると思います。能力の割に、あまりに弱い。分をわきまえればいいのに」



「李徴に対して『分をわきまえろ』と吐く人は初めて見たよ。岩崎さんの読み方が面白いから、もしよければ、続きを話してくれるかな。あなたと李徴との確執は深そうだ」



「あんな人間が同じクラスにいたら絶対口をききません」



「いいぞいいぞ。もっと言ってやれ」



「天才に限らず、人は誰しも、その能力に応じて、長所を最大限生かしつつ社会と関わるべきです。その義務を李徴は放棄した。人としてのあらゆる義務を放棄した。だから虎になったんです。それも少しずつ少しずつ理性を失っていくという形で。李徴が束の間人の心を取り戻したときに己の所業を省みる描写がありますが、あんなもんじゃヌルいと思います。結局、李徴は反省の仕方も知らなかった」



「コテンパンだねぇ。中島敦が、現代になってもそこまで強く思い入れてくれる若い読者がいると知ったら、泣いて喜ぶ......かもしれない」



 先生はティーカップを手に取った。音一つ立てない優雅な仕草だ。もしかして先生は育ちが良いのだろうか、きっとそうに違いない。少なくとも、私のようには、あんな家には生まれていないだろう。そう思った瞬間、胸の中でチリッと火花が散る。その感情を「想像を逞しくした妬み」だと知っている私は一瞬でそれを抑えつけた。尾形先生のような大人が出来上がってくれるのなら、温室育ち、大いに結構。



「さて、自尊心を自尊心らしく、羞恥心を羞恥心らしく持って生きるには、どうすればいいか? という話だったね」



「はい」



「自分の感情を放ったらかしにしないことかな。負の感情は、見ないふりをしていると、どんどん大きくなり、どんどん悪臭を発するようになる」



「感情の問題なんですか? 理性ではなくて」



「人間は感情の生き物だからね」



 なるほど、おっしゃる通りである。私の観測範囲内では──たとえば父母と弟を顧みれば明白なことだ。



「感情というか、衝動というか、そういうものは、あまり抑えつけないことも大事。なるべく他人を傷つけない方法で発散することもできる。たとえば、テニスとかね」



 先生は長いまつ毛をひらめかせてぱちりとウィンクをしてみせた。そんな仕草も似合ってしまう人だ。一色くんは「気をつけて」と言っていたけど、こんなに素敵な人の、どこに気をつけろというのだろう。



「先生にも感情に振り回されるときがあるんですか?」



「李徴ほどではないけど、感情のコントロールはなかなか難しいなと思うよ。年を取れば自然と大人になれるわけじゃない。年を取っただけのコドモも沢山いる。私たちは行動と思考によって成長していくしかないわけだ」



 行動と、思考によって。先生の言葉が、胸に深く切り込んでくるようだった。まだ借りているあの箴言集を思い出さずにはいられなかった。



 それから私たちは月に一度、木曜日の放課後に国語科準備室でお茶をお供に語らうようになった。先生と過ごす時間は夢のようで、その特別な木曜日の夜には、胸の中にあとからあとから泡が浮かんできてはぱちんと弾けていくのだった。

 あるときは精巧な細工の施されたヴィンテージ・ブローチの美しさに息を飲み、あるときは中国の古典について先生から教えを受け、あるときは私が先生に小説を薦めた。『白鯨』がいかに面白かったかを熱く語ると「あの小説を読み切る人も珍しいが、そこまで好きになる人はもっと珍しいね」と言われたりもした。先生の「あなたは珍しいね」という言葉は私を夢心地にさせた。先生の中に特別なポジションをわずかでも占められたような気がした。

 あるときには私が先生に「どうして教師になろうと思ったんですか?」と問い、先生が熱く語ったこともある。何でも、先生にもかつて憧れた教師がいた、というか、今でも憧れているらしい。その人のような教師になりたいんだと語るとき、先生のヘーゼルの瞳はきらきらと輝いた。そういう様子を見ては、先生は私からの憧れを受け取ってくれているのかな、と少し落ち着かない気分になったりもした。その見知らぬ教師に憧れるあまり、先生は一生徒に過ぎない私のことなど全く目に入っていないのではないか。別に、この感情が憧れでも恋でも崇拝でも何でもいい。ただこの人となるべく長く一緒にいたかった。岩崎茉莉花は他の人間とは違うと思ってほしかった。家に帰りたくなかった。あんな大人たちのいる場所へ戻りたくなかった。学校に住みたいとすら思った。尾形先生とのお茶会は、私にとって生まれて初めての、豊かな人間関係だったと思いたい。



***



 まだ三月だというのに、今日はやたらと暖かく、マフラーを持って来たのは失敗だった。本当は家を出る前に天気予報を見たかったのだが、我が家にある唯一のテレビは、私が家を出るタイミングでちょうど弟がゲームをするために独占していた。さらに母親から「暑くなったらマフラーなんて外せばいいだけでしょ」というお達しが下ったことにより、無駄な荷物を持って来てしまったというわけだ。スマートフォンなりガラケーなりを持てるご身分なら天気予報のチェックなど文字通り朝飯前だろうけれど、私はそのようなご身分ではなかった。使い古しのマフラーを首から外す。風までいやに暖かい。

