第64話 バイト先の彼女と噂について
バイトの仕事をこなしながら今日学校で一ノ瀬と話したことを思い出す。
薄々勘付かれていたとはいえ、今回話して俺と斎藤の間に親しい繋がりがあることが完全にバレてしまった。あいつの態度からすれば他に広めるということはないだろうが、まさかあそこまで洞察力に優れているとは。あいつは探偵か何かなのか?なんて、人並み以上に優れている観察眼にそんな馬鹿げた考えが浮かんでしまう。
もちろん、その可能性もないことはないが、限りなく低い。あるとすれば、そういう能力を高める必要があったということだろう。それが最後に見せたあいつの望みと関わりがあるかは分からないが。
一ノ瀬は言っていた。「知っている人であれば変装なんかしてもすぐに分かる」と。もちろん、その例えが並々ならぬ観察力があることを示すためだけに言ったことであるのだろうが、未だにそのセリフが頭の中に残り続けている。
もし、仮にあいつがこのバイト先に来たらバレてしまう可能性がある。まあ、ここは少し高めの価格設定がされているので、そこまで学生は来ないので心配する必要はあまりないだろう。これ以上考えても仕方のないことなので、妙な気がかりは頭の片隅に追いやる。
それよりも、今一番気になっているのは、彼女が噂を否定したことだ。別に否定するのは彼女の勝手であるのだから、俺がとやかく言う権利はないのだけれど、なんとなくショックで気分が落ち込む。どうやら見ても分かるほど落ち込んでいたようで、今日斎藤本人に「大丈夫ですか?」と心配されてしまった。
もちろん、本人に直接言うわけにもいかず、もやもやが胸の内に溜まっていた。そのせいだろう。ついため息が出てしまった。
「はぁ……」
「どうしました?元気がないようですけど」
まさか声をかけられると思わず、ビクッと身体が震えてしまう。声のした方を向くと、柊さんが少し心配そうに眉をへにゃりと下げてこっちを見ていた。
ちょうど客足が遠のき、静かな時間になったことで話しかけてきたのだろう。どうやら落ち込んでいるのを心配してくれたらしい。その気遣いに少し嬉しくなりながら、訳を説明していく。
「実は少し落ち込むことがありまして……」
「どんなことですか?」
覗き込むように見つめ、綺麗な瞳を不安げに少し揺らす。どこか優しげな温かい声が心に染み渡る。
「手を繋いだことで学校で噂になったんです。彼女に付き合っている男性がいるのではないか?って。それを彼女は強く否定したらしいんです。それで別にそこまで強く否定しなくてもいいのに……って。いえ、もちろん彼女の勝手ですし、否定するのを止める権利なんてないのは分かっているんですけど……少しくらい俺の存在を出して欲しかったといいますか」
一体俺は何が気に食わないのだろう。なんとも言えないモヤモヤが胸の内で燻る。こんなことを話したところで解決するものでもないし、これではただの愚痴だ。
彼女が否定しても別にいいじゃないか。むしろ、そういう存在を匂わせない方が、相手が俺であることを疑われる可能性が小さくなる。そう思っても、どうしても何かが心の内に引っかかり離れなかった。
「……ああ、なるほど。恋愛対象ではないと言われたような気持ちになっちゃったんですね?」
俺の言葉を聞いた柊さんは少しだけ目を丸くした後、クスッと楽しそうに笑った。柔らかな微笑みに一瞬目を奪われながら、彼女の言葉がストンッと腑に落ちた。
「……確かに。そうかもしれませんね」
確かにそうかもしれない。言われてみると、はっきりとしなかった自分の気持ちが輪郭を持ち始める。一旦自分の気持ちを認識すると、さっきまでのモヤモヤが無くなりはしないものの少しだけ収まった。
「大丈夫ですよ。彼女さんは絶対田中くんのことが大好きです。彼女さんが田中くん以外のことを見るなんてあり得ませんから。今まで聞いた話からそれは明らかです」
目をへにゃりと細めて緩やかに微笑む。どこか嬉しそうな、それでいて温かく見守るような笑顔だった。
「そうですかね?」
「はい!」
強く肯定されて、もやもやがなくなっていく。本当に柊さんは頼りになる相談相手だ。ずっとモヤモヤが溜まっていたのに、こんな簡単に不安がなくなってしまった。最近は自分の相談ばかりのってもらっているし、たまには柊さんの力にもなりたい。
「いつも相談に乗ってくれてすみません。こっちの相談ばかりしちゃって。柊さんは何か相談とかないですか?」
いつもこっちの話ばかりを聞いてもらっているのでたまには柊さんの話も聞いたほうがいいかもしれない。そう思い尋ねた。
「相談……ですか」
顎を摘むようにして考え込む柊さん。どうやら何も悩みが思いつかないようでうーん、と悩んでいる。
「ほら、前に相談してくれた男の人についての悩みとかあるなら聞きますよ」
柊さんの周りで悩みそうなことがそれしか思いつかずそう提案する。すると焦ったように目を逸らした。
「え!?そ、それは、ちょっと……」
「そんなに嫌でしたか?」
「違います!ほ、ほら、あれです!乙女心は秘密というやつです!なので気持ちだけ受け取って置きますね。もし困ったことがあったらその時は相談に乗ってください」
ほんの少し頬を朱に染めながら、あせあせとどこかせわしなく身体を動かして説明してくる。どうやら勘違いだったらしい。一生懸命に訳を説明してくる柊さんはどこか小動物っぽくて可愛らしかった。
「そういうことでしたか。分かりました、その時はぜひ頼りにして下さい」
そんなことを話していると店のドアが開いて、お客さんが入ってきた。
「「いらっしゃいませ」」
挨拶をしながら、接客しに行く。お客さんの前に立ってマニュアル通り案内しようと目を合わせた時、思わず固まってしまった。その様子を不思議そうに見つめて目の前の男は首を傾げた。
「?どうかしましたか?」
「い、いえ、ご案内いたします」
焦る内心を出さないようになんとか言葉を吐き出す。目の前に立っていたのは、彼女らしき人を横に置いて立つ一ノ瀬だった。
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