第31話 学校一の美少女とクリスマスイヴ

 いつものように斎藤の家で読書をしていると、鼻腔をくすぐるコーヒーの香りに気が付いた。


「一応、あなたの分も淹れておきました」


「ああ、ありがとう」


 声をかけられ顔を上げると、湯気が立ったカップを机に置く彼女の姿があった。

 どうやら彼女がコーヒーを運んできてくれたらしい。


 いつも飲み物を淹れてくれるのでそのことに感謝しつつカップに手を伸ばそうとすると、机の上にある普段は見慣れないものを見つけた。


「どうしたんだ、このケーキ?」


 机の上に置かれていたのは2種類のケーキ。

 一つは表面が抹茶クリームで覆われチョコソースがかけられたケーキで、もう一つは赤いベリー系のチョコで表面がコーティングされ上に苺が乗せられているケーキ。


 普段、飲み物と一緒にお菓子が出てくることはあったものの、こんなケーキなど見たことがなかった。


「一応、今日はクリスマスイヴなので」


「ああ、なるほど」


 まったく意識していなかったが言われて思い出す。

 世間的には今日は24日でクリスマスイヴと言われ、カップルや男女が精を出す日だ。

 本に夢中ですっかり忘れていたが、人によってはかなり特別な日であることに違いない。


「なんか悪いな。そんな大事な日に俺なんかと一緒で」


「いえ、別に。このケーキも特別な日だからという建前で食べたかっただけなので」


 最近こそ多少は心を許してくれたようだが、こうもはっきりとした態度を取られれば好かれているなんて勘違いは出来るはずもない。

 俺のことを男としてまったく意識していなさそうな態度に思わず苦笑を零す。


「貰っていいのか?」


「はい、お金が気になるならクリスマスプレゼントとでも思って下さい」


 ケーキはそれなりに高価なものなので、タダでもらうのは引っかかる。そのことを察したのかフォローされてしまった。


「ん、じゃあお前が選ばなかった方を貰うよ」


「いいのですか?」


「もともとお前が買ってきてくれたんだ。さすがにそのぐらいはな」


 女の子に奢られて、あまつさえケーキを選ばせてもらうのはさすがに忍びない。

 男としてというより人としてそれは良くない。


「ありがとうございます」


 選んでいいと言うと、ぱぁっと顔を輝かせて楽しげにどちらのケーキにするか悩み始めた。


 やはり彼女の好みで選んできたものなのでどちらも魅力的ならしく、んー、と小さく唸りながら2つを見比べている。

 抹茶のケーキを見ては苺のケーキを見て、忙しそうに目線が移動する。

 しばらく悩んでいたが「決めました」と言って抹茶のケーキを手に取った。


「じゃあ、いただきます」


「ん、いただきます」


 手を合わせ食事の挨拶をすると、慎重な手つきでケーキをフォークで一口大に切って口に運ぶ。

 ケーキを口に入れた瞬間、彼女は目を丸くして、それからほのかに表情を緩める。

 ふんわりと柔らかく微笑み、幸せそうに目をへにゃりと細めた。


「……どうかしましたか?」


「相変わらずおいしそうに食べるなと思ってな」


 最近、彼女の柔らかな笑みには慣れてきた。

 それでも時々浮かべるようになった微笑みはやはり何回見ても魅力的で目を惹かれる。

 普段の無表情とは比べものにもならない柔らかな表情は、誰も知らない俺だけが知るものな気がして少しくすぐったい。


「それは勿論です。だって美味しいですし。……一口食べますか?」


「は?」


 彼女の華が舞うような明るい笑みに無意識に見惚れていると、彼女は一口ケーキをすくって差し出してきた。

 俗に言うあーんというやつで、思わず固まってしまう。


 予想外の彼女の行動に動揺を隠せない。

 何を考えているんだ、と彼女を見れば特に何も意識している素振りはなく、平然とフォークにケーキを乗せて差し出している。

 彼女からすれば、ただ抹茶ケーキの美味しさを共有したいだけなのだろう。


 異性のそれも美少女に食べさせてもらうなんて経験はとんでもない幸運なのかもしれないが、男としての欲よりも羞恥心が上回った。


「いや……あーんは流石にな……」


 こみ上げてくる恥ずかしさにたじたじになりながらなんとかそれだけ伝える。

 普段は異性として思わないようにしているとはいえ、さすがにあーんは意識せざるを得ない。

 俺の言葉を聞いた彼女は自分がしていたことに気付いたらしく、視線をうろうろと彷徨わせて頰を薔薇色に色付かせた。


「わ、私、別にそんなつもりでは……」


 いそいそと差し出していたフォークを引っ込め皿に置くと、小さく俯いてしまう。ちらりと上目遣いにこっちを見たかと思えば、また目線を下げた。

 今日も髪を縛っているせいでうなじまで真っ赤になっているのが目に映った。


 俺を異性と認識していないで、ただ信頼している人物だと思っているからこんなことをしたのだろう。

 多少の親しみを感じて友人として接してくれていたからこその悩みか。


「分かってるから。ありがたく、ケーキは一口貰うな」


 信用してくれるのはありがたいが、無自覚のままあんなことをされてはたまったものではない。

 一応男なのだ。そのことを忘れてもらっては困る。

 耳まで茜色になった彼女を見て小さくため息を吐いた。

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