10.エーミールさんは心配性

 護衛騎士に慌てて事情を説明しているエーミールさん。その手には大きなバスケットを抱えている。驚きのあまり、つい彼の名前を呼んでしまった。


 彼も私に気づき驚いていたが、さらに殿下と手を握り合っているところを見て固まってしまった。

 普段はのんびりとしているエーミールさんが顔を引きつらせている姿を初めて見てしまい、改めてと事の重大さを理解した。


 何か聞かれる前に、私は殿下からそっと手を離す。


 離れる瞬間に、彼の手が少し動いて私の指を追いかけようとした。動揺しそうになったが、エーミールさんがいる手前、平常心を装う。


「王太子殿下、無礼をお許しください。ケーキ屋『シャトー・ベルベット』のエーミール・アイメルトと申します。ご注文があったお菓子をお届けに参りましたが、初めての王宮で迷ってしまいまして……」


 シャトー・ベルベットの商品は見た目が可愛くて味も確かなため、貴族令嬢の間でとても人気だ。よくお茶会用に注文が来ているし、お店に出しているものはすぐに売り切れてしまうほどだ。


 その噂をを聞きつけた王宮の誰かが注文したそうだ。


「ルートヴィヒ、受け取って後で調理場に届けてくれ」

「かしこまりました」

「ご迷惑おかけして申し訳ありません」


 ブラントミュラー卿にバスケットを渡したエーミールさんは、こちらをチラと見て、何かを思い出したかのような顔つきになる。


「リタ、宿屋の女将さんが探していたよ。娘さんが熱を出したから薬が欲しいみたいだ」

「急患か、すぐに行ってあげてください」

「はい。殿下、本日はお招きいただきありがとうございました。また、殿下より先に席を立つ無礼をお許しください」

「気にしないでください。看病が優先です」


 私はエーミールさんと一緒に殿下に礼をすると、街に戻った。


 帰り道、エーミールさんからはなぜ殿下と一緒に居たのか尋ねられてしまい、薬の配達中に偶然殿下が怪我をしたところに居合わせて傷の具合を見ていたという苦しい嘘をついてどうにか乗り切った。


「リタは美人で可愛い年頃の女の子なんだから気をつけないとだめだよ? 殿下だって男の人なんだからリタに触れられたら変なことを考えてしまうかもしれないんだし」


 殿下の手に触れた私を叱るのではなく、娘のように思っている私の身を案じてくれているようだ。

 気にかけてくれているのは嬉しいのだが、不敬にあたる発言だ。私はやんわりとエーミールさんを諫めた。


 宿屋の女将さんのところへ行こうとすると、エーミールさんに止められた。思わず彼の顔を見て首を傾げてしまう。

 娘さんが熱を出していると言ったのはエーミールさんだ。それなのに、行かなくていいとは一体どういうことなのだろうか。


「実はね、あれは咄嗟についた嘘だったんだ」

「えっ?! なんでそんなことを?!」

「リタが困っているように見えたからだよ。理由が無いと殿下にお暇させてもらえないだろう?」


 そう言ってエーミールさんは片目を瞑って見せてくる。嘘なんてつけなさそうな人だと思っていたのに意外だ。

 それにしても、この国のやんごとなきお方に堂々と嘘をつくなんて……バレた時のことを考えると肝が冷える。


「エーミールさん……私ちょっと寿命が縮まりました」

「僕は2人が手を繋いでいるところを見て心臓が止まりかけたよ。僕たちの可愛いリタが狙われているんじゃないかと思って」


 どうやら私のせいで父親の勘が芽生えてしまったらしい。よもやそのお方からプロポーズを受けただなんて、言えるはずがない。

 第二のお父様を目の前に、少し後ろめたい気持ちになった。


 それから私はエーミールさんのご厚意に甘えてアイメルト家でお茶を飲み少し休んだ。薬屋の仕事もなくなったので帰ろうとすると、エーミールさんとナタリーさんに引き留められた。


