悪魔の誘い

 青い星と呼ばれた地球。

 遠くから一見すると今でもその通りの美しさを放つ惑星ではある。

 だが、地表では地獄のような光景が広がっていた。

 世界各地で異常増殖したヘルビースト達が人間を食い尽くす。

 シェルターに逃れて難を逃れる者もいたが、シェルター内部に現れたヘルビーストに為す術なく食い殺されるところもあった。


 ある者は海底に逃れようとする者もいたが、ヘルビーストはどこにいようと人を逃すような事はしない。

 海底にすら現れ潜水艦や海底居住空間すら襲う。


 また、空の上に逃げようと関係はない。

 何故なら、一面にはヘルビーストの軍団が宙を埋め尽くしているからだ。

 仮に宇宙に逃れたとしてもそこには夥しい数のヘルビーストがまるで地球と宇宙を隔絶する様に蔓延っている。

 そして、今、宇宙に蔓延るヘルビースト相手に単機で戦いを仕掛ける者がいた。




「邪魔だよ」




 アリシアはヘルビーストの大軍の中に飛び込む。

 装備された2本の”来の蒼陽”を携え、擦れ違い様に狼型ヘルビーストの首を跳ね飛ばす。

 アリシアの神域にまで達した高速の剣がヘルビーストの抵抗よりも速く首を刎ね、ヘルビーストが霞のように消えていく。

 ヘルビーストは脚元に力場を形成、宇宙空間とは思えない走りを見せる。

 宇宙空間で立体的な機動を取りながら、四方からアリシア目掛けて咬み殺しにかかる。


 アリシアは迫り来る敵を諸共せず、体を回転させ、敵の位置を一瞬で把握するとタイミングを合わせ、2本の”来の蒼陽”を振り的確に首を刎ね、左右のマウントハンガーからCZ スコーピオンEVO140サブマシンガンを展開して、射撃する。


