金剛石の章_Ⅳ

ここは何処なのだろうか。

僕は確か意識を失って、それから…。


そう思いながら、目の前に広がる真っ白な空間で木のように突っ立っていた。


恐らく、ここは僕の脳の深層。

よく病人をメインとした話の中で、

意識を失った主人公が

【花畑でお爺さんが来ては行けないと言った。】

と言う場面がある。

その花畑に僕は今立っているのだ。


「さて……」


どうやってここから出ようかと思考を巡らせる。


こういう場合、

大抵が先のように生と死の狭間に人間が置かれた際に脳内で危機回避能力が作動し、

細胞の停止及び微生物達の活動を停止させないようにと、脳が記憶から息を吹き返させるための情報を手繰り寄せ、それらを組み合わせる事で目を覚まさせる。


つまり僕も

【花畑でお爺さんに来るなと言われる場面】

が必要という訳だ。


そうして腕を組み、顎に手を当てて考えていると、

どこからともなくぼんやりとした影が現れた。


影は始めもやもやと宙を漂う煙だったが、

次第に蟻が巣へ帰る時に成す行列のように縁を象り、

人の形をハッキリとさせていく。


やがて完成したその姿に、

僕は驚いた。


「…なっ、貴殿は…!」


「…おい、ルノ、お前ルノだろ」


その姿は時にもやもやと消えそうになりながら、素敵とも不気味とも取れる笑顔を振りまいてこちらに手を振る。


「ルノ!久しぶりだな!なぁ、順調か?」


その虚空を宿したような真っ黒な眼差しは

僕の何を見ているのかなど全く分からない。


1歩こちらへ歩みを深めた彼に合わせ、1歩下がりながら僕は答える。


「黙れ。お前と話す事など既に無い。

そもそもここは僕の深層のはずだ。どうやってここに入った?」


どうやって入った。そう尋ねた途端に、

彼は形を一層激しく歪ませ始める。


まるで僕が彼へ抱く感情を表すかのように、

ぐにゃりぐにゃりと気味悪くマーブルを描く。


「どうやってって、そりゃあ……

自分に、聞けっての!

なぁんだ、少しは成長したかと思ったのに、お前はただの頭でっかちか!っはは!」


ははは!と笑う彼の口は、まるで何も覗けない、いや、何も覗かせないとでも言うように真っ黒で色を失っている。


笑い声も彼は昔から、心底笑ってなどいない。

乾いた声、上辺の笑いだ。

ミルドやリリヤでない、僕でさえも理解出来る程に。


「うるさい、無駄口を叩くのなら有益な情報を話せ。そのために付いている口だろう」


次第に憎悪が大きくなる。

僕はこんな彼が大っ嫌いだ。だから…


僕は、彼を…


「あー、なんか怠くなってきたわ。

お前、帰んな。じゃあな」


「は?貴様何を……」


言いかけた時、目の前に薄い膜が出来る。

やがてその膜が僕を包み込み、僕は目を閉じずにはいられず、目を瞑った。


.

.

.


「…ん…?ここは僕の……」


目の前に飛び込むのは黒を基調とした大理石の天井。

金の線がルチルクォーツのように斑に入っている、見慣れた天井だった。


ふと左横に重みを感じ、ゆっくりと顔を左に向ける。


すると、子守唄を歌いながら母のように手を優しく撫でていたミルドが

その眼差しのまま僕に微笑む。


「やぁルノ、おはよう。

目覚めたみたいだねぇ」


「あ、ぁ………。……右腕が重い」


「っぷ…はははっ!

そりゃぁ良かった!リリヤ、リリヤ、眠り姫は目覚めたよ!君も起きなよ!」


「んん?……あぁ、もう起きたの…」


そう言って目を擦るリリヤは、どうやら僕の右半身を枕に寝ていたらしい。


しっかり全身をベッドに乗せて。


「リリヤ…君はどれだけ寝たがりなんだ……」


「あはは!面白いね君達は本当に……!」


「おはようございます…」


起きてすぐにこの自由さだ。

ミルドは先程までの眼差しは何処へやら、

いつものように飄々としているし、何なら大きく口を開けて今の流れに笑っている。


リリヤに関しては、時間差の挨拶を唱え、

もう一眠りなどと言い寝ようとしている。


流石にメイドに止められているが。


「…ボクはもしかして」


もしかして、あの後お前達に多くの迷惑をかけたのではないか。

そう言おうとした所を、ようやく目覚めたらしいリリヤが自身の目を擦った後そっと指で止めた。


「ルノ、持ちつ持たれつ、古来より宝石は」


「…は?」


「!手繰り寄せられし惑星のかけら」


「ミルドまで…何を…」


まだ回らない頭で聞いた事のある二人の言葉を考える。


持ちつ持たれつ、我ら全ての宝石は

手繰り寄せられし星のかけら


…そうか。


「色とりどりの輝きをもって、全てを暗がり無く照らせ。


さすれば、一等星の輝きを得る」


「ふふ、ルノ、正解さ!気付くの遅かったねぇ」


ミルドは拍手をしながら少し嬉しそうに立ち上がる。

どうやら、僕より先に気付いたのが嬉しいらしい。


「うん…よっ、と。起きた?ルノ?」


リリヤはのそのそとベッドから降り、寝ている間に崩れた衣服を整えながら少し笑いつつ首を傾げる。


「あぁ、ありがとう…さて」


2人はあまり気にしていないようだが、時間を大幅に取ってしまった事に変わりはない。

やるべき事はせめて終わらせなければならない。


そう思い、起き上がった時だった。


「あそうそう!ルノ、今日は僕とリリヤ、この屋敷に泊まらせて頂くよ」


「その方が色々いいと思ったので」


「なっ、僕は許可していないぞ」


「まぁまぁ許しておくれよ、本当にね、その方が何かと都合がいいんだから」


ミルドが慌てて起き上がった僕をまぁまぁと宥めながら、リリヤと目を合わせて「ねー」とお互いに小首を傾げている。


「…それならいいが…仕事は」


「あぁ、実は今日と明日、僕ら2人とも書類関連の仕事しかないんだ。

顔を合わせなければならない仕事は、幸いにも無くてね」


ふふん、と聞こえそうなほどに自信を持った顔付きで答えるミルド。

ミルドはそれでいいかもしれないが、リリヤは良いのかと思い尋ねる。


「街の見回りは」


「僕の屋敷から回らなくても、幾つかルートは用意してあります。

丁度ここから近い場所に、気になる老夫婦が居らっしゃるので…寧ろ都合がいいんです」


「なら、断る理由はないが…」


2人とも、断る理由なんてないと自信を最大限に溢れさせた表情で僕を見る。

絶対に、この2人は元から泊まりに来たのだと、僕は初めてここで理解した。


「うん!なら、決まりだねぇ」


「ネグリジェは予め用意してあるから心配は要らないよルノ」


「はぁ…お前達の自由さは本当に…」


そう言った僕の声は2人に届くこと無く、

舞い込んだそよ風にさらわれて消えていった。



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