第83話 学校一の美少女とのお別れ

 少しの間そっぽを向いていたが、ふぅ、と小さく息を吐いてこちらを向く。そして猫と目を合わせるように腰を曲げると、猫に話しかけ始めた。


「まったく。まあ、いいです。猫さんは今だけしか田中君と一緒にいられませんからね。今は田中君を貸してあげます」


 ほんの少し得意げにそれだけ語って言い残すと、斎藤は翻してほかの猫を相手にし始める。そんな後ろ姿を、俺は白い猫を抱きかかえて撫でながら見守り続けた。


 しばらく猫と戯れていると、店員さんが声をかけてきた。


「そろそろ1時間となりますが、延長しますか?」


 その声に時計を見てみれば、あと少しで1時間が経とうとしている。


「あ、もうそんな時間ですか。少し待ってもらえますか?」


 そう店員さんに言って斎藤に声をかける。


「斎藤。もう少しで1時間経つけど延長するか?」


「え、もうそんなに経ったんですか?うーん、まだ少し居たい気もしますが、もう充分楽しんだので、大丈夫ですかね」


「分かった。じゃあ、そう言ってくる」


 斎藤は僅かに猫に目配せして名残り惜しそうにしていたが、そう言うということは満足はしたのだろう。


 終わる意思を店員に伝えて、残り少ない時間を楽しんだ。


「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしています」


 腰を折って礼をする店員さんに見守られながら、猫カフェを後にする。外へ出るとやはり寒さが肌を撫でた。


 もう今日のデートプランは終わったのであとは帰るだけだ。最後も彼女には多少は意識してもらいたいので、手を繋ぐとしよう。


「ん、ほら」


 出来るだけさりげなくなるように手を差し出す。斎藤はほんのりと薄く桃色に頰を染めながらも手を握ってくれた。


「ふふふ、とても楽しかったですね」


 朗らかに明るく微笑む斎藤を横目に帰り道を歩く。まだ猫カフェでの楽しさの名残があるのか、その表情はいつも以上に柔らかい。


「凄い楽しそうにしてたよな。まあ、気に入ってもらえたなら良かったよ」


「はい!もう、あんなに沢山の猫さんがいて!本当に夢みたいな時間でした」


 目をキラキラと輝かせて、無邪気に嬉しそうな声を上げて感想を語ってくれる。ここまで嬉しそうな姿を見せられると、見ているこっちもつい表情が緩む。


「あんなに沢山の猫に囲まれて、店員さんも驚いていたぞ」


「え、そうなんですか!?」


「ああ。店員さんに「彼女さん、猫に凄い人気ですね」って話しかけられたし、あれだけ猫に囲まれる人は初めて見たって言ってたぞ」


「そんなこと話していたなんて気付きませんでした」


 驚いたように呟く斎藤に、「お前は猫に夢中だったからな」と苦笑を混じえがら答える。


 あれだけ猫の方に集中していれば周りが見えていなかっただろう。多分、俺の存在を半分くらいは忘れていたと思う。


「い、言っておきますけど、別に田中くんのことを忘れていたわけではありませんよ?その……あまりに猫さんが可愛すぎて、ついそっちに集中してしまっただけですから」


「別に、猫に夢中になってる斎藤は新鮮で見てて楽しかったから気にするな」


「え、そんなに普段と違いました?」


 自覚がなかったのか、きょとんと不思議そうに首を傾げて歩みを止める。振り返るように斎藤なことを見ると、くりくりと愛らしい瞳が丸くなっていた。


 一瞬、なんと答えるべきか迷う。おそらく、猫と遊んでいる時の斉藤の姿を伝えれば、斎藤は恥ずかしがってこれからは自分の行動を意識してしまうだろう。


 するとあんな無邪気な姿はもう見られなくなってしまう。あれはなかなか見られるものではないし、胸の内に秘めておこう。そう決めて曖昧に笑った。


「んー、まあ、気づいていないならいいんじゃないか?」


「え、なんですか!私、そんな変な様子だったんですか?ねぇ、どうなんですか?ちょっと!」


 鋭く追及してくる斎藤から逃げるように、少しだけ早足で足を動かした。