 今日、私は無事に難関国立文系クラスへの進級を勝ち取った。模試やテストで相応の成績を出し続けてきたおかげだ。

 普段は、個室を持てない私が仕方なくダイニングの食卓で勉強をしていると、弟がいやらしい威圧感をたっぷりとまぶした足音を立てながらやって来る。そして「そこをどけ」と低い声で言ったりする。母が怯えるような、媚びるような声音で「茉莉花、どいてあげて」と言う。私は「向こうに座れば?」と顎で向かいの椅子を示す。すると弟が怒って暴れだし、鋏やらリモコンやらグラスやらを手当たり次第に投げつけてきて、母が悲鳴を上げる──というのが毎度の流れだ。高校受験のときからそんな状態なので慣れっこだが、今回のクラス振り分けにあたっては油断ならなかった。この学校の中にこんな環境で過ごしている人なんているのだろうか。

 私は弟に、母に、勝ち続けてみせるのだ。これからの一年はますます気を引き締めて家庭内の敵を軽く受け流しつつ、何としても第一志望の大学に合格しなければならない。あの家から逃げるためのレールを、丁寧に丁寧に、そして一心不乱に敷いていくのだ。

 今日はクラス振り分け発表の他にも、担任・副担任の発表や、異動する先生の発表があった。尾形先生は別の高校へ異動することになった。私は事前に何も知らされなかった。尾形先生がお茶の時間にそういう話を漏らすことはなかった。いま尾形先生は何人もの生徒に囲まれていて、花やお菓子やハンドクリームなんかの贈り物をたくさん手渡されていて、ちょっと困りながらも嬉しそうで、私が近寄れる雰囲気ではない。「ありがとう。寂しくなるね」とよく通る声が聞こえてくる。この心の状態は、悔しい、とでも言えばいいのだろうか。神はいないと思うけど、もしいるとしたら、この感情に名前をつけてほしい。名前をつけなければ、感情が行き場を失い、やがて腐敗を始める。『山月記』の李徴のように。それだけは嫌だった。美しい思い出に一つの傷もつけたくない。けれど、どうすればいいのか分からない。



 おおかた人がはけた頃、国語科準備室へ向かうことにした。尾形先生がいないならそれでいい、もしいるなら、最後にご挨拶をしたい。準備室の扉をノックすると「どうぞ」とよく通る声が聞こえた。



「先生、こんにちは。今日はご挨拶をと思いまして」



 いつものような雑談はいらない。そもそも、「いつものような」と言えるほどの回数を重ねてはいない。月に一度のお茶会は、片手の指で数え足りる程度しかなかった。



「何も贈るものがなくてすみませんが」



「そんなこと気にしなくていいんだよ。ありがとう」



 尾形先生の声は、本当に感情が宿っているという感じがする。他の人にはそんな印象を持たないのに。感情の出し方をとても上手くコントロールできる大人なのだ、この人は。李徴や、母や弟や、私とは違って。



「今まで本当にありがとうございました。先生の授業、毎回とても面白かったです。それから月に一度のお茶会も、とても楽しかったです」



 深く深く頭を下げた。私も感情を表現する手段が欲しかった。ここで感情を表さないでいつ表すというのか。先生に一歩でも半歩でも近づきたかった。しかしその夢は、今日を境に終わりを迎え、あるいはきっと既に終わっていた。

「カンタベリーには行けないよ。」うん、そうだね、行けないよ。



「岩崎さん、頭を上げて」



 言われるがままにすると、慈しみと呼ぶべきなのか、先生のヘーゼルの瞳には、いつもよりいっそうやわらかな光が宿っていた。



「こちらこそありがとう。月に一度のお茶会は、私もとても楽しかったよ。心の潤いの一つだった」



「本当ですか?」



「もちろん」



 つまらない世辞は言わない主義だよ、と綺麗なウィンク。



「よかったです。少なくともご迷惑にはなっていなかったみたいで」



「迷惑だったら追い返して締め出すさ」



 はっは、と軽やかな笑い声。去り際の時間まで爽やかな人だ。こういう大人に囲まれて育ちたかった、と心底思った。そう心から願い、その願いは願われる前に潰えていたことを知り、また今日から、私の心は迷子の続き。李徴のように人生を放り投げて逐電してしまいたいが、今は春で、何なら昼だ。



「それでは。どうぞお元気で」



「わざわざありがとうね。岩崎さんも、お元気で」



「はい」



 笑って準備室を後にした。先生と話せる機会は二度とないだろう。それだけの信頼関係を築く前に、先生に異動の辞令が下りた。ねえ李徴、カンタベリーには行けないよ。

 駐輪場までずっと「カンタベリーには行けないよ」と唱えながら歩き、自転車にまたがった。春の風は暖かい。校庭の桜はもう蕾ではない。

 先生ともっと話したかったな、それが叶わないなら、他にもああいう大人に出会いたかったな。でも、カンタベリーには行けないよ。

 一年後、必ず大学に合格して家を出る。家から逃げるためにあえて遠方の大学を第一志望に選んだ。難関国立大の法学部に入り、優秀な成績で卒業し、収入の十分高い企業に就職し、一人で生きていくためのレールを敷いていくのだ。失敗は許されない。この失敗とは家族を頼ることになることを意味する。そのようなことは、変形治癒した左手薬指にかけて誓おう、この私が許さない。「カンタベリーには行けない」けど、もっとずっと遠くへ行くのだ。

 どうせ迷子なら、迷ったところで立ち止まるより、何もかも捨てて歩き出そう。一歩でも半歩でも遠くへ行こう。尾形先生のような大人と、人生の数時間でもふれ合えたことに、私の中のこどもが泣いて喜んでいる。こどもよ、私の中のこどもよ、セカンドフラッシュの味を忘れるな。この先一年、心安んじる場所などどこにもないのだから。美しい記憶、頭の中の楽園は、誰にも奪われないのだから。

 私は春の暖かな追い風を受けて自転車を勢いよく漕ぎ出し、また長い帰路を辿りはじめた。(了)

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