34.答えを探して

 この気持ちがいつ姿を現わしたのかは覚えていない。

 微かな違和感としてあったが気に留めないようにしていた。


「今日も来られたのですね」

「はい、国王陛下より仰せつかっておりますので」

「生憎ですが、今は立て込んでいますので時間が取れません」

「それでは終わるまでここで待たせてくださいませんか?」

「……わかりました」


 ティメアウスに来てすぐの頃、私は国王陛下からの命を受けて頻繁にマクシミリアン殿下の執務室を訪れていた。殿下が恋愛に興味を持つようにあれこれ話題を考えてお話しに行っていた。

 その度に殿下からは拒絶を感じ取っていた。


 無理もない。

 多忙な上に、もとより恋愛には全く興味がない御方なのだ。


 私は部屋の隅に立って彼を待つ。


 パラパラと書類が捲られる音だけがする静かな室内。殿下は雑談のようなものは一切しない。書類を見たり、時おり本棚に手を伸ばして資料を探す。何かあると傍に控えている補佐官に言って人を呼ばせたり資料を持ってこさせる。


 執務室は紙やインクの匂いが微かに漂う、彼の

 他の場所とは空気が違った。


 じっと殿下を見つめていると、お仕事を淡々とこなしていくように見えて、時おり悩まれているような表情が過ることもある。


 ブラントミュラー卿から聞いたことがある。

 彼はなんでもご自分でやりたがるらしい。国民に必要とされるために、誰よりもティメアウスに関わろうとしているとか。

 あんなにも穏やかな笑顔を浮かべられているのに、その実孤独と闘っているのだとも聞いた。

 

 そんな彼のために力になりたいと思った。


 たとえ執務室に行くたびに拒絶を示してきても、薬の材料のことで助けてくれた殿下だから。困っている人は頬っておけない御方だとわかったから。


 今目の前にいる彼は何を考えているのだろうか?


 穏やかな室内。

 私は息を潜めて彼を見守っていた。


 待つこと以外何もできないのは辛いが、殿下が作り出すこの静寂には心地よさを感じた。


 忙しくとも彼の瞳は凪いだ海のようで、その綺麗な指で次々と書類を捲っては片付けてゆく。

 苛立ちのようなものは見せない。ただ黙々と、仕事と向き合っていく。


 その真摯な姿を見るのが好きだった。


 窓から入り込む光が資料に目を落とす殿下を照らすと、その長い睫毛も美しい金色に輝く。その姿は絵画に描かれてありそうだった。昔、お母様に連れられて行った美術館で見た人物画のようだったのだ。


 一通り書類の処理が終わると、彼は決まって眉間をおさえて深く息を吐く。まるで、それまでずっと息を止めていたかのようなほど深く。そして、何か思い出したかのように顔を上げると視線がかち合う。


 居たのか。


 そんな心の声が聞こえてくるような視線だが、彼はすぐにそれをいつもの笑顔で隠す。

 よほど集中していたのか、私の存在をすっかり忘れていたようだ。


「おまたせしました。……少し休憩をしたいのですが、今日はお茶の間だけの面談でもよろしいでしょうか? 外国の茶葉が手に入ったのですが、ご一緒にいかがでしょう?」


 殿下のお茶の時間は恐ろしく短い。カップ一杯分を飲んだらすぐに終わってしまう。後の予定が詰まっているためそんなに時間が取れないのだ。

 けっきょく、あまり時間は取れないと言われているようなものである。


 それでも私は嬉しかった。


「喜んで。お時間をいただきありがとうございます」

 

 少なくともこの時にはもう、彼のこの提案に浮足立つ自分が居た。



 ◇



「あなたの心はどうしても手に入らないのですね」

「……殿下、王太子殿下と乙女ヒロイン候補を引き合わせることが私の使命であり役目なのです。ご理解ください」


 彼の顔を直視できない。目線を外すが、それでも彼の視線は伝わってくる。


 いつもの穏やかな微笑みが消えてしまった御顔。

 見てはいけない。

 見てしまったら私は平静を保てない。動揺すればすぐに気づかれる。


 耐え切れない。こんなことをしてはいけないけれど、話題を変えるしかない。そうでもしないと私は自分の気持ちを抑えきれなくなってしまう。


「殿下、庭師見習いのオスカー・ホフマンをご存知でしょうか?」

「……ええ、彼は私のです」

「影?」

「マクシミリアン・イェルク・ティメアウスではできないことを担うのがオスカー・ホフマンということです」


 殿下ではできないこと?

 

 度々、王宮の外に花を届けに来ていたオスカー。殿下の代わりに届けに来ていた。

 庭師さんたちの話では、彼は遠くまでお遣いに行くこともあると。


 影。

 お気楽者のオスカーには似合わない言葉だ。

 謎の多い友人。私に話しかけてきたときにはもう、私の正体を知っていたのだろうか?


