予兆.1

 ラズは真夜中を待っていた。家族が寝静まるだろう時間を。


 納屋について、そこにいた兄弟たちに

「今日は私がここで寝るわ。みんな母屋に戻っていいって」

と伝えると、弟2人はやれやれといった具合で挨拶もせずにラズの横を通り過ぎて行った。


 その背中にもラズは

「おやすみなさい」

と声をかけるのを忘れなかった。


小さい妹は

「お姉ちゃん、大丈夫?」

と気遣ってくれた。それが愛おしくてラズは妹を抱きしめながら


「私は大丈夫よ。リピもおやすみ。体を冷やさないよう気をつけてね」

と挨拶をした。これが眠りの挨拶ではなく、旅立ちの挨拶であることを、祖母を除いた家族たちは知るよしもない。妹は小さく頷いて

「お姉ちゃん、おやすみなさい」

と言って納屋から出て行った。


 そろそろ3時間ほど過ぎただろうか。ランプのない納屋では、板の隙間から落ちる影から、月が真上に来たのがわかる。こんな景色をどこかで見たような気がして、懐かしい気持ちになっているのは、旅立ちを躊躇しているわけじゃないとラズは自分に言い聞かせた。次の瞬間、音もなく納屋のドアが開いた。


「誰?」

囁くように聞き返すと、その人物は月明かりの砂の上に指で

「みんな 眠った」

と書いた。

「お婆ちゃん?」

と囁く声で尋ねると、

「静かに 気をつけて 私のラズ」

と指は続けた。

「……ありがとう。大好きよ。行ってきます」


 そう囁き返すと、指に触れて慈しむように腕へと辿り、肩を見つけたらしっかりと抱きしめて、ラズは出発した。

ラズの旅立ちを見送った後、そこにいた女性もののショールを被った人物は立ち上がった。それは祖母にしては背が高く、ややがっしりとした影である。


「お婆さんから全て聞いた。お前の勇気を無駄にはしない。だがゼリンたちを守る為に、家の体裁を守ることも大事だった……俺はいい父親ではなかったな。体に気をつけるんだぞ、ラズ」

一言も喋らずに文字でラズを見送ったのは、祖母ではなく父であった。このことをラズが知る機会はたぶん一生ない。

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