35.それぞれの決断

「リタさん……ごめんなさい」

「フローラさん、何も悪いことをされていないのですから謝らないでくださいな」


 ブラントミュラー卿とフローラさんが来てくれたおかげで、私はなんとか帰路につくことができた。殿下に挨拶をして王城を出て、今は馬車の中だ。

 フローラさんが高速で何度も頭を下げるので馬車の中なのに私のドレスは風でめくれ上がりそうになる。


「夜会の前にお話していたことはブラントミュラー卿への気持ちだったのですね。気づけなくて本当にごめんなさい」

「いえ……実は、デザイナーになりたくて乙女ヒロイン候補の辞退を考えていたことをお話したかったんです。今日、私がデザインしたドレスを着たブルームさんを見てやはりデザイナーになりたいと思ったのです……王妃になるとそれがかないませんので……ブラントミュラー伯爵のことは身分が違い過ぎて……最初から諦めていました」


 そうだ。

 彼女はいつかデザイナーになることを夢見て針子をしているのだった。

 私はそのことにも気づけていなかった。彼女の夢を奪いかねなかった。


「申し訳ございません。あなたの夢のことまで気がまわってなかったのです。ヴァルター公爵夫人に口添えしていただきましょう。きっとあなたなら素敵なデザイナーになれますわ」

「リタさん、私、リタさんのおかげで自分に自信を持てました。それに私を過去から救ってくださったのもリタさんです……なのでごめんなさいって言わないでください」


 フローラさんが両手を握ってくれると、少し心が落ち着いた。


「私を見つけて手を伸ばしてくださって本当にありがとうございます」


 私が見つけた心清き乙女。

 彼女への対応は足りない事ばかりだったのにもかかわらず、こんなにも素敵な言葉をかけてくれる。


 彼女の言葉が私を救ってくれた。

 そっと抱きしめると、彼女はこてんと頭を預けてくれる。


 大いなる力よ、彼女はティメアウス王国のヒロインにならなかったけれど、どうか彼女とブラントミュラー卿の物語の中で幸せな道を歩めるように見守ってあげてください。


 ルルノア様はヴァルター公爵邸まで送ってくださったのだが、お話があるということで着替え終わると家までまた乗せてくださった。


 彼の心遣いに救われた。繁栄の魔法を発動できなかった今、気まずいままヴァルター公爵邸に居続けるのは心苦しかった。


 馬車から降りると、こちらにおいで、と仰って両手を広げられる。

 子どもの頃にもしてくださったように抱きしめてくれた。


「よしよし、リタの悲しい気持ちがお空の果てまで飛んでいきますように」

「ルルノア様、私はもう子どもじゃありません」

「私にとっては結びネクトーラの魔法使いはみな大切な子どもです。リタも、もちろんランドルフもですよ。彼があなたを弟子として連れて現れたときは実に感慨深かったものです」


 ルルノア様はそう仰って頬に口づけしてくださった。


「花が手元に戻ってきても気を落とさないように。心に不測はつきものです。引き続き、あなたの活躍を期待しております。ランドルフもきっと、どこかであなたを応援しているでしょう」


 彼はもう片方の頬にも口づけを落とす。月蒼花メメンカリュエムの香りがして安心感に包まれる。

 天空にしか咲かない、淡い空色の神秘の花で繁栄の魔法を発動させるための力を持っている。

 その花を統べるのがルルノア様。

 彼は姿を人に変えているのだ。


 彼がお師匠様の名前を口にすると、堪えていた涙がこぼれた。

 八方塞がりの今、お師匠様に会いたくてしかたがない。大丈夫だよ、と声をかけて欲しかった。



 ◇



 翌日、ブラントミュラー卿とアレクシス殿下が訪ねてきた。

 体調が悪かった私を心配してきてくださったのだ。


 マクシミリアン殿下も来ようとされていたが、国王陛下に急ぎの仕事を出されてしまい居残りになったそうだ。

 胸を撫でおろした。今はまだ、彼に会うと動揺しそうなのだ。


 ブラントミュラー卿彼は会うなり謝罪してきた。ご自分がフローラさんと結ばれたことに負い目を感じているのが伝わってくる。殿下から交代の打診があったことを聞いてなおさら責任を感じたらしい。


 彼は悪くない。

 2人の気持ちに気づかず仕事を進めていた私が悪いのだ。


「ブラントミュラー卿とフローラさんの気持ちに気づけていなかったんです。今の私は冷静な判断ができていないので殿下のためにも、代わってもらった方が良い気がするんです」

「……すこしお休みになってからまた探してみるのはいかがでしょうか? 気分転換にまた我が領地のセメスサに来ていただけるのでしたら喜んでご案内いたします。ご迷惑をおかけした償いを何かさせてください」


 ブラントミュラー領の領主邸がある街、セメスサ。

 前に一度、ティメアウスの国中を見て周り乙女ヒロイン候補を探していた際にブラントミュラー卿に連れて行っていただいたことがある。


 黒い屋根の建物が並び、統一された美しさがある街並。

 朝市に行くと彼は領民たちに囲まれて次々と食べ物やお土産を持たされていた。


 確かに、今度は旅行として行ってみるのも楽しそうだ。

 しかしそれは、繁栄の魔法が発動してからにしよう。


「それなら、フローラさんのことを一生幸せにしてくださいね」

「もちろんです」


 ブラントミュラー卿ならきっとそうしてくれる。協力者として共に行動することが多かったからわかる。

 

