第81話 学校一の美少女による猫指導

ひとしきり猫と話し終えた斎藤はそっと手を伸ばす。細く白い指先が猫の体に触れた瞬間、感嘆の声を漏らした。


「わ、わあ!ふわふわしてます。すごい柔らかいですよ、田中くん」


 撫でられる猫は気持ち良いようで、薄く目を細めながらおとなしく撫でられている。そんな猫の様子をきらきらと目を輝かせながら眺めて、斎藤は優しく猫の体を撫でている。撫でる斎藤があまりに楽しそうでつい気になった。


「そんなに柔らかいのか?」


「はい。毛布みたいな感じでこう何度も撫でたくなります。ほら、田中くんも撫でてみてください」


「あ、ああ」


 ほとんど動物を触ったことがないので一瞬迷ったが、斎藤に強く勧められたので、勇気を出して少し緊張しつつも手を伸ばす。ゆっくりと自分の手を猫へと近づけ、指先がふわふわとした毛先に触れるかと思った時だった。


「フシャーッ!」


「うおっ」


 急な猫の威嚇に思わず驚きの声が漏れ出る。慌てて手を引いたがいつまでも俺のことをじっとにらんでくるので、どうやら俺のことが嫌いらしい。斎藤はその様子に、撫でながら猫に優しく語りかけた。


「猫さん、大丈夫ですよ。田中くんはいい人ですよー」


 柔らかい声音で話しかけるが、猫は一切警戒を解くことなくじっとこっちを見てくる。大人しく一歩下がれば、目を閉じて丸くなり、心地よさそうに斎藤に撫でられる格好に戻った。


 斎藤は俺と猫の間で視線をうろうろとさせ、少し困ったように眉をへにゃりと下げて弱弱しく言葉をこぼす。


「どうしましょう……」


「俺のことは気にしなくていいから、斎藤が俺の分まで撫でてやってくれ」


「……わかりました」


 一瞬口を開いて何か言いかけたが言葉にはならず、こくりと頷く。動物なのだからどうにもならないことであるのだし、やむを得ないと思ったのだろう。何度か俺を気にして視線を送ってきたが、だんだんと猫のほうに集中して楽しそうに表情が柔らかくなっていった。


 そんな斎藤の様子を眺めながら、別の猫に近づいてみる。さっきは嫌われてしまったが、次もそうとは限らない。それにあれだけ斎藤が夢中になるものには興味があった。

 試しに少し離れたとこで寝ていた猫に近づいてみると、足音に気が付いたのかパチッっと目が開いた。真っすぐにこちらを向き目が合うと、プイっとそっぽを向いて俺から離れるように歩いていく。


(どうしてだ……)


 なぜかわからないが猫から嫌われているようで、斎藤のように上手く猫を撫でるどころか触れるのもままならない。いろんな猫にチャレンジしてみたが結局一度も触らせてもらえなかった。

 はぁ。思わず肩を落としながら斎藤の元へと戻る。とぼとぼと歩いて戻ると、そこには羨ましい光景が広がっていた。


「……すごい人気だな」


「そうですね。なぜか勝手に集まってきまして」


 沢山の猫に囲まれている斎藤の姿につい言葉を零すと、やや困惑気味に斎藤がぐるりと周りの猫たちを見回した。


「田中くんはどの子かに触らせてもらえましたか?」


「いいや、まったく。近づくだけでみんな離れていく。……まあ、いいけどさ」


 苦笑を見せつつ強がってみるが、内心では少しくらいは触ってみたい。これだけいるのだから一匹くらい触らせてくれる猫がいてもいいと思うのだが、なかなか厳しいらしい。若干あきらめつつ、斎藤の楽しむ姿が見られたのだから満足しておこう。そう思った時だった。


「にゃー」


 足元のズボンに違和感を感じて視線を下に向けると、真っ白な猫が一匹、俺のズボンに体を擦り付けるようにしていた。


「わぁ!すごいきれいな猫さんですね」


「そうだな」


 他の猫たちも十分毛並みはきれいだったが、目の前の猫の毛並みは部屋の光を反射するほど艶やかで、美しく煌めいていた。くりくりとした瞳は愛らしく、どこか人なっつこさを感じられる。


「ほら、田中くん。チャンスです。今なら触らせてもらえますよ」


「あ、ああ」


 向こうから寄ってきてくれたのは初めてで戸惑ったが、斎藤の声にゆっくりと手を伸ばす。今度は威嚇されないか心配だったが、あっさりと大人しく触らせてくれた。


「おおー」


 初めて触る猫の毛の感触は柔らかく、その奥の肌からほのかな温かさが指先に伝わってくる。さわさわと手のひらで撫でると、よりその滑らかさが伝わってきて、確かに斎藤が虜になるのも分かった気がした。


