3-7

 桃矢が失踪した。

 しかも、どうやら薫も同時に行方不明になったとの事らしかった。


【桃香】『うちね。親との約束を破って、かおるさんに連絡取ったの。もしかして、おにいちゃんと一緒なんじゃないかって。でも――』


 ずっと未読スルーで連絡が取れず、勤め先の市役所に問い合わせても欠勤しているとの事だった。


 ◇


 数日が経過しても、その状況に変わりは無かった。

 桃香からの連絡によると、桃矢も薫も未だ消息不明のままのようだ。


 先程、親が警察に捜索願を提出した。そんな桃香のLINEを読み終えた昼休憩中の望美は、ほうじ茶の入った備前焼の湯呑みをぎゅっと握りしめた。

 ごくりと生唾を飲む。


「まさか、桃矢さんがかおるさんを……」


 嫌な予感がする。望美の中で黒い想像がうごめいた。

 忘れな草の効力は早々と切れてしまった。記憶を取り戻した桃矢は、婚約者である薫の元へと向かった。


 そこで元のさやに収まりハッピーエンドなら、互いに失踪する必要など無い筈だ。


「ふたりは駆け落ちして……冥土への道連れに無理心中?」


 桃矢は今回の件で、薫の腹黒い正体に気が付いてしまった。そして彼女を心底恨んだ。そこで桃矢は薫を道連れに無理心中、あるいは殺害しようという魂胆なのだろうか。


 契約書。私の魂と引き換えに、婚約者ともう一度だけ話し合えるよう一時回復させてください。

 それが桃矢の望んだ契約内容だったのだろうか。


 以前、愛する婚約者を残して冥土へ旅立った女性で、同じような願いを望んだ客がいた。ただ、その目的は百八十度違うものだ。

 冥土の土産の契約は人の命を奪えない。しかし人は、自らの手で人の命を奪うことができる。


 だから恨んでいる相手と接触できる状況を冥土の土産で作り上げ、契約の掟で禁忌タブーとされている殺害自体は、自らの手で実行する。

 最高神の定めし法のグレーゾーンを付いた殺害計画。いかにもエリートが考えそうなクレバーなやり方だ。


「だとしたら。あの魔法のハーブ自体が、記憶喪失自体が……」


 最初から桃矢の仕組んだフェイクだったのかも知れない。

 ならば『冥土の土産に一度だけ』という規定ルールにも背かない。

 オーナーのマホだって、これなら文句は無い筈だ。


「でも、それって殺人教唆なんじゃ……」


 望美の鬱蒼とした猜疑心は深まっていく。その日の午後はまるで仕事に身が入らなかった。


 ◇


 終業後。


「お疲れさまです、店長。すこしお時間を頂いても、よろしいでしょうか」

「お疲れさまです、なんでしょう」


 望美は思う。自分は、また真幌に何かを秘密にされている。


 どうして真幌はいつも肝心なことを、自分に話してくれないのだろう。

 どうして自分のことを信用して、心を開いてくれないのだろう。

 もう出会って一年近くになるというのに。


 所詮、彼にとっての自分はただの昼間の従業員。心を許せる相手ではないという事なのだろうか。


「どうしたのですか、望美さん。そんなに思い詰めた顔をして」


 冥土の土産に復讐目的の殺人教唆。今回の真幌の下した判断を、真幌を信じて本当に良いのだろうか。

 このままでは真幌を心から信頼して、この店で働けない。


 そんな思いと、これまでのすべての経緯。これまでの自分の推察を。

 そういった腹のうちを、望美は洗いざらい真幌にぶちまけた。


「店長、あたし――」


 すべてを黙って聞き終えた真幌は、静かに口を開いた。


「百聞は一見にしかずという言葉もありますし」


 真幌がテーブル席へと望美を促す。

 奥側の席に真幌が座る。夜の接客用の定位置だ。


「どうぞ」


 真幌が掌を差し出す。望美は言われるがままに対面席へと腰掛けた。


「本来ならばお客様のプライバシーに拘わることなので。昼の従業員スタッフといえど、お見せすることははばかられますが」


 雪洞のペンダントライトに真幌が白い手をかざす。


「望美さんは、心から信頼の置ける仲間スタッフでありますので」

「店長……」


 備中和紙に包まれた雪洞の表面がすっと透明になる。巨大な水晶玉のようだ。

 同時に雪洞の中に映像が浮かび上がる。

 まるで球体のスクリーン、いや三次元立体映像ホログラムだ。


「これは?」


 この場所での接客の記録ログのようである。


「あの子曰く。お客様との面談記録は、こうやって録画して最高神おかみに提出するのが規定なんです」


 あの子、オーナーである黒猫マホの事だ。真幌の説明に「そうなんですね」と答えながら、望美は雪洞の映像に目を配る。


 テーブル席の奥側には今と同じく真幌。そして今自分が座っている対面席には、愛する婚約者を残して、ひとり死を迎えようとする若き生霊の姿が。


 そのやりとりの一部始終を見て、望美が驚愕の声を上げる。


「て、店長。こっ、これは⁉」


 不可解に散らばっていたパズルのピースが、望美の中で音を立てて繋がっていく。


「そ、そういうことだったんですね」


 真幌は「ええ」と静かに頷いた。


「でも、これじゃあ……」


 望美が口を押さえる。胸の奥が熱くなる。瞳にじわりと涙が浮かぶ。


「これじゃあんまりです。こんな結末、いくらなんでも……あまりにも……悲しすぎて……」


 すべての謎が氷解した。

 そこには望美の想像を凌駕する真相があった。


 それはあまりにも儚く切ない恋の結末だった。

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