第88話 バイト先の彼女へのデートの報告③

 ケーキを食べて「美味しい」と呟く柊さんの表情は、僅かに緩められ柔らかい。彼女がケーキを食べ終えるのを待って話を続けた。


「それで、彼女がデートを楽しんでくれたのは良かったのですが、肝心の積極的にいって意識させる作戦の方は、正直いまいちな結果で終わってしまいました」


「そうなのですか?」


「はい。柊さんが言っていた通り、彼女が想像以上に積極的にきて、意識させるどころか逆に意識させられてしまいました」


「ふふっ、そうですか」


 俺が照れている姿でも想像して面白くなったのだろう。口角を上げて柊さんは小さく笑みを浮かべた。


「それにしてもよく彼女が積極的にくるって分かりましたね?」


「え、えっと、それはあれです。やっぱりデートという特別なお出かけですから、彼女も頑張ろうとするだろうと思ったので」


「なるほど」


 若干声を細くしながら答える柊さんに、納得して頷き返す。


 確かに、デートだからと俺が彼女に積極的になったように、彼女も同じことを考えていてもおかしくはない。もしそれが本当なら……。


(可愛いすぎる……)


 普段から自分に対して心を許してくれているのは感じているが、それとこれとは別だ。わざわざデートだからと頑張ってくれていたのだとしたら、これ以上嬉しいことはない。


「どうしたんですか?にやにやして?」


「え?あ、いや……」


 柊さんに指摘を受けて、自分の口元が緩んでいたことを自覚する。慌てて手で口元を隠した。


「もし、柊さんの言うとおりに考えて彼女が頑張ってくれたのだとしたら嬉しくてつい……」


「そんなに嬉しいものですか?」


「そりゃあ、嬉しいですよ!」

 

 不思議そうにこてんと首を傾げる柊さんに、思わず声が大きくなってしまう。


「普段の彼女はあまり積極的になることはないんです。それがわざわざ自分のために頑張ってくれるなんて、嬉しいに決まってますよ」


「そ、そうですか」


 熱く語ったことにびっくりしたのか、声を上擦らせる柊さん。


「それに、そうやって頑張ってくれてるとか、可愛すぎますし」


「!?」


「頑張って彼女から手を繋いでくれたとか、想像するだけでにやけちゃいます」


「わ、わかりましたから。も、もう、大丈夫です」


「そうですか?すみません、少し語りすぎました」


 そう言いながら柊さんは肩をすぼめて小さく俯く。他人の恋愛話に照れたのか、薄っすら頬が桜色に染まっている。


(やってしまった……)


 前にも同じようなことがあった。あの時も斎藤のことについて熱く語りすぎて柊さんを困らせてしまった。柊さんが聞き上手なせいか、どうにも柊さん相手だと語りすぎてしまう。

 冷静になり、ついさっきの行動を後悔していると、柊さんがこほん、と小さく咳払いをした。


「と、とにかく、田中さんが彼女さんの積極的な行動を喜んだことは分かりました」

 

 柊さんは気持ちを落ち着けるためか、注文していたカプチーノに手を伸ばす。

 そのままこくりと一口飲んで机に置いたのだが、彼女の口元に泡がついているのが目に入った。まるでお鬚のように白い泡が上唇についている。


「えっと……唇に泡がついてますよ?」


「え……?」


 一瞬、目を丸くして固まったかと思うと、ぼわぁっと頬を真っ赤に染めた。すぐに近くにあったナプキンを取り、口元を拭う。


「あ、ありがとうございます……」


「いえ、柊さんも抜けているところがあるんですね」


「今回が偶々なだけです。田中さんがあんなに熱く彼女さんのことを語るから……」


「それはすみません」


「まったくです。あんな惚気を聞かされたら、誰だって動揺します」


 まだ熱が引いていないのか、頬をまだわずかに朱に染めたまま、柊さんは小さく息を吐いた。


「それで、今回作戦が上手くいかなかったのでしたら、この後はどうするんですか?」


「うーん、それでもやっぱり、作戦は続けたいと思います。今度こそ彼女のことは意識させたいですし」


 一度失敗したからといってあきらめる選択肢はない。むしろ、今度は柊さんに加えて一ノ瀬の意見も聞けるので、男子と女子両方の視点からアドバイスが受けられるので前より成功する確率は高くなるはず。


 次こそは、と決意して真剣な視線を柊さんに向けると、柊さんは、ふっ、と不敵に小さく微笑む。


「なるほど。いいと思いますよ。でも彼女さんの方もまた積極的に来るでしょうし、照れさせられないようにしませんといけませんね?」


 上目遣いにこちらを見つめる柊さん。その表情はどこかからうような小悪魔な笑みにも見えた。


「はい。あ、実はその今回の反省を生かして、男子の意見ももらうことにしたんですよ」


「というと?」


「同じクラスの一ノ瀬って奴にも、柊さんみたいに相談相手になってもらいました」


「一ノ瀬さん、ですか」


「どうしました?」


「あ、いえ、なんでもないです」


「そうですか?」


 こうして俺のバイトの相談は終わった。

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