4-12

 望美が、かあっと赤面する。


「なっなっなっなっ……」と激しく動揺しながら読み進める。


『と、そんなゲスな願いを書くつもりでした。ごめんね、我ながら男として最低だとは思うけど……そしたら店長さんが「承りました。と』


「てっ、店長が『承りました』ですって⁉ あの、いつもの調子で?」


 激しく興奮した望美は、食い入るように続きを読んだ。


『「承りました。と、お返事することはもちろん可能です。しかしお客様は、本当にそれで宜しいのですか?」と店長さんに真顔で言われました。あの穏やかな店長さんが、いつになく険しい表情で』


 たしかにそれで欲望を満たすことはできる。しかしそのやり方だと、大切な初恋の思い出を自ら汚すこととなる。結果、この世に未練が残ってしまい、逆に成仏できなくなると真幌は樹を厳しく諭したのだ。


『仰る通り、さすがに自分でもクズすぎるなと反省しました。そこで俺は、契約書の文面を、こう考え直しました。【契約書 私の魂と引き換えに、初恋の人である逢沢望美さんと死ぬまでの期間限定でいいから、深い関係の恋人としてお付き合いさせてください】と。すると』


「……それってオブラートにくるんでるけど、言ってること殆ど一緒じゃない?」


 望美は手紙にツッコミを入れる。


「で、すると?」


『すると店長さんは「承りました。と、お返事することは、もちろん可能です。しかしお客様は、本当にそれで宜しいのですか?」と、またまた同じ言葉を、先程よりも更に険しい表情で繰り返しました』


 望美が、ほっと胸をなでおろす。


 結局、真幌は魔法の力などに頼らず、正々堂々と意中の相手に今の自分の素直な気持ちを伝えてみるよう、樹にアドバイスをした。結果はどうあれ、その方が絶対に自分自身への良い冥土の土産になるからと。


『その時、店長さんは「冥土の土産の契約は他の事に使いましょう。その代わりと言ってはなんですが、藤宮様には特別サービスをさせて頂きます。当店のスタッフ共々一丸となり総力を上げて、お客様の恋を全力でサポート致しますので」と仰ってくれました』


 こうして東京帰りの元女優・タレント・モデルの忍による、芸能界仕込みのエステ・コーデ・演技・モテ会話術などのスパルタ指導が始まった。


【「忍さん。最近、よく店に顔出されますね」「ああ、真幌に頼まれごとされてるんだよね」「何をですか?」「ちょっとした特別講師よ。アタシの力で、シャンとさせたいんだってさ」】


