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【誓約書 あたしの、いのちとひきかえに、だいすきなママに、ママがだいすきなナマポを、いっぱいあげてください。そのナマポでママが、いっぱいいっぱい、しあわせになれますように。 20XXねん 12がつ24にち みたまりあ】


「これを……まりあが?」

「そう、クリスマスプレゼントよ。娘のまりあちゃんから、母親であるあなたへのね」


 正確には、麻里亜が口頭で願った内容を、自分が別紙に手本として書き、それを本人が書類に丸写ししたのだと、ハナは補足した。


「あの子が、こんなことを……こんな……」

「それが、あなたの言う負の連鎖で産まれた子が、この世の最期に残す言葉よ」


「まりあ……まりあが…………」


 娘がこの世の最期に残したメッセージ。

 それは自分を産んだ母親への、純粋で汚れなき無償の愛のかたちだった。

 自分がこれから死ぬというに、自分の欲望よりも残された母の幸せを願う幼い娘。


 この子は、なんて純粋な存在なのだろう。

 まさに、この子こそが天使だ。


 こんな良い子の、心の純粋な天使の命を、奪っていい筈がない。

 将来、天使なこの子に育てられた子供は、きっと素直で立派な優しい良い子に育つ筈。


 なのに娘の幸福の連鎖を、自分のようなクズな親の勝手で断ち切っては絶対にいけない。

 朱里亜は、心の底からそう思った。


「さあさあ、保護者さん。早く誓約書に同意のサインをしなよ」


 死神マホが、横から口を挟む。


「さあ、早くサインを」

「…………」


「サ・イ・ン・サ・イ・ン・っ!」

「…………わたし…………できない」


「はあ、なに言ってんのさ?」

「だから、わたしサインなんて絶対にできない!」

「えーっ、今更なんだよそりゃ?」


 うるさい外野の死神マホを押し退けて、朱里亜が天使の細い肩にすがる。


「お願い天使さん、娘の命を奪わないで」


 朱里亜の胸の奥底から、熱いものがこみ上げる。

 ようやく自分の愚かさに気が付いたようだ。


 ハナは無言で、じっと朱里亜を見つめている。

 代わりにマホが、また横から口を挟んだ。


「どうしてさ? これからは、ママが大大だーい好きなナマポも、ガッポリ貰い放題でウハウハじゃんか。もう一生、あくせく働かなくても良いんだよ。まさに人生イージーモード。夢が叶って良かったじゃん」


 朱里亜はマホの言葉を無視して地面にひざまずいた。


「お願い、ナマポなんてもういらない。これからは、わたしちゃんと真面目に働く。これまでの事だって、ちゃんと罪を償う。だから娘の命を奪わないで。連れて行かないで!」


 ハナの足元にすがり付く。その瞬間、朱里亜の瞳から大粒の涙がぼろぼろと溢れ出した。


「お願い、お願いします。どうかまりあを、娘を殺さないでやってください!」


 涙と鼻水をだらだらと流しながら、わあわあ泣いてわめいて土下座する。


「殺さないで。あの世に連れて行かないで。お願い、お願いします、天使様」


 無言のハナは、冷めた視線で母親を見下ろしている。


「わたし、なんでもしますから。はっ、そうだ誓約書。それ、もう一枚わたしにください」


 自分はこの屋上庭園から、今から飛び降りて自殺する。

 だから娘とは別の誓約書に新規で『自分の魂と引き換えに娘の命を助けて』と書かせてくださいと、朱里亜は何度も何度も、土下座を繰り返しながら懇願した。


 朱里亜の額が、鼻が、唇が。

 床の冷たいインターロッキングに擦れて、顔中に赤い血が滲み出す。


「殺さないで……連れて行かないで……」


 無言の天使に代わって、死神が答える。


「無駄だよ。人の生き死にってのは最高神おかみが定めし運命なんだ。誰がいつ産まれて死ぬかってのは、おいそれとは変えられないんだよ。たとえボクら死神や天使といえどね」


 以前、まほろば堂のメイドである逢沢あいさわ望美のぞみの母、佳苗かなえは、同じような内容で冥土の土産の契約を交わした。娘の命を救ってくださいと。


 しかしそれは、あくまで娘の死が最初から偽装フェイクだったので、実現できたに過ぎないのだ。


「代わりに、わたしの命を……わたしを死なせて。だからお願いします……死神様……」


「あんたの死亡予定日って、もっとずっと先なんだよね。だから今ここで飛び降り自殺しようとしても無駄だよ。どうせ未遂に終わって死にきれなくて、死ぬほど痛い思いを無駄に何度も繰り返すのがオチだから。つうか、ボクが魔力を使って全力でそうするから」


「そんな……そんな……」 

「あんたみたいなクズな母親は、地獄に堕ちるといいよ。娘を虐待死に追いやったっていう罪の意識に苛まれて生涯、生き地獄を味わうといいさ。この世でも、あの世でもね」


 いつもはおちゃらけたマホが、今回ばかりは真剣に怒っている。何か彼にもトラウマがあるのだろうか。幼い子供への育児放棄や虐待が、どうしても許せないみたいだ。


「まあ、ボクらの魔力を使えば、怪我や病気なんて簡単に治せるけどね。でもさ、何度も同じこと言って悪いけど、この子の死は神が定めし運命なんだ。だから簡単には覆せないよ。そもそも死んだ人間を蘇らせたり、死ぬ予定の人間の命を救うなんて、おかみに盾突く背徳行――ふがっ!」


 それまで無言だったハナが、ようやく動いた。

 やいのやいのと横でうるさいマホの口を、伸ばした左手でぴしゃりと塞ぐ。


「ふがふがっ。なにふんだよっファナ、ふがっ!」


 ハナは足元ですがる朱里亜の鼻先に、再び右手の誓約書を突き付けた。

 そのまま、ゆっくりとマホの口から左手を離し、誓約書に添える。


「商談不成立ね」


 ハナは朱里亜の目の前で、誓約書を真っ二つに引き裂いた。


「あーっ! なっ、なっ、なにやってんだよー⁉」


 マホが目を白黒とさせて叫ぶ。なんという背徳行為。これには死神も、びっくり大仰天だ。

 唖然とするマホと朱里亜の目の前で、白い天使は破れた誓約書を宙に投げ捨てた。


 白い紙切れが、藍色の空にひらひらと舞い上がる。

 引き裂かれた聖なる書類は、逢魔が時の空の彼方へと吸い込まれて行った。

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