旅人.1

 朝焼けの時間が少し遅くなったので、鳥たちの声をあてに起きることはできなくなってしまったけれど、長いこと繰り返している生活のリズムは体がしっかりと覚えているようだ。


 いつもと変わらない時間にラズは目が覚める。家族の中で最も早い時間だ。水を汲もうと空のバケツを手に持って家を出ると、見知らぬ青年がラズの家の近くの共用井戸で顔を洗っていた。


「…誰ですか?」

不信感を隠さずにラズは尋ねた。この辺りは古くから立ち並ぶ家が多いので、人喰いの討滅に来たような男が入り込んでくる場所ではない。近所の住人は皆顔見知りだ。井戸は生活のあらゆる根幹になる。その傍に見知らぬ男が座り込んでいる光景など見ていて穏やかなものではない。


「この家の人?」

男は立ち上がり、布で顔を拭きながらラズに尋ね返した。


「違います。この井戸はこの辺りの共用なんです。あなたは誰ですか?何をしてたんですか?人を呼びますよ?」

「待ってくれ。ただ水を借りていただけだ。長旅で疲れてね。向こうの方はさっきまで騒がしかったから、静かな場所を探しているうちに、この辺りに来てしまった。そうしたら井戸があったから拝借したんだ。でも確かにここの住人でもない僕が勝手にしていいことではなかった。申し訳ない」


「…わかりました。じゃあ退いてください。私も水を汲んで家に持ち帰らなければいけませんから」

「信じてくれてありがとう。もっと疑われるかと思ったよ」

そう言って男は井戸の横から体を退けた。


「疑われるようなことしていたんですか?」

「いや、そうじゃないけど」

「歩いてくる途中であなたが見えたので、何をしているか見てました。顔を洗って口を濯いでいただけ。何かしていたようには思えなかったので」

「驚いた。田舎のお嬢さんかと思ったけど、しっかりしてる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る