 アリシアが通った後はまるで道のように開け、道筋が出来ていた。

 だが、その道筋を登ってくるように後方に残った夥しい数のヘルビーストが我先にアリシアに迫り、その軍団はまるでピラミッドのような陣形を取りながら迫る。


 だが、アリシアは振り返らない。

 目指すはただ、一点。

 巨大な人影の首だ。

 あの巨人の首を取らぬ限り、自分達にとって脅威にしかならない。

 出来る限り力を削ぎ落とし、アタランテでトドメを刺すしかない。


 だが、そう簡単でもない。

 敵の壁が思いの他、分厚く前には進めない。

 神術もこの状態では使えない。

 使えたとしても1回といったところだ。

 ここでウリエル・フテラが入れば、一気に道が開ける。




「ウリエル・フテラの様子は?」




 アリシアはいつものように冷静な声色でアストに状況を尋ねた。

 吉火に聞くよりアストに聞いた方が速い場合が多いからだ。




『どうやら、向こうもヘルビースト相手に苦戦しているようです。天使達の収容も思うように言っていないみたいです』




 無理もない話だ。

 天使達は人間と違い死と言うモノを知らない。

 だが、ヘルビースト相手ではその限りではない。

 死を知らないが故に人間以上に死を恐れ、混乱していると分かる。

 今のところは死者は出ていないのはウィーダルの采配あっての事だ。

 普通なら天使を見捨て、すぐにこちらに来させる事も出来る。

 だが、それが出来るのは人間くらいな者だ。


 加えて、天使の死が他の天使にどんな影響を与えるか分からない。

 最悪、天使を地獄に落とすとそれだけでSWNが増産される。

 それに地獄に落ちると言うのはかなり辛い。

 地上で死ぬ事よりも辛く、魂を削られるような苦痛を味わい、死と引き換えに苦しいから解放されたと考えてしまうのだ。


 それは味わった者にしか分からない苦痛であり、群発頭痛の最低70倍以上の痛みと言えば、一部の人間は共感できるかも知れない。

 それは本当に地獄にいる事が悲惨に思え、この世の何よりも残酷な死であり、魂が死なない死よりも遥かに重い事象なのだ。

 それ故に”理不尽”に殺せば、多くのSWNを増産する事もある。




「なら、無理に急くのは悪いね。自力でなんとかする」


『それでよろしいかと思います』


「付いて来てくれるよね?」




 不意にアリシアが声を震わせ発した。

 アリシアの手が微かに震えているのをアストは感じていた。

 他人に心配かけまいと気丈に振る舞っているが、本当は誰よりも臆病で心細い想いをして来た事をアストは知っている。


 彼女も今という時が不安で誰かに寄り添って欲しいと思っているのだ。

 どれだけ神術で兵士適性を上げたとしても……やはり、彼女は戦事には向いていないと改めて思う。


 それでも2本の足を大地に踏み締め、使命という重りを脚を震わせ、必死に耐えている。

 自分にしか出来ない、逃げられないからこそ懸命に頑張っているのだ。

 アストの答えなど最初から決まっていた。

 自分が死ぬ事になろうとそうすると決めていた。




『決まり切った事です。あなたの行くところなら何処へでも行きます』


「ありがとう」




 アリシアの手の震えは治った。

 まだ、少し震えていたが、それでもその言葉だけでアリシア自身が救われたようだった。




「行くよ。アスト!」




 アリシアは不安を押し退け、快活な声色で機体を加速させる。

 自分の力がどこまで通じるか正直、不安だ。

 こうならない為に鍛えては来たが、それでも足りなかったのだ。

 自分でも勝てないかも知れない。

 その所為で仲間達が死に世界が滅びると考えるとその重圧だけで押し潰されそうだった。

 でも、それでも自分の勝利を信じてくれる民がいる以上、彼女は震える心を奮い立たせて挑み続ける。




 ◇◇◇




 一方、地球圏




 地球圏ではヘルビーストの対応に追われていた。

 ジュネーブを拠点に世界各地の部隊に指示を出し、ヘルビーストを殲滅していく。

 しかし、敵のあまりの物量に押され、部隊を徐々に壊滅していく。

 世界各地で部隊が壊滅、戦線が維持できなくなっていく。


 部隊壊滅の情報が流れ込むようにジュネーブに齎され、まるで収拾がつかなかった。

 グール元帥の激が飛び交うが、一向に対処が追いつかない。

 その様子を陰ながら見つめるビリオとヒュームは机に肘をつき、辛気臭い深い溜息をつく。

 ビリオは重く暗く抑揚のない声色で呟いた。




「なんと言う事だ。本当に彼女の言う通りになってしまう……こんな事ならあの時、断食を受け入れていれば……」




 彼は泣いて歯軋りしそうな奥歯を噛み締める。

 悔やんでも悔やみきれない。

 たった1つの警告を無視しただけでこんな事になるとは想像もしていなかった。


 正確に言えば、少なくとも人類全体に3回は警告しているのだが、それを彼らが知る由も無い。

 もし、ここにアリシアが入れば「想像していなかったは嘘ですね。無責任です」と断言するだろう。

 実際、彼らはヘルビーストの物量を事前に映像で観ていた。


 その上で総戦力の規模まで教えられていたのだから、想像くらいは出来ていたのだ。

 ただ、自分の固執を認めたくがない為に誤魔化してきた。




「ヒューム、君は一体この責任をどう取るつもりだ!」




 ビリオは憤然とした態度でヒュームに当たり散らす。




「待て!なんでわたしの責任になる!大統領の責任でしょう!」




 ヒュームは怪訝な態度を取り、甲高い獣のような声で吠える。




「そもそも、彼女は元々、君の協力者だったではないか!ならば、君がしっかりコントロールするのが道理なのに君はそれを破棄したではないか!」


「それはあなたも同じでしょう!わたしは望んで協力者になった覚えはない!最終的な判断はあなたも同意したではないか!」




 言い争いを始めた。

 互いに此の期に及んでも責任の押し付け合いを続ける。

 実際、2人は贖罪の為に1度はアリシアを受け入れたにも関わらず、固執と欲に囚われ、結局、捨ててしまった。

 どちらの責任ではなく両方に責任があるのだ。

 お互いに不平と不満を並べ、お互いの悪い所を口悪く上げていく。


 その様をアリシアが見たら悲しみと哀れみを持つだろう。

 知性も理性もなく獰猛な獣の様に吠える彼等は間違いなく地獄に送られる事を哀れむに違いない。

 彼等の不法はこうしている間も天へと積み上がり、天の世界を侵食する。

 高次元の誰かには喜ばれないが、同時に喜ぶ誰かにとってはこの2人はこの上なく使えるのだ。




「ならば、俺がなんとかしよう」




 会議室に突如、不可思議な声が聞こえた。

 どこか太々しくドスの入った若い男の声だ。

 暗闇の占める会議室にその男の声が反響した。

 声のした方を見ると不気味で静かな風が流れ、会議室の埃が渦を巻いて舞い上がるのを見た。

 ビリオが「誰だ」と問う暗闇に自分達のホロブラムと机の上にある白色LED電球の光が円卓に近づく人影を照らす。


 男は赤紫色の皮ジャンパーを羽織った濃い茶色の癖毛が特徴的な男だ。

 その顔は不敵な笑みを浮かべ目は釣り上がり、どこか悪魔を連想させる雰囲気を醸し出していた。

 だが、それ以前にその顔に見覚えがある顔である事に2人の緊張が高まる。




「貴様は!ツーベルトマキシモフ!何故、貴様が此処に!」




 驚きを顕にビリオが甲高い声を上げる。

 ツーベルトは皮ジャンパーのポケットに両手を入れ、不敵な笑みを崩さない。

 本来ならホログラムとは言え、大統領の前でかなり失礼な態度に憤りを覚える所だが、それ以上にここにいる事が有り得なかった。


 この会議室はホログラム会議を行える様に旧アメリカ合衆国のペンダゴンで行われている。

 首都をジュネーブにした事で防衛省の機能もそちらに殆ど移植した為、ペンタゴンは大戦前の厳重な管理体制ととある機密を保持する施設としての役割しかなかった。


 公式的には既に廃棄された施設となっているがその建前がある分、盗聴されるリスクなどは極端に低いという利点から”3均衡”の会議はペンタゴンの一室を使っていたのだ。


 そんな所に彼等にとって敵とも言える男が入り込んでいる事に驚きを隠せないのだ。

 その名と顔はアリシアから要注意人物としてマークされていた顔なのだから……彼は一向に態度を変えず、不敵な笑みを崩さない。




「な何故何故とは、可笑しな事を言う?此処が今、どこにあるのか知らないのか?」




 ロアはまるで虫けらに遊び感覚で戯れる様に言葉遊びを仕掛ける。




「貴様!ふざけているのか!良いからさっさと答えろ!」




 ヒュームは焦燥感に駆られ、怒鳴り声を上げる。

 それでもロアは動じる事なく「まぁ良い。馬鹿にも分かるように教えてやる」と太々しく中傷する。

 仮にもトップの人間にする対応ではない。


 本来なら即刻退出させるが、不幸な事に追い出す職員が近くにはいない。

 彼等は憤りの喉に押し込め、話を聴く。


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