 しばらくの間、そんな押し問答繰り返していると、とうとう斎藤の家へとたどり着く。


「お、斎藤の家に着いたぞ」


「むっ、そんな分かりやすい誤魔化しに乗るのは癪ですけど、仕方ありませんね」


 少しだが頰を膨らませてむくれながらも、はぁ、と小さく息を吐いて穏やかな表情に戻る。さらりと風が抜けて、柔らかく煌めきながら髪が揺れた。


「今日はありがとな」


「いえ、こちらこそありがとうございました。新鮮なことばかりで楽しかったです」


「俺も楽しかったよ。映画は久しぶりに見たが、こう感想を語り合える相手がいると、新しい楽しみ方が出来たし」


「そうですね。私も映画館は久しぶりでしたが、楽しめました。ぜひまた行ってみたいです」


 斎藤のその言葉に、ピンッと頭の中でネットの記事のことが蘇る。


 調べたあの記事によれば、デートの終わり際に次のデートの約束をするといいらしい。そのことを考えると、今誘うのが絶好の機会だろう。


「ああ、また行こうな。映画館に限らず、どこか一緒に出かけよう」


「……!はい、ぜひ行きたいです!」


 一瞬固まるがすぐに俺の言葉の意味を理解したのか、ぱぁっと顔を輝かせて、こくこくと頷いた。その返事にほっと胸を撫です。


「まあ、そのうちどこ行くかは決めような」


「そうですね。ゆっくり決めましょう」


「ああ」


 ひとしきり話し合えて、僅かに沈黙が流れる。ゆっくりと穏やかな空気が俺と斎藤を包む。あとは別れるだけなのだが、なかなかそのことを言い出せない。

 こんなに長い時間一緒に色んなことはしたことはなかったので、なんとなく別れがたかった。


 それでもいつまでもこのままでいるわけにはいかない。思い切って口を開いた。


「……じゃあ、また明日な」


 繋いだ手をそっと離しながらそう告げる。離れた手の平に冷たい空気がひゅうっと入り込む。


 斎藤は瞳を揺らして、僅かに眉を下げた。そしてそのまましみじみとした調子でそっと言葉をこぼした。


「はい…………今日はすごく楽しかったです。ほんとうに、本当に……幸せな1日でした」


 楽しんでくれたのは本当だろう。幸せだと思ってくれたのも事実だろう。きっと満足してもらえたとも思う。


ーーーーただ、そう告げる斎藤が寂しそうに見えたのは気のせいだろうか?


 困ったような表情の斎藤が見ていられなくて、思わず俺は手を伸ばした。


「え、ちょっと、田中くん?」


 焦るような驚いたような声を上げる斎藤を無視して、頭を撫で続ける。お団子の髪型で縛られているためにいつものように髪全体は揺れないが、撫でるたびに前髪だけがさらさらと揺れる。

 薄暗い月明かりを反射した髪が煌めき、ゆらめくたびに何度も宝石のように瞬いた。


「きゅ、急にどうしたんですか?」


 斎藤は大人しく撫でられながら、上目遣いこちらに視線を向けてくる。ぱっちりとした二重の瞳はどこか戸惑っているようにも見えた。


「なんか、少し寂しそうにみえたから、つい、な」


「別に寂しいなんて……」


「そうなのか?それは悪かった」


 そう言いながら、そっと手を離そうとする。だが、俺の撫でる手を斎藤が上から押さえてきた。


「寂しくなんてないですけど……その、もう少しだけ撫でてください」


 視線をこっちから逸らしながら、頰を朱に染めつつそう告げてくる。どうやら強がっているだけだったようで、そのことに苦笑しつつ「仰せのままに」と撫でることを続けた。



「……もう、大丈夫です」


「そうか?」


「はい」


 そっと手を頭から離すと、斎藤がゆっくりと顔を上げた。ずっと撫でられていたことが恥ずかしいようで、少しだけ視線は下に向いている。


「じゃあ、今度こそ、また明日な」


「はい、また明日」


 互いに手を振って別れを告げる。別れ際の斎藤は、俺の気のせいでなければ、満足そうに微笑んでいた。

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