リカルドとの邂逅

 地獄

 



「はぁ……はぁ…っはぁ……」




 アリシアは黒いダイレクトスーツを着込んでトレーニングに勤しむ。

 勾配10°近い坂道を10tトラックを思わせる車を全身と脚の力だけで推していく。

 一歩力を入れる度に脚の裏が抉れていく。

 10tトラックの様に見えるが、その実見かけよりも遥かに重く、更にアリシアの周囲の重力は操作されており、アリシアを襲おうとしていた山の様に大きな亀のヘルビーストや狼のヘルビーストがあまりの重力の強さに地面に這い蹲り、命乞いをする様に悲鳴を上げる。

 少なくとも、太陽の重力……銀河の全質量の重力など笑いながら、”塵”と見做せるほどの圧倒的な重力がこの空間を支配していた。

 このような過酷で過剰とも言える環境がアリシアの魂や細胞、臓器の一片までも強靭化しており、脚を一歩踏み出せば……それは人間の何千倍も重みと密度が違うと言わんばかりにアリシアを進化させていく。

 こんな過酷過ぎ、人間なら裸足で逃げてしまう様な訓練を彼女が死ぬまで永遠と続ける。




「ひぃふ……はぁぁぁ……あぁぁ……」




 アリシアは肉体を限界以上に酷使する。

 並み外れたタフさがある分、簡単に死ぬ事が出来ず、この苦しみを永遠と味わう。

 生きる為に必死で体を絞り、鞭を打ち、全身から汗が噴き出しながら、自分の魂と肉体を意志の力でねじ伏せ、屈服させながら、前に進む。

 体中から血やその他の体液が滲み出る。

 アリシアは信者に力を与える為に強くなくてはならない。


 信者の数が増えれば、それだけ求められるエネルギーも大きくなる。

 況して、サタンの影響が大きな地で何の弊害も無く信者に力を与えるにはこれだけの苦労しなければならない。

 それに加えアリシアはストレスに弱い。

 仕事中にストレスの溜まる事や人の咎やサタンの迫害が彼女の心に刺さる。

 その痛みを忘れる為にはいくら体を痛めつけても足りないのだ。


 今の彼女を動かすのは民を守る使命と愛と痛みから逃れたいと言う願望だけだ。

 その想いと痛みが彼女をここまで押し上げて来た。

 神は民を救っても祝福に預かる事は無い。

 だが、その過程で得た膨大な試練がアリシアを神として証明しており、アリシアに確固たる力を培わせる。

 アリシアは一歩一歩力強く踏み締める。

 気を緩めると脚の力が抜けて荷台の重みが自分に圧し掛かる。


 辛い。

 痛くて辛くて逃げたい。

 でも、この一歩を踏み締める毎に自分が精錬されていく喜びも感じていた。

 自分の中にある不純物が綺麗な金に変わっていく感覚だ。


 彼女はこの世の何よりも辛い世界で1人戦うが決して不幸とは思っていない。

 寧ろ、この喜びをくれたアステリスに感謝すら覚える。

 彼女は自分の気付かぬ内に不意に笑みを零す。

 彼女は今日もこの地獄で命の鼓動を奏でながら一歩一歩坂道を登る。




 ◇◇◇




 翌朝10時 指定ポイント


 アリシアとシンは指定ポイントに立っていた。

 そこは人気の無い山奥の山道だった。

 道は舗装されているが通りかかる車は殆どいない。


 あまり車が通らない所為なのか街頭に防犯カメラすらないほどだ。

 防犯カメラを閲覧しようにも閲覧は出来ない。

 予定時刻より早く来て罠などがないか念入りに探したが、罠らしい物は無かった。

 ネクシレイターの力があれば大抵の物は見つけられるが、この地帯は特にサタンの影響が強く、妨害され、探知が難しい。


 サタンとエレバンは密接な関係がある組織だ。

 アリシア側に知られたくない事を隠す為に一層強い妨害をかけている様だ。

 それこそ、この地帯からリテラとフィオナ達にテレパシーで会話出来ないほどの妨害だ。

 今は通信機があるが、リカルド・ラインアイとのコンタクトの際に没収されるだろう。

 後、間違いなく手持ちの武器も没収されるだろう。


 体に通信機や武器を埋め込んだとしても、現代技術を持ってすれば、いくらでも対策と破壊可能だ。

 昔、インプラント兵士やサイボーグ兵士が流行っていた時代も存在したが、HPMの技術発展が急加速するに連れ、戦場で誤作動が起きる事態になり、今では技術そのものが廃れている。

 尤も、その技術がAPの”疑似感覚”システムとして使われており、人間の意志をダイレクトに機械に伝達する技術の母体となっており、完全に廃れたとも言えない。


 サタンの影響の所為でアリシアが”空間収納”で格納している武器も上手くは取り出せない。

 そうなると脱出の際は完全に自力での脱出を余儀なくされる。

 尤も、特殊精練型アストロニウム製の地下室とかではない限り、アリシアの膂力で大抵の壁は破壊出来るので敵の隙をつけるとしたらその点だろう。


 2人で声にならない会話で算段をつけていると1台の黒い車が、こちらに近づいて来た。

 かなりの高級車に対弾性能に秀でた構造。

 明らかに重要人物が乗っていることを窺わせる作りだ。


 これが暗殺なら進路上に垂直指向性地雷を設置して吹き飛ばすところだ。

 そんな事を考えていると車が2人の前に止まった。

 すると、後部座席から1人の男が現れた。

 男は初老で目が鋭く貫禄のある風貌で髪は白髪だが、前髪だけ蒼い髪をしていた。


 老人は真っ直ぐとこちらを……特にアリシアを見つめ、何か感慨耽る様な眼差しだった。

 アリシアはその顔は見て、尚の事、驚いた。




「嘘……あなたは……」


「こうして、会うのは社交界以来かな?」




 そこにいたのはリカルド・アインロード博士だった。

 低次元物質の研究をしている量子力学者でありかつて、ウラヌス戦勝パーティでアリシアに話しかけてきた老人だ。




「何故?ここに?」




 シンも殊更、疑問に思ったのだろう。

 多少、眉を顰めながら探るように問いかける。

 本来、この人物の安全を考えるなら真っ先に自分達の前に現れたりしないからだ。

 そう、彼こそシンがコンタクトを取ったリカルド・ラインアイ、その人だったからだ。




「呼んだのは私だ。客を出迎えるのは当然の事だ」


「少しは暗殺されるとか考えないのですか?」




 シンはまるで敬意でも現すように畏まった言い方になる。

 目の前の彼ではないが、仮にも恩義がある相手だけに彼も普段とは違い、丁寧な対応になっていた。




「もちろん、考えたとも……だが、この程度の事で躓くなら、私は君達を呼んだ意味がない。それだけのリスクを負うだけの価値がこの会談にはある。無論、君達にもだ」




 こうして、彼に車に招き入れられ、車は森の中を走り始める。

 静寂とした森の中で車の過ぎ去る風の音だけが流れ、その静寂の余韻が戦いで荒んだ2人の心を癒すようだった。

 この出会いが何を齎すかはこの時のアリシア……そして、シンは知る由もなかった。

 この出来事は彼等にとって一番のサプライズだったかも知れない。

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