1-6
「まっ、麻衣っ!」
「ほんと危ないとこだったんだよ。間一髪さ」
「なあ。これは一体どういうことなんだ、坊主」
「だから、その坊主っての止めてよ。マーくんって呼んでって何度も言ったじゃんか」
「……マーくん、どういうことか説明してくれないかな」
少年が言うには、麻衣はディレクター甲山から言葉巧みにホテルの部屋へと連れ込まれた。そこで無理やり襲われる寸前だったのだ。
少年は不思議な雪洞を用いて、翔の職場関係についても
今夜は深夜まで俺の部屋で反省会だ。翔や他のメンバーたちも、既に集まってるから。そんな甲山の嘘に騙され、麻衣は悪魔の潜む部屋の扉を、自らの手で開けてしまった。
そして――。
慌てて少年は、遠隔操作の魔術で甲山の身体から麻衣を引き離し、その隙に彼女を部屋から逃がそうとしたのだが。
「おねえさんったら。部屋の外へ出て行かずに、シャワールームに逃げ込んだんだよ。で、内側から鍵を掛けて、立てこもっちゃったんだ」
「ったく、何やってんだよ……麻衣のやつは」
「まあ、無理もないんだけどさ。あのスケベなエロオヤジに、無理やり服を脱がされて。おまけに、服をビリビリに破かれて。それで下着姿にされちゃったわけだから」
そんな姿でホテルの部屋から飛び出すわけには行かない。恥らいもあるし、それ以上に子供番組のヒロイン役である自分のそんな姿を誰か目撃されたら、きっと世間は大騒ぎになってしまう。スマホで撮影でもされた日には、SNSから大炎上だ。
咄嗟にそう考えた麻衣は、恐怖と不安に怯えながら、翌朝のチェックアウトの時間ギリギリまで、シャワールームでの籠城を決め込もうとしていたのだ。
密かに甲山が麻衣の上着を破ったのは、彼女が容易に部屋から逃げ出せぬ状況を作り出すための策略。麻衣はまんまと、甲山の黒い罠にはまってしまったのだ。
「それで、どうやっておねえさんを救助しようかと考えていた矢先に、表の扉が開いてさ。おにいさんが店へと現れたってわけなんだ」
少年の話を聴き終えて、翔は激しく顔をしかめた。
「……なあ、マーくん」
「なあに?」
「こんなとこ見せ付けて……俺に一体、どうしろっていうんだよ」
「そんなの、言わなくても分かってるでしょ?」
「…………」
「ねえ、早く助けに行かないでいいの。仲間のピンチだよ?」
今すぐホテルへ戻るべきか。しかしこれ以上、
【「なあ。そうやって上にあれこれ生意気な口を叩いてると、あーっという間に干されちまうぜ」】
以前、イエロー役の青年に言われた忠告が、甲山のギョロ目と共に翔の脳裏を掠めた。
「麻衣……」
不思議な雪洞の中では、仲間の麻衣が震えている。
あられもない姿でしゃがみ込み、ぽたぽたと涙をシャワールームの床に落としながら「助けて……レッド……助けて……翔……」と、何度も小声でつぶやいている。
昨日の彼女の台詞が翔の脳裏に響く。
【「えっちなグラビアの仕事とか、さっきみたいなセクハラとかで、何時も心が折れそうになって……もう田舎に帰ろうかと思ってた矢先に、やっと掴んだチャンスだから」】
――麻衣は嫌な仕事に対しても前向きに頑張っているのに、それに引き換え俺は……。
――何時も拗ねてばかりで。お偉いさん達から、ちやほやされてる彼女に嫉妬して……。
――困っている仲間のひとりも助けてやれない……女々しくて頼りないクズ野郎で……。
【「セイギのレッドがそんなクズで、ファンの人たちに申し訳ないと思わないの? 純粋な子供たちからファンレターとかもらって、心が動かないの?」】
――こんなクズのくせに……正義のヒーロー役なんかやってて……純粋な子供たちを騙して……。
泣きながら翔を叱咤する麻衣の顔と、ファンレターの文字とがシンクロする。
【『ちびっ子たちに夢を与える素敵なお仕事だと思っています。レッド役の広瀬さん、いつも勇気をくれてありがとう!』】
――俺は……俺は……偽りの正義のヒーローで……。
ふと、母の台詞を思い出す。
【そうよ、お父さんは凄い人なの。ヒーローは毎晩遅くまで悪い人や悪の組織と戦って、地球の平和を守っているのよ。翔はそんな正義のヒーローの息子なんだから」】
――俺は……偽りの正義の仮面を被った、あいつの……息子で……。
「ねえ、行かなくていいの?」
激しく心が揺れ動く。葛藤する翔の背後から、少年が何度もしつこく声を掛ける。
「おにいさんは、正義の味方なんだよね? 困っている仲間を、大切な人を助けなくていいの?」
――あいつの…………正義の味方の……息子で…………。
「ねえ、最期にカッコいいとこ見せてよ。冥土の土産に……さ」
――……正義の……ヒーローの…………。
【「助けて……レッド…………翔……」】
「ねえ、それでいいの?」
バーン!
翔は両手でテーブルを激しく叩いた。
「いいわけねえだろっ!」
翔は踵を返すと、一目散に宿泊先のホテルへと駆け出した。
◇
「甲山さん、開けてください!」
翔が、甲山の宿泊するホテルの部屋の扉を激しく叩く。
「中にいるんですよね? 開けてください甲山さん!」
激しく扉を叩く。
「甲山さんっ」
叩く。
「出てこい、甲山あーっ!」
ようやく扉がギイと開いた。
根負けしたのか、居留守を使っていた甲山が、鬱陶しそうに顔を覗かせる。
「なんだよ、でかい声張り上げて。周りに迷惑だろ。とっとと部屋に戻れ。ていうか、なに生意気な口を叩いてんだよ。自分の立場分かってんのかコラ」
オラつく甲山の声を遮るように、部屋の中から「レッドっ⁉」と声がする。
「麻衣っ!」
翔は甲山を押しのけて部屋に入ろうとした。しかし甲山は、翔の胸元を両手で押し返す。
「いいから黙って引っ込んでろ。オマエもオトナなら分かるだろ?」
甲山が翔に口臭を浴びせながら、ニヤついた笑みを浮かべる。