6-6
「天使、ですって?」
朱里亜が唖然とした顔をする。
「そう。あなたの娘は、もうすぐ息を引き取る。だから天国へ連れて行くために迎えに来たのよ」
「てん……ごく……まりあが……死ぬ……」
ゴクリと息を飲む朱里亜。その横から。
「ちーょっと待ったーぁ!」
屋上庭園に大きな声が響き渡る。
朱里亜と白い少女。対面するふたりが横を向くと、暗がりの中にひとりの少年の姿があった。
黒い薄手のサマーパーカーを羽織ったファンキーファッション。洒落た様相だ。フードとサングラスを頭に被せ、ヘッドフォンを首にぶら下げている。
黒猫マホだ。例によって老舗の土産屋『まほろば堂』店主の
「なあ、ハナ。あの、まりあちゃんって子はボクの縄張りの客だぞ。横取りすんなよな」
「言った筈だけど。私選冥界道先案士は原則、自由競争だって」
「ああ。だからさ、こちらも自由に
「勝手にすれば」
朱里亜が怪訝そうな顔をする。
「ねえ、あんたたち。さっきから一体なんなのよ?」
「ボクは死神さ」
「私は天使よ」
「……天使だの死神だのって。そんな安っぽいネット小説みたいな話、全然信じられないんだけど。だったら、証拠を見せてよ」
死神マホと天使ハナは、互いに目を見合わせ頷いた。
「自分も幼い頃に、親に虐待をされていた」とマホが言う。
「…………えっ?」
「幼い自分に対して、母は何度も手を挙げた」とハナが続ける。
「ええっ?」
「その激しさから、意識を失うことも何度もあった」とマホ。
「母はシングルマザーだった。しかし働いている姿を見た記憶がない」とハナ。
ふたりに完全に心の中を見透かされ、朱里亜が目を白黒とさせる。
「……まさか……あなたたちって……本当に……本物の……天使と死神なの?」
ふたりが頷く。どうやら納得したようだ。
天使は昨夜の麻里亜とのやり取りを、保護者である母親の朱里亜に説明した。
◇
今夜はクリスマスイブ、聖なる夜だ。
しかし冬の寒い夜空の下。古びた冷たいコーポの踊り場の階段で、今夜も幼女は膝を抱えて座っている。
「おなかすいたよう……ママ…………」
そこに――。
「まりあちゃん」
謎の白い少女が再び、麻里亜の前へと現れた。
「あ、てんしのおねえちゃんだ」
毛皮ではなく普通の白いコート姿。淡いピンクのショルダーバッグを肩にしている。
前回の毛皮のものは今、麻里亜が着ているのだ。
天使の少女が、手を差し伸べる。
「お姉ちゃんと、一緒においで」
麻里亜が「どこへ?」と、きょとんとした顔で尋ねる。
天使は優しく微笑むと、こう言った。
「しあわせの国よ」
「しあわせのくにって?」
「ここよ」
天使は、バッグから一冊の絵本を取り出した。
「はい、クリスマスプレゼント」
「わあ、ありがとう!」
覚えたてのひらがなで書かれた表題を、麻里亜が読み上げる。
「し、あ、わ、せ、の、く、に、ま、ほ、ろ、ば?」
天使はページをめくり、内容を読み聞かせた。
「あらそいやにくしみ。よのなかは、いろいろなことでよごれています。だけど、このくにはよごれていない。だから『まほろば』は、くうきがすんでいてうつくしいのです」
「へえ、なんだか、たのしそう」
「まほろばはね、幸せの国なの。ちっとも怖くないのよ。おねえちゃんが一緒に付いて行ってあげるから」
「うん、まりあ、いきたい。でも、ママが……」
「大丈夫。すぐにママも、まりあちゃんを追い掛けて来るから」
「うん、それならいいよ!」
◇
「そっか、やっぱり……まりあは死んじゃうんだね」
他人事のように朱里亜が呟く。
続いてハナは麻里亜の保護者である母親の朱里亜に、冥界道先案内システムの説明をした。
これから死にゆく魂が、未練を残さずに迷わず成仏できるよう。この世の最期にひとつだけ、魔法の力で願いを叶える。
その契約の代償として、自分が天国への道先案内役をするのだと。
「契約者が未成年の場合は、保護者の同意の署名が必要なの」
ハナはそう言って、淡いピンクのポーチから書類を取り出す。
はて、そんなルールあったっけ? と言いたげに、横でマホは首を傾げた。
「死ぬ前に……たったひとつの……最期の願い……」と朱里亜が呟く。
「ええ」
「娘は、まりあは何を望んだってのよ。どうせ、あれなんでしょ? ママなんて大嫌いだから死んじゃえとか地獄へ堕ちちゃえとか。ママに意地悪されてご飯食べさせて貰えなかったから、お腹いっぱい美味しい料理が食べたいとか。それか、あのママの好きな暴力男を追い出してとか」
朱里亜は顔をしかめて言い放った。
「どの道、あの子は死んだ方が正解なんよ。わたしみたいな最低最悪な親の元で育っても、脳に重い障害が残ったまま生き延びても。どちらにせよ、お先真っ暗の人生が待ってるだけじゃない」
悪態を吐く朱里亜。鬼か悪魔のような形相だ、まるで何かに憑りつかれたように。
「万が一に後遺症もなくって、まったく無事に助かったとしても。どうせ、わたしみたいな安っぽくてくだらない、ひねくれたクズ親に育てられるんだから。あの子もきっと同じような、ひねくれ者のクズな娘に育つ筈なんよ。それで学校もまともに通わず中卒の低学歴の無職になって、誰が父親かも分からないような子供を産んで苦労して、その自分の産んだ子を人生上手くいかない腹いせに、虐待し出すに決まってるんだわ」
母親の顔を、白い天使はじっと黙って見つめている。
「そういうのって、負の連鎖って言うんでしょ。中卒のわたしだって、それぐらい知ってるんだから。馬鹿にせんといてよ」
朱里亜の顔が苦悶にゆがむ。
「クズの娘はクズな娘に育つに決まってる。だからあの子もわたしも、ここで死んで。すっぱり負の連鎖を終わらせないと――」
朱里亜の言葉を遮るように、ハナは先程取り出した書類を彼女の鼻先に突きつけた。
「なによ、これは」
「まりあちゃんと交わした誓約書よ、これに保護者同意のサインを」
朱里亜が誓約書をひったくる。彼女はまじまじと目を通した。
「こ、これは!」
そこには、幼い子供の覚えたての、拙い筆跡でこう書かれていた。
【誓約書 あたしの、いのちとひきかえに、だいすきなママに、ママがだいすきなナマポを、いっぱいあげてください。そのナマポでママが、いっぱいいっぱい、しあわせになれますように。 20XXねん 12がつ24にち みたまりあ】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます