部屋【短編】

 学校から帰宅して二階の自室に上がる。円(まどか)の部屋は他の同級生に比べて広い。父と母の寝室はさらに広い。ベッド、勉強机、本棚、液晶テレビが乗っているテレビ台が備えてあるが、それでも部屋のフローリング部分のほうが目立ち、寂しい印象がある。


 テレビ台の横には据え置き型のBOSEのワイヤレススピーカーが鎮座している。マッドブラックのスピーカーは円の部屋の中では異質な雰囲気を醸しだし、音を出していなくてもその存在を大げさに主張している。父が誕生日に買ってくれたものである。


 円はまずワイヤレススピーカーとスマホをBluetoothで繋ぐ。毎日のことであるので、ほとんど無意識にスマホ画面上に指を滑らせる。


 日が少し傾いてきていて、部屋が少し青い。無造作に放りだされているベッドの上の掛け布団をしっかりと直し、その上に座る。


 スマホを操作し、音楽配信アプリで曲を流す。スピーカーから流れる音が円に向かってくる。『HEY-SMITH』というバンドの『Radio』である。テナーサックス、トランペット、トロンボーンが他のバンド楽器に混じって主張している。


 クラスの男の子から勧められたバンドである。授業の合間の十分の休憩時間に黒板の板書はいったい誰が消すのだろうと、ボーっと考えていると話しかけられた。


「ボーっとしてる」


 そう言われたとき、「ああ、私はボーっとしていたんだ」と気づいた。少し恥ずかしくて早口で男の子に言った。


「ボーっとしてたんだね、私。で、なに」


 男の子は不安げに円を見る。


「ごめん。急に」


 円はゆっくりと頷いた。


「だから、なに」


「……次、体育だから。着替えないのかなって」


「……そう。わざわざありがとう」


 円が抑揚を欠いた声で言うと、男の子は背筋を伸ばし、喉を鳴らすだけで、何も言わなくなった。


 気まずい雰囲気になり、それに耐えられずに円は呟いた。


「なんかお勧めの曲ある?」


 男の子が軽音楽部だということを思いだしたのである。


「……なに? よく聞こえなかった」


 円は男の子の目を見て言った。


「最近なにか、お勧めの曲はある?」


 男の子は円の言葉を聞いて、ゴクっと喉を鳴らした。そして満面の笑みで言った。


「HEY-SMITH」


 男の子は満足した表情で教室を出て行った。


 それからなぜか『HEY-SMITH』をリピートしている。好きな曲はとくにない。全部同じに聴こえるからだ。円にはそれが心地よかった。


 同じような曲でいいじゃないか。だって毎回同じ人が作って、同じ人が演奏しているのだから。


 ベッドに横になり、下膊で両眼を覆う。ウトウトと寝たり起きたりを繰り返す。次第に太陽が沈みはじめて橙色の光が部屋を支配する。



 部屋の扉を控えめにノックする音が聞こえる。円はゆっくりと首を扉に向けた。


 母が扉を遠慮気味に開いて顔を出した。


「もう、お風呂湧くよ」


 円は一呼吸おいて答える。


「うん。分かった」


 母は頷いて扉を閉じようとする。後ずさる母を見て、円は扉が閉じる前に、言った。


「お母さん」


「……なに」


「一緒に入らない?」


 円はだらっと身体を起こした。

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