「あれは、そういう事だったのね……」


 こうして忍は冴えない陰キャの樹を、積極的な陽キャのイケメンへと短期間で大変身させた。さすがは変装名人の隠密スタッフだ。


 つまり望美も樹も、同じ人物によって同窓会の出で立ちをコーディネートされたのであった。知らぬは本人たちばかりである。


 自分に自信を持てた樹は次に、勇気を出して旧友の華音に連絡を取った。

 社交的な華音は前回も同窓会の幹事で、出席者全員とLINE交換をしていたのだ。


 実は近々、長期海外赴任するので、その前に初恋の相手の望美に告白しようと思っている。だから仲介役になって欲しいと華音にLINEのメッセで伝えた。

 キュービッド役を快く引き受けた華音は、再会の場として急遽、同窓会をブッキングしたのだった。


 牛窓へのドライブも、最初から仕組まれたシナリオ。すべては樹と真幌の芝居だったのだ。


「……まったく。ふたりとも、やってくれるわね。ていうか三人とも、か」


 知らぬは望美ばかりなり。これで何度目だろうかと顔をしかめる。


『でも、ちょっとやられたと思ったよ。オリーブの苗木の買い付けなんて、前夜の打ち合わせの時には聞いて無かったんだけどね』 


 きっと愛車プジョーでのドライブを阻止するのに、ほんの少しだけ店主に意地悪をされたのだろうと手紙には書かれていた。


 そんな樹の初恋告白大作戦は結局、まほろば堂の面々や華音のサポートにより、黒猫の魔術を使わず実行された。

 その分、冥土の土産にひとつだけの願いは残された両親の為に使った。


【契約書 私の魂と引き換えに、両親がいつまでも夫婦仲良く幸せでありますように。 二〇XX年四月五日 藤宮 樹】


 年の若い継母の存在は本当だが、仲が上手くいっていないというのは嘘だった。

 本当は、とても思いやりのあって優しい継母だった。義理の息子である難しい年頃だった自分に、ずっと気使いながら優しく接してくれていた。


 先に望美のクズな継父のことを聞いてしまったので、気を使って咄嗟に嘘を吐いたのだ。

 

 こうして樹は魔法の力に頼らずに、正々堂々と初恋の女子に告白をした。

 望美の初恋の男子は、やはり最後まで爽やかな好青年だったのだ。


 ◇


 夕映えの阿智神社。

 倉敷美観地区東側の鶴形山の山頂に位置する、鎮守の神様が祀られている古社だ。創祀は千七百年を超えると言い伝えられている。


 頂上まで続く長い階段に腰掛け、仕事帰りの望美は暮れなずむ倉敷市街を見下ろしていた。ひとりで考え事をしたくなると、いつもここを訪れる。


 春の強い風が、鶴形山を天高く吹き上げる。

 望美は右手でセミロングの黒髪を、左手で膝元を押さえた。

 淡いベージュのスカートの膝元に、ひとひらの淡い紫色の花びらが舞い落ちる。


 阿知の藤。鶴形山の山頂近くにある藤の名木だ。

 続けざまに降り注ぐ藤の花びら。

 スカートと、その上に敷かれてある白い紙の束の上を、幾つもの紫色の雫が染め上げる。


 ため息交じりに、彼の名をつぶやく。


「いっくん…………」


 白い封筒に入ってあった白い紙の束。

 それは受取人への思いの丈が綴られた、一通の長い手紙だった。


 それはある青年からの直筆の恋文だ。

 彼の名は藤宮樹、望美の初恋の相手だった。


 長い手紙の最後の一枚に、再び目を通す。


『本当に嘘ばかり付いてて、ごめん。仮にOKの返事を貰えたとしたら、今以上に君を傷付けてしまうのは分かっていたんだけど……自分は酷い人間だ。本当にごめんなさい』


 だから、もし仮に告白の返事でOKを貰えたら。自分が死んだ後で望美が苦しまない様、告白された事実自体を、冥土の土産の力で望美の記憶から消そうと樹は考えていた。

 望美は魔法のハーブ事件で、真幌がマホの助力で処方した忘れな草を思い出す。


『牛窓のドライブ楽しかったです。女の子とのデートなんて初めての経験だったし、良い冥土の土産ができました。それに実は初恋同士だったと分かって、びっくりしたよ。本当に本当に嬉しかった』


「いっくん……あたしだってそうだよ……本当に嬉しかった……あたしだって……」


『そして、きっぱり振ってくれてありがとう。そちらも良い思い出です。たしか、その時も言ったよね。なんか盛大に振られちゃったけど、何故だか不思議と爽やかな気分なんだ。長年の想いも伝えられたし、これでもう何も未練はないって』


「いっ……くん…………」


『大切な初恋の思い出を、自分で汚さなくてよかった。汚い手を使わなくてよかった。悪魔に魂を売らなくて本当によかった。だから店長さんには、心から感謝しています。そう伝えてください』


「くん…………いっ……くん……………………」


『さようなら、のぞみちゃん。どうかお元気で』


 藤の花びらに彩られた白い便せん。

 その上に、ぽたぽたと透明な心の雫が落ちる。

 綴られた文字が、望美の涙で群青色に滲んでいく。


『追伸 君の今の恋がどうか実りますよう、遠くから応援しています。 藤宮 樹』


 望美は手紙を、しっかりと胸に抱きしめた。

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