 先日倒れたことがまだ心配らしく、急ぎの仕事がないなら休むように言われたのだ。


 実のところ、クラッセンさんへの妃教育カリキュラムを練りたかったのだが、それを彼らに言えるはずもなく。結局私は、アイメルト夫妻の家でのんびりすることになった。


 シャトー・ベルベットの緑色の扉につけられた可愛らしい看板がCLOSEDの文字を表向きにしてひっくり返されると、私とナタリーさんはお店の隣にある部屋で夕食の準備に取り掛かる。

 エーミールさんはお店の厨房の掃除と明日の仕込みをしているところだ。


 今日は私の好きなビーフシチューを作ってくださることになった。下ごしらえした野菜やお肉をお鍋に入れてコトコトと煮込む。

 手持ちぶさたになっていると、今日の昼間の出来事が思い出される。



 伴侶として欲しいと思っています。



 改めて口にされた言葉が重くのしかかってくる。彼はもしかしたらまた、プロポーズをしてくるかもしれない。私は、どうやって断ったらよいのだろうか?


 今まで引き合わせることは学んできたけど、その逆を見ることなど全くなかった。


「ナタリーさんって婚約を断ったことはありますか?」

「まぁ! もしかして誰かにプロポーズされたの?!」

「い、いえっ! 友だちの相談を聞いていて……」


 ナタリーさんは紫色の瞳を子どもみたいに輝かせる。おたまを手に持ったまま、ずいと顔を近づけてくる。


 よもや王太子殿下からされたとは言えない。しかし、人生の先輩なら答えを知っているかもしれないので私は空想の友だちを使って教えてもらうよう試みる。


「相手はどんな人なの?」

「一度、その友だちのことを助けてくれたことがある人なんです」

「あらぁ! イイ男ってわけね」

「で、でも友だちはその人のことを恋愛対象として見ていないので断りたいみたいなんです」

「ふぅ~ん、嫌いじゃないのに断りたいのは、その子に恋人がいるから?」

「いえ、なんというか……仕事で付き合いのある人なので恋愛対象にできないと言っていました」

「ふぅ~ん?」


 ナタリーさんのふっくらとした妖艶な唇が弧を描く。先ほどの少女のような表情から一転していつもの色っぽいお姉さんの顔になったため、同性でありながらもドキリとした。


 そんなナタリーお姉様から矢継ぎ早に、友だちにプロポーズしてきた彼について聞かれて困り果てていると仕事を終えたエーミールさんがやって来た。


「どうしたんだい、ナタリー? とってもご機嫌じゃないか」

「ふふ、リタと恋の話をしていたのよ」

「えっ……?!」


 エーミールさんがみるみるうちに蒼ざめてゆく。まるでこの世の終わりのような顔をしている。この人の実の娘が恋人を連れてきたらどうなってしまうのだろうかと、まだ見ぬ娘さんに同情した。


「だ、誰なんだい?! 僕たちが知っている人?!」

「い、いえ。私の友だちの話ですよ……ね! エーミールさん! 一緒にポテトの準備しましょ!」

「エーミール、女の子の恋に口を挟みすぎると嫌われるわよ」


 そう言われてしまい、口を閉じたもののまだ何か言い足りないようでいじけているエーミールさん。ナタリーさんはそんな彼を見て愛おしそうに目を細めると、彼の頬にキスした。

 相変わらずお熱い。心の中で「ごちそうさまです」と呟いた。

 

 夕食が終わり、エーミールさんが私を送っていく準備をしに部屋を出る。その間に食器を片付けていると、ナタリーさんがこっそりと耳打ちしてきた。


「さっきのお友だちに言ってあげなさい。仕事のことは考えずに相手を見てあげてって」

「でも……そうしたら仕事が……っ」


 私は殿下のお相手を探す役目を担っているのに、そんなこと、できるはずがない。


「仕事はみんなで補い合えるけど、運命の出会いは誰も代われないし一度きりなのよ? 逃してしまうときっと、一生後悔してしまうわ」


 ナタリーさんはそう言うと、私の頭を撫でて抱きしめてくれた。まるで怯えている子どもを安心させるかのように、優しく。

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