 彼は一度目を伏せて考え込む素振りを見せた。


「もし、本当に他の方と交代するのであればオスカーにお気をつけください」

「ルートヴィヒ! オスカーに対してなんてことを言うんだ!」


 アレクシス殿下は非難めいた声で言うが、本気で怒っているようではなさそうだ。


「殿下の影だからですか?」

「ええ……あの影はとても深い闇を持っています」


 気の置けない友人がブラントミュラー卿からそんな風に言われるとさすがに辛かった。

 他でもない、ブラントミュラー卿が言ったからその言葉の重みを感じる。前に2人が話しているのを見たところだと気の知れた仲のようだったから私が知らないオスカーを知っているのかもしれないけれど……なんだか釈然としない。


「オスカーはこれまでも兄上に代わって私に合いに来てくれた心の恩人だ」

「それが問題なのですよ、殿下。オスカーは特異な存在なのですから」


 アレクシス殿下が口を尖らせて抗議する。どうやら、彼もよくオスカーと会っているようだ。

 マクシミリアン殿下の代わりに会いに行ったり花を届けたりするのだったら気をつけるべき人物ではないように思えるのだけど……。


 特異な存在。

 確かに、主君の影となる人物は何か一線を画すものがあるのだろう。


 それでも、どうして彼に警戒すべきなのかはまだ納得できなかった。



 ◇



 その日の夜、自宅の寝室で本を読んでいたら、カツンと窓に何かが当たる音が聞こえた。開けて下を見ると、オスカーが立っている。彼はいつもの調子でへらりと笑って見せてくる。


 いつも通りの表情。

 そんな顔をされると警戒心が解かれてしまう。ブラントミュラー卿に気をつけるように言われたばかりなのに、見ると彼のお気楽さに縋りたくなる。 


 たとえ彼が殿下の影であったとしても、私にとっては大切な友人だ。悩み事を打ち明け合う仲で気兼ねなく話せる人。

 警戒なんてできない。


「誰かさんに元気がないって聞いて様子を見に来たんだよ」

「夜に婦女子を訪ねるなんてどうかしてるわ」

「友だちの心配に礼儀はいらないだろ?」


 私のことを誰から聞いたのだろう? 

 殿下?

 それともブラントミュラー卿から?


 一緒に散歩しようと提案してくるオスカー。


 こんな真夜中に散歩だなんて、ほんとうにどうかしている。それでも、この苦しい気持ちをどうにかしたくて答えに迷ってしまった。


 彼にもう一度名前を呼ばれると、自然と足は玄関に向かった。扉を開けると目の前に彼が立っている。

 差し出された手を取る。形の整った長い指に、かたい掌。その手がどことなく殿下の手と似ていた。そう感じたとたん、また胸が痛くなる。


 明確な形を持ってしまった気持ちは隠し難い。


 手を引かれて王宮へと続く隠し通路を抜けると、薔薇園に辿り着く。暗闇でも美しく咲く薔薇たち。

 闇夜に花々が浮かぶ幻想的な景色。

 甘い香りを胸いっぱいに吸い込む。


 夜の王宮に勝手に入っても大丈夫なのだろうか?


 不安になってオスカーに尋ねてみるが、彼は大丈夫だと言ってくる。こんなときでも相変わらず適当だ。


 見上げるような薔薇の迷路は、夜に通ると雰囲気が違う。

 まるで本当の迷路のように私たちを惑わし、違う世界へと連れて行ってしまいそうだ。


 どことなく不安を感じた。

 それがオスカーに伝わってしまったのか、握られる手に力がこもる。


「……オスカーはどれくらい私のことを知っているの?」

「さあな」


 水色の瞳が月明かりに照らされる。

 彼の気持ちが分からない。

 気を遣ってくれているのは確かだけど、なんだか読めない。


 視界が開け、白い石でできた噴水が姿を現わす。

 迷路に囲まれた、隠されたような場所。 


「リタは王太子殿下がご執心の特別な魔法使い。殿下のことをどう思ってるんだ?」

「……言えないわ」

「誰も聞いていない場所なら言えるか?」


 オスカーがもう片方の手も握ってきた。

 見上げて彼の顔を見ると、いつになく神妙な顔で私の覗き込んでいる。


 お気楽者で、いつもはへらりと笑っている彼にそんな顔をされると落ち着かない。

 

 目を閉じるように言われてその通りにした。すると、瞼を通して光を感じる。

 眩い光。

 それが消えると、先ほどまで頬を掠めていた夜風が止んでいることに気づく。


 風が止んでいるのではない。恐らく、私たちが建物の中に入ったのだ。

 瞼を開けると、大広間のような場所に立っている。


 豪奢な装飾の柱や天井。

 灯りは窓から入り込む月明かりだけ。


 色彩の乏しい状態でもわかる。ここは普通の場所じゃない。


「ここはどこ?」

「離宮の中だよ」


 耳を疑った。


 王宮内には転移魔法で入ってこられなくなっている。王族の命を狙う者が入り込まないように阻害魔法がかけられているのだ。

 たとえ同じ王宮の敷地内からであったとしても弾かれるはずである。


「オスカー、あなた何者なの?」

「教えてやるよ。もう隠さないと決めたから」


 彼はつけていた指輪を外した。


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