「彼は私が結びネクトーラの魔法使いであることを知っているのですか?」


 殿下の手が頬から離れてそっと顎を掴んでくる。

 上を向かされて逃げられなくなった。

 

 蒼い瞳。いまや海の底のように暗く光を失ったその瞳で射抜かんばかりに見つめられる。

 まるで波に飲み込まれてしまったかのように息ができない。


 無表情になった殿下から目を離せない。

 じわじわと毒に侵されてしまったように苦しく、胸が痛い。 


「あなたの気持ちは彼に向いてしまったのですか?」

「そんな……違います。私は確認したかっただけです。彼が夜会のためにと薔薇を贈ってくれたので」


 本当のことを言えたらどれほど良いだろう。そんなことは許されない。

 私は隠し通すしかない。


「もはや正攻法では不可能なのですね」


 殿下の言葉の真意を図りかねた。


 苦しい。

 その蒼い瞳に見つめられていると冷たい手で心臓を撫でられているようだ。


 何も言葉にできない。彼の誤解を解きたいのに上手く言い表せない。誤解を解いて、もう一度説明しないといけないのに。


 ただ殿下の顔を見ることしかできない。

 唇が震えるまま話しかけようとしたその時、不意に扉が開いた。


「う~む、うっかりだ。うっかりうっかり。ホールに戻ろうとしたのに部屋を間違えたようだ」


 どこか抜けたように話す声。

 目を疑った。国王陛下が暗闇から現れたのだ。


「父上……慣れ親しんだこの城で道に迷われたのですか?」

「ああ、今宵はいつもと雰囲気が違うから迷ってしまった。そうだ、リタ殿に話がある。外しなさい」

「……かしこまりました」


 マクシミリアン殿下は逡巡されたが手を離した。不安そうな顔で一度だけ私の顔を見ると、踵を返していった。

 彼の姿が扉の向こうに消えると張り詰めていた空気が和らいだ。


 国王陛下はポンポンと私の肩を叩いた。

 殿下と同じ蒼い瞳が優しく細められている。その目を見て、全身にこもっていた力が抜けた。

 陛下の前であるのにへたり込みそうになるほど緊張が解けてしまった。


「その首飾り、ヴァルター公につけさせられたのだな。よく似合っておるよ。思い出すのう。引き合わせてもらう前にクラウディアがよくそれをつけていた。当時の私は遠くから彼女を見ていたからよく覚えている」


 陛下はクラウディア王妃殿下と引き合わされた日のことを聞かせてくださった。

 お母様が彼女を連れて現れた時、それはそれは喜ばれたそうだ。


 もともと夜会や王宮で王妃殿下の姿を見かけていた陛下。

 密かに想いを寄せていた相手が乙女ヒロイン候補として現れた時は嬉しさのあまり固まってしまい、お母様に骨が折れそうなくらい強い力で叩かれて意識が戻ったらしい。

 

「ヴァルター公爵邸にある肖像画にはその首飾りをつけたクラウディアが描かれている。マクシミリアンはそれを思い出したのかもしれんの」

「そうでしたか……」


 国王陛下は膝を折って目線を私に合わせてくださった。

 温かな赤褐色の髪の間から見える蒼い瞳。優しいが全てを見透かす目。気まずい気持ちで見つめ返す。


「マクシミリアンがそなたを困らせているようだね」

「いえ、私が未熟なばかりにご迷惑をおかけしました」

「いいや、わかっておるよ」


 陛下は自虐気味に微笑まれた。


「渦中のラジーファーを経験したそなたなら分かるだろうが、王室ここは気が休まらない場所だ。家族とも適切な距離が求められる。それにあれは幼い頃に母親を失ったからずっと寂しい思いをさせてしまった。あれなりに今まで上手く隠していたが反動で溢れてしまったようだ」


 ラジーファー王室は常に死と隣り合わせだった。兄弟とも親とも命を狙い狙われる関係だった。

 ティメアウスも過去には兄弟間の争いが激化した時代があったため、国王陛下はあまり子どもに干渉しないと聞いたことがある。


「……運命とは皮肉なものだな」


 独り言ちているようで、私に向けられた言葉。

 陛下に気持ちを知られてしまったような気がした。


「おっと、いかんいかん。今呆けていたことはテア殿に言うでないぞ? きっと地の果てからでも駆けつけて叱ってきそうだからの」

「ふふ、お母様ならやりかねませんね」


 きっとお母様は久しぶりに陛下に会えるのであれば喜ぶだろう。

 それにお母様ならこの事態を打開できる。


「……陛下、ご相談があります。母と交代しようかと考えております。このままでは私……力不足でティメアウスのために繁栄の魔法を発動させることができません」

「マクシミリアンと相談してから進めなさい。私としてはリタ殿にいて欲しいがな。テア殿が来るとおっかないからではないぞ?」


 陛下は片目を瞑って部屋を後にした。

 バルコニーは静寂に包まれた。ホールに戻ろうかと考えているとマクシミリアン殿下が部屋に入ってこられる。


 遠目でも、青白い月の光に照らされた御顔が自分を捕らえているのが分かる。心臓の音が頭中に響くほど大きくなる。

 穏やかさを取り戻した心が再びざわめくが躊躇ってはいけない。彼の結びネクトーラの魔法使いとして、伝えなければならない。

 

 意を決して交代の件を相談したがすぐに反対された。彼は私が引き続きティメアウス王国にいることを望んだ。


「あなたは結びネクトーラの魔法使いなのに私から逃げるのですか?」


 静かに問いかけてくる声。


 殿下は私の手首に口づけを落とす。

 閉じられていた目が開かれこちらを向けば、深い海の中に引きずり込まれるような感覚を覚えた。

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