3-8
数日後。
失踪していた桃矢が、愛車の白いレクサスSCと共に総社市内の実家へと帰って来た。
事故で入院した時から数えると、もう半年以上ぶりになる。
「父さん、母さん。ご心配を掛けて申し訳ございませんでした」
由緒ある一族より代々残されし、広大な土地に建てられた純和風の豪邸。
桃矢がその広々とした居間で、背筋を伸ばし礼儀正しく一礼する。武道家らしい凛とした佇まいだ。
父親の「どこに行ってたんだ、心配したんだぞ」との問いに、桃矢は「長らくの入院生活で退屈していたので、近県を高速道路で跨いで気ままにドライブを」と伝えた。
両親は苦言を述べたものの「無事に戻って来てくれて、本当に良かった」と肩を寄せ合い涙ぐんだ。
◇
その夜。
「もも、ちょっといいか?」
桃矢は妹の部屋へと訪れた。子供部屋といえど十八畳の広々と立派な和室だ。
「おまえだけには、本当のことを言っておこうと思ってな」
桃矢は自分が失踪した本当の理由を、妹の桃香に説明した。
【「なあ、もも。かおるさんって誰だ?」】
その言葉に誰よりも引っ掛かりを覚えたのは、桃矢自身だった。
目覚めてからというもの、どうも記憶の一部がぽっかりと抜け落ちている。
失った記憶を取り戻そうと、桃矢は過去の知人に病室からLINEで連絡を取りまくった。かおるという名の人物に心当たりはないかと。
最初は皆、一様に知らないとしらばっくれてはいたが。桃矢のしつこいLINEや電話攻撃に根負けしたのか、大学時代の弓道部の旧友が事実を漏らしてしまった。
両親が必死になって桃矢の友人・知人に口止めの根回しをしていたようだが、さすがに限界があったみたいだ。
『実はな桃矢、おまえの親から口止めされてたんだけど。じゃけえ、俺から聞いたって絶対――』
こうして桃矢は薫の存在を知った。
桃矢には付き合って七年になる婚約者がいる。春には挙式をする予定だった。
しかし彼女の最近の評判は、すこぶる悪い。旧友は電話でこう言った。
『なあ桃矢。記憶がないんだろ。悪いこと言わんから、そのまま忘れた方がええよ』
「どうしてだよヒロ?」
『俺の嫁さんが言ってたんだけど。ほら知ってるだろ、薫ちゃんの親友だった』
「ああ、みよちゃんだろ。披露宴にも行ったじゃないか」
――……誰と?
ともあれ、共通の知人である旧友の妻に、薫は桃矢のことを相談をしていたそうだ。
『で、ヨメから聞いた話だと』
自分は玉の輿目当てで桃矢に近づいた。それから七年も掛けて挙式の予定までこぎつけた。なのに桃矢は、事故で意識不明の植物状態になってしまった。
元々、桃矢への愛情はそれほどでもなかった。単に見栄えの良いハイスペック男子で、結婚相手としても条件が良かったから交際していただけだった。
婚姻届けの提出には本人同士の署名が必須。意識不明で回復の見込みがない桃矢がサインをすることは不可能だ。だから玉の輿婚が事実上無期延期の飼い殺しとなった今、気持ちが完全に覚めてしまった。
これなら新しい玉の輿相手を探した方が得策。自分は容姿に自信がある。だから男なんて、より取り見取りの選び放題なのだと。
『あの薫ちゃんが、あんなゲスで薄情なクズビッチとは夢にも思わんかったわ。学生時代はめっちゃ清楚で奥ゆかしくて良い子だったのに。人って極限になると本性出るもんだよな。だから桃矢、あの女はやめとけ。忘れた方がいいって。ヨメも言ってたぞ、私も親友やめるって』
「そんな…………」
『桃矢自身に記憶がないのが幸いだって。世の中、知らぬが仏。学生時代からモテモテのおまえなら、他にいくらでも結婚相手なんか見つかるだろうし』
そう言って旧友は電話を切った。
どうにも腑に落ちない。自分はそんな最低の人間と付き合っていたのかと、桃矢は憤りを覚えた。自分に対しても、相手に対しても。
桃矢は友人の助言を無視し、真相を自分の目で確かめようと、薫という人物に直接連絡を取ろうとした。しかし自分のスマートフォンからは、薫の形跡はすべて削除されていた。
連絡先やLINEアカウントはもとより、それらしき女性の画像や動画すらも見当たらない。
おそらく親が根回ししたのだろう。桃矢は生死を彷徨った身だ。通信会社が親族にパスコードを開示しても、何らおかしな話ではない。
旧友の話だと、薫の両親と祖父母は既に他界しているとのこと。実家に連絡も取りようがない。
桃矢は薫の勤務先を他の知人からさりげなく聞き出し、市役所に電話で問い合わせた。
自分はそちらの経理課の職員である楠木薫の婚約者。ここ数日連絡が取れなくて、心配している。そう伝えると、声の主である同僚らしき若い女性職員は快く応対してくれた。
『楠木なら、先日から有休を取っております。県北へ思い出のおひとりさま旅行に行くとは言っていましたが』
「そうですか……」
『本人から、いつも伺ってますよ。自分にはもったいないぐらいの素敵なフィアンセだって、いつものろけられています。うふふ、ご馳走さま』
通話を終えた桃矢はつぶやいた。
「県北へ、ひとりで。俺との思い出の場所……もしかして」
桃矢は釣りが好きだった。県北には渓流魚の管理釣り場へルアーフィッシング目当てで頻繁に足を運んでいた。
自分に恋人が居たのならば、きっと連れて行っていた筈だ。
桃矢は自分のスマホの画像を調べた。
案の定、Googleフォトのクラウドバックアップには、釣り上げたニジマスを自慢げに掲げている自分の画像が多くあった。
「これは誰が撮った画像だ。ももか?」
中には、妹とのツーショットも数多くある。
「つまり、これは……」
おそらく、これを撮ったのが自分の彼女。薫という女なのだろう。
徹底して事実を隠ぺいした両親も、そこまでは気が回らなかったみたいだ。
いてもたってもいられなくなった桃矢は、深夜の病室を抜け出した。
病院に常駐待機している深夜タクシーで、こっそりと自宅へと戻りガレージを開ける。
桃矢は愛車のレクサスで真夜中の高速道路を飛ばし、県北へと向かった。
ニジマス釣りの画像の景観と県北ガイドマップを頼りに、釣り好きな自分の宿泊しそうな管理釣り場近くのコテージなどを探し歩く桃矢だった。
しかし結局、薫の消息を掴めずに諦めて帰って来たということだった。
「と、いう訳なんだ。悪かったな、ももにも心配を掛けて」
「ううん。でも、そっか。県北にかおるさんを探しに……そうじゃったんじゃなあ」
桃香は自分の知る薫の腹黒い本性を兄に伝えようか迷った。
しかし、とりあえず今夜は兄にはゆっくり休んでもらいたいと、胸の内に閉まっておいた。
「なあ、もも」
桃矢は妹の桃香に、自分の数日間の行動を語り終えた後、最後にこう締めくくった。
「俺が県北へ行ってたことは、誰にも喋るんじゃないぞ。特に父さんと母さんには絶対に」
兄の表情には鬼気迫るものがあった。まるで何かに取り憑かれたかのように。
「う、うん……」
桃香の背筋に、ぞくりと悪寒が走った。
◇
翌日。県北の管理釣り場近くの山荘で、薫が遺体となって発見された。
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