第102話 学校一の美少女との壁

 斎藤の家に電話が来たあの日以降、斎藤の様子が少しおかしい。気のせいかもしれないが壁のようなものを感じる。


 別に普段と行動がなにか変わったわけではない。いつも通りの日常。変わらない穏やかな会話。だが、得も言われぬ違和感が付きまとう。楽しく本の話をしたり、学校の話をしたりしているのだが、どこかよそよそしさを感じることがあるのだ。


 ――まるで今の距離感を保ちたいような。


 家に入れてくれているしなにより話しているときは笑顔で、他の人よりも信頼してくれているのは伝わってくる。それなのに、これまで感じていただんだん距離感が近づいていくような感覚はなくなってしまった。一体なんなんだろうか?


 それにたまにぼんやりしていることが増えた。これまでだったら手元の本に集中してずっと楽しく読んでいたのだが、最近はふと顔を上げて気付くと窓の方を見ていることがある。今も、窓の方を見てどこか寂しさを瞳に滲ませていた。


「……斎藤?」


 声をかければ、ゆっくりと首を動かしこちらを向く。宝石のような綺麗な瞳と視線が交わると、斎藤はゆるりと口元を緩めた。


「どうしました?」


「いや、ぼうっとしていたから。大丈夫か?」


「……はい。大丈夫ですよ。少し外を見ていただけなので」


 寂しく微笑んで、斎藤は手もとの本に視線を落とす。まただ。このやり取りを何度したことか。そしてあの諦めたような笑みを何回見たことか。


 あの悲しい笑みはこれまでにも何度か見たことがある。過去に触れたとき。触れてはいけない何かに触れかけたとき。斎藤はあの諦観した笑みを浮かべていた。最近はずっと見なくなっていたが、出会った頃は何度かその表情を覗かせていたことを思い出す。


 きっかけは、やはりあの電話だろう。あの日から斎藤の様子が少しおかしくなっている。なにが彼女をそうさせているかは分からない。もしかしたらこの一人暮らしも関係しているのかもしれない。


 だが、そこに簡単に触れられるはずもなく、今日も関係は戻らないまま一日が終わってしまった。玄関で靴を履き、斎藤と向き合う。


「じゃあ、また明日な」


「はい、また明日」


「……何かあるなら話ぐらいなら聞くぞ?」


「……いえ、何もないですよ。大丈夫です」


「そうか」


 一瞬瞳を揺らして迷うような素振りを見せたが、斎藤はすぐに真っすぐに見つめて柔らかい笑みを浮かべる。それは見事なほどに綺麗で魅力的なほほ笑みだが、無理して笑ったことはすぐにわかった。

 だが、これ以上追及することは出来ず、黙って斎藤の家を後にした。


 俺はどうしたらいいんだろうか? 帰り道を歩きながら自問自答を繰り返す。斎藤が大丈夫だと言っている以上、それ以上こっちから触れるのは避けるべきだろう。


 だが、それは現状が続くことを意味する。それは少し寂しい。それにあんな悲しそうな斎藤の微笑みはあまり見たくない。俺が好きな彼女の微笑みは、幸せそうな満面の笑みだ。決してあんなものではない。結局何度も繰り返した自問自答には今日も何も答えは出なかった。


 幸い明日は柊さんとシフトが被っている。これまで困ったときは大体柊さんに相談すれば悩みは解決してきた。もう自分ひとりで悩んでも答えは出なさそうなので、相談してみるとしよう。


 翌日、バイトの終わりにいつものように相談を持ち掛ける。「相談にのってもらってもいいですか?」と問いかければ、頷いてくれた。


「それで、今度はどうしたんですか?」


「実は例の彼女とのことなんですが、最近様子がおかしくてですね。少し壁を作られているように感じるんです」


「……なるほど」


「もちろん嫌われている感じはないです。ただ最近なにか悩みみたいなのを抱えているみたいで、それが原因みたいなんですよね。俺としては力になりたいんですけど、彼女はそれ以上なにも話してくれなくてですね。やっぱり、今のままでいるしかないんでしょうか?」


「そこまで分かっているんでしたら、そのままでいるのが一番いいと思いますよ」


 柊さんは真っすぐに俺を見つめて言った。その声は意志を宿し、心に突き刺さる。


「そう、ですよね。彼女が踏み込んで欲しくないから言わないようにしているわけですし」


「はい。何も相手のすべてを知る必要はないんですから。今の関係を維持したいなら、今のままの付き合いを続けるべきです。それが彼女の願いでもあると思いますよ」


「……分かりました」


 柊さんの言葉は説得力があった。別に斎藤が明らかに困っているわけではない。ただ少し様子がおかしいだけだ。それで過剰に俺が反応するのはただのお節介にしかならないだろう。


 斎藤のようすがおかしい原因は分からないし、斎藤が大丈夫だと言っている以上、踏み込むべきではない。人との距離感には適切な距離がある。踏み込まれたくない領域には踏み込まないことが上手くやるコツだ。そうやってこれまで俺は斎藤と接してきたから、ここまで仲良くなれた。


 だから、踏み込まないのが適切。そう理解は出来たが、どうしても納得いかず、喉には苦い何かが引っ掛かり続けた。

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