 一しきり撫で終えたので先ほど斎藤がしていたように顎の下を撫でてみる。すると白い猫は気持ちよさそうに目を細め、ゴロゴロと小さく鳴き始めた。


「かわいいな」


「ふふん。田中くんもとうとう猫の可愛さがわかりましたか。抱っこしてみたらさらに可愛さが分かりますよ」


「抱っこ?」


「はい。ほらやってみてください」


「いや、でもやり方が分からないしな……」


「そうなんですか?」


「ああ」


 きょとんと少しだけ目を丸くする斎藤。だがすぐに何かを思いついたのか明るい声を出した。


「じゃあ、私が教えてあげますから、やってみましょう。猫さんの魅力にめろめろになりますから」


 わずかに口角をあげて楽しげに微笑む。どうやら俺のことを猫の虜にしたいようで、猫好きとしての企みでもあるのだろう。まあ、その思惑があったとしても提案自体はありがたいものだったので首肯すると、斎藤はきらりと目を輝かせた。


「まずはどうしたらいいんだ?」


「とりあえず一回やり方を見せますので見ていてください」


 そう言いながら斎藤は一番懐いていた猫に手を伸ばす。猫の脇に手を入れそっと優しく持ち上げると、腰に片手を添えて抱き上げた。


「見てましたか?」


「ああ」


「まず最初に猫さんの脇に両手を入れて持ち上げてください。そして持ち上げたときに片手を猫さんの腰に添えるように持ち替えたら完成です」


 すらすらと簡単なように説明してくれるが、もちろん一回見て聞いたくらいでは出来るはずがない。


「えっと……最初は……」


 なんとか斎藤の見よう見まねでやってみようとするが上手く持ち上げられない。そんな俺に斎藤は新たな提案をした。


「うーん、やっぱり難しいですよね。あ、分かりました。私が田中くんの手を取って教えますね」


「お、おう?」


 いまいち斎藤の言葉を理解できずにいると、斎藤はさっと俺の後ろに回った。


「さあ、猫さんの脇に手を通してください」


 どうやら後ろから教えてくれるらしい。言われるがままにゆっくりと手を伸ばすと、そっと俺の両手に斎藤の白い手が添えられた。


「さ、斎藤?」


 急な出来事に思わず声を上擦らせる。すると斎藤の真剣な声が聞こえた。


「どうしたんですか?ほら、ちゃんと目の前の猫さんに集中してください」


「あ、ああ」


 どうやら斎藤は猫の方に気を取られているせいで今の状況を気付いていないらしい。斎藤の注意になんとか平静を装って猫を持ち上げる。


「あ、いいですね。そしたら……」


 斎藤の褒めの言葉が聞こえたかと思うと、背中の服越しに柔らかい感触が伝わってきた。


「え、ちょっと、斎藤?」


「なんですか?ちゃんと集中してください。猫さんが嫌がらないうちにちゃんとした抱っこの仕方をしないと」


 俺の問いかけをたしなめるようにして、斎藤は俺の腕を動かし猫をちゃんと抱くような形に整えていく。なんともかける言葉が思いつかず真剣な斎藤のされるがままにしていると、なんとか猫の抱っこが完成した。


「やっと終わりました。ちゃんと抱っこが出来てよかったですね、田中くん」


後ろから抱きしめられた体勢で、背中越しに斎藤の満足げな聞こえてくる。猫の抱っこが上手くいったことはよかったが、こっちはそれどころではない。後ろからの柔らかい感触は未だに伝わってくるし、この体勢だって心臓に悪い。これ以上は耐え切れず、思わず声をかけた。


「斎藤、離れてもらえるか?その……当たってる」


「……え?」


 俺の声かけにきょとんと間の抜けた声が聞こえてくる。俺の言葉の意味を理解したのか、上擦った声がさらに聞こえたきた。


「え、えっとその……」


 焦るような声とともに、俺に触れていた体温が遠ざかっていく。背中を包んでいたほのかな圧迫感も消え、斎藤が離れたことが分かった。とりあえずは状況が改善したことにほっと息を吐く。そのまま息を整え、斎藤の方に振り返った。


 そこには、自分の体を両腕で隠すようにして、顔を真っ赤にした斎藤がいた。うつむき加減にこっちを向く斎藤と目が合う。


「…………田中くんのえっち」


 ぽつりと小さくつぶやく斎藤に、「えっと、すまん」そう答えるしかなかった。

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