第95話 学校一の美少女とバレンタイン②

 気持ちが落ち着かないまま迎えた放課後。とうとうこの時間がやってきた。待ちに待った時とはいえ、いざとなると、チョコが貰えるか不安になる。斎藤は渡す予定はないって言っていたし……。


 一ノ瀬も言っていたように、友達を誤魔化すために仕方なく出た言葉だとは思うが、それでも貰えない可能性は否定しきれない。拭えない不安を抱えたまま、いつものように斎藤と時間をずらして斎藤の家を訪れた。

 もう慣れたはずの呼び鈴を押すのが妙に緊張する。ふぅ、と小さく息を吐いてチャイムを鳴らした。


「はい、どうぞ」


「お邪魔します」


 ガチャリとドアが開いて、中から斎藤が現れる。学校で見た制服姿で僅かに黒髪を揺らしながら、中へと案内された。


(いつも通りだな……)


 特に変わった様子はない。バレンタインなどまるで意識していないようで、平然としている。斎藤は変わらぬ無表情のまま、いつもの定位置であるソファに座ってしまう。変わらない日常にどこか拍子抜けしながら、斎藤の隣に座った。


 リュックから読み途中の本を開きながら、斎藤の横顔を盗み見る。相変わらずの綺麗な瞳に長い睫毛。その視線は彼女の手元の本に注がれ、本の文章を追うように上下へと動いている。


(……まあ、そんなもんか)


 思わず小さくため息が出る。そっと斎藤から視線を手元の本に戻した。


 俺が特別意識しすぎていただけだったみたいだ。一般の人からすればそこまで意識するほどのことではないらしい。

 よくよく考えてみれば去年の俺はそちら側で、バレンタインなど意識することなく冷めていたのだから、斎藤の平然とした様子は当然のものだろう。……ただ、少しだけ自分と斎藤の温度差が寂しかった。


 随分自分勝手な感情に慌てて頭を振る。すると、斎藤が不思議そうに首を傾げた。


「どうしました?」


「え?あ、いや、なんでもない」


「そうですか?」


 適当に誤魔化すが、斎藤はきょとんとしたままこちらを見続ける。話題を変えようと何かないか考えたときに、ふと昼間に学校で斎藤を見かけたことを思い出した。


「そういえば、昼間、斎藤のことを見かけた」


「え、いつですか?」


「多分、三時間目の休み時間だったかな。友達と廊下で話していただろ」


「ああ、あのときですか」


 納得したように小さく呟く。


「いつもあんな感じなのか?」


「あんな感じというと?」


「あー、あんまり人を悪くは言いたくないんだが、斎藤の友人が不躾というか失礼というか……。その、斎藤の見た目についてな……」


 詳しく知りもしない斎藤の友人について、あまり酷いことは言いたくなかった。出来るだけ言葉を選んで濁しながら説明する。つい頬をかいて視線を下げてしまった。

 俺の言葉に斎藤は微妙に「……そうですね」と小さく苦笑を零す。なんと言ったらいいものか言葉に困っていると、斎藤は一度小さく息を吐いた。


「心配してくれてありがとうございます。でも私は平気ですので」


「そうか?」


「はい、別に彼女たちも悪い人ではないですし、それに女子はグループに属していないとなにかと面倒ですから。そこは割り切っています」


「なら、いいけど」


 斎藤が問題ないというなら良いのだが、それでもあのとき見た貼り付けた笑みが気がかりで心配してしまう。慣れているからと言って傷つかないわけではない。

 何か元気づけられるような言葉をかけたかったがそれ以上かける言葉が思い浮かばず、ただ斎藤を見つめてしまう。


 すると彼女は俺の心配を打ち消すように、ふわりと優しく微笑んだ。


「だから大丈夫ですよ、田中くん。田中くんがちゃんと私を見てくれているから、へっちゃらです」


 丁寧な透き通る声が鼓膜を震わせる。こちらを見る斎藤の目をへにゃりと薄く細めた優しい微笑みは、なぜか眩しかった。

 『信頼』それを強く感じ妙に気恥ずかしく、「そ、そうか」とそれだけしか相槌を返せなかった。


(ったく……)


 熱くなった頬を冷ますようにそっと息を吐く。小さく息を整えて熱を逃がしていく。

 不意打ちは勘弁してほしい。そんな表情を見せられれば照れずにいられるはずがない。なんとか平静を装って本に視線を落とした。


 俺が本を読み始めたことで、斎藤もまた本の方に集中し始める。そっとその横顔を窺えば、いつもの無表情。先ほどのほほ笑みが嘘みたいに思えてくる。

 相変わらずバレンタインなど気にした様子はなかったが、さっきまで感じていた寂しさは薄れ、心置きなく本に集中できた。


 一度本に集中すれば、あっという間に時間は過ぎていく。時計の時を刻む音。時々聞こえる本のページがめくれる音。心地いい雑音だけが耳に届き、静かに流れていった。

 

 読んでいた物語が一区切りついたところで、ほっと一息を吐く。随分のめりこんでいた気がする。やはり面白い本だとどうしても時間を忘れてしまう。凝り固まった肩を解そうと伸びをして隣に目を向けると、ぱちりと斎藤と目が合った。

 だが、すぐにふいっと目を逸らされてしまう。

 

(???)


 内心で首を傾げる。こっちを見ていた気がしたが一体何だろうか? 斎藤も俺と同じく一度集中してしまえば周りが見えなくなるので、途中であまり俺のことを気にしたりしないのだが、どうしたのだろう?いつもと違う斎藤の様子が気になった。


 少しの間、なにか言いたいことでもあるのかと目を向けていると、また斎藤が横目でこちらをちらっと見てきた。だがまたしても目が合った瞬間、視線を手元の本に戻してしまう。


 二度も目を逸らされれば、何かあるだろうことは流石に分かる。


「どうした?」


「え!?」


 俺の問いかけに分かりやすく動揺した声を上げる斎藤。そのまま「えっと……」と呟きながら頬を桜色に薄く染めて、瞳を困ったように揺らした。


(ああ、そういうことか!)


 こんな照れたような反応をされれば、斎藤の思惑はすぐに分かった。今日という日を考えれば、チョコを渡す機会を窺っていたに違いない。いや、おそらく、多分……。

 もしかしたらそれ以外の可能性もあるが、こんな動揺した姿を見せられれば他には思いつかなかった。というより、そうであると信じたかった。


 バレンタインを特別視していたのが俺だけではないことに嬉しくなる。分かりやすく顔を赤らめているいじらしい斎藤の姿に、思わずにやけそうになって慌てて顔を引き締めた。


 いつ渡してくれるのであろうか? こちらから催促するのは野暮というものだし、いつ渡されてもいいように心構えて、本を読み進める。ときどき斎藤の様子を盗み見れば、ちらちらとこちらに視線を向けているのが目に入った。


(……ってそろそろ帰らないとまずいか)


 しばらくの間、そんなことを続けていたが、本をパタンと閉じる。


 僅かに頬を染めながらこちらを見てくる斎藤の様子はそれはそれで可愛く眺めていたかったが、時計を見上げれば夜の八時過ぎ。さすがにこれ以上斎藤の家にとどまるのはよろしくない。本をリュックに仕舞う。


「……八時過ぎたしそろそろ帰るな」


「え?もうそんな時間ですか!?」


 どうやら斎藤は気付いていなかったようで、慌てたように時計の方を見た。そんな彼女を見ながらリュックを背負って立ち上がる。


「ん、じゃあ」


「あ、待ってください。玄関まで見送ります」


 いそいそと斎藤も俺の後に続いて玄関まで来てくれた。座って靴を履いて立ち上がり斎藤と向かい合う。


「な、なあ……」


 チョコについて聞こうと口を開くが、それ以上言葉が出てこない。もしただの俺の勘違いで斎藤は全く渡す気などなかったら? そう思うと聞く勇気を持てなかった。


「どうしました?」


「……いや、なんでもない。じゃあ、また明日な」


「……はい、また明日」


 名残惜しさに足が重かったが、なんとか動かして斎藤の家を出る。バタンッと背中越しに扉の閉じる音だけが響いた。


「はぁ……」


 二階の斎藤のマンションを降りて、道へと出る。冷たい風が肌を刺して痛い。そっと息を吐けば白い息が口から出た。

 どうやらかなり冷え込んでいるらしい。そこまで考えたところでふと鼻になにか触れた。そっと空を見上げると既に暗くなった空から、ちらちらと雪が降り注いでいた。ひらり、ひらりと舞い散る花弁のように見えた。


(はぁ、チョコもらえなかった)


 道路が薄く白色に染まっている中、一人ポツンと歩き進める。何度か分からないため息がまた漏れ出た。


 こんなことならさっき聞いておけばよかった。もしくはもっと斎藤にちゃんとチョコ欲しいを伝えておけばよかった。

 歩くたびに後悔が積み重なっていく。普通ならここまでへこみはしないが、もらえると期待していた分どうしても落ち込んでしまう。

 

 俺は自惚れていたんだろうか。勝手にもらえると思い込んでいただけだったんだろうか。でも、だったらあの照れた斎藤の様子は……。

 考えれば考えるほどに最後に聞く勇気すら持てなかった自分が情けなかった。


(はぁ……チョコ欲しかった)






「田中くん!」


「え?」


 後ろから声をかけられて、慌てて振り返る。そこには防寒着を着ることなく、冬の制服に身を包んだ斎藤の姿があった。


「え?さ、斎藤?」


 あまりに予想外の出来事に頭が上手く回らない。え、これ、現実?

 目の前の出来事を受け入れきれずにいる俺に、斎藤は持っていた紙袋を両手で控えめに差し出してきた。


「こ、これ、貰ってくれますか?」


 震えて上擦った声。上目遣いにこちらを窺うので、潤んで揺れる黒の瞳と目が合う。不安げに眉をへにゃりと下げ、きゅっと口元を結んでいるのが目に入った。


 さっきまで望んでいたことのはずなのに、いざとなると緊張してなにも考えられない。なんとか「あ、ああ」とそれだけ絞り出して紙袋を受け取った。


 受け取ると、斎藤は安堵したように僅かに表情をほころばせる。だがすぐに今度は頬を紅潮させて、髪を手でくしくしと梳きなが小さく俯いてしまった。そのまま早口で声を上擦らせたまま呟き始める。


「その……見栄えはあまりよくありませんし、味の方も自信はありませんが、作ったなかで一番美味しいものは選んだつもりですので……。で、では失礼します」


「え、ちょ、斎藤?」


 それだけ言い残して、とたとたと早足で去っていってしまい、その呆気なさに思わず見送ってしまう。あまりに短い時間で夢みたいだが、確かに俺の手元には斎藤から受け取った紙袋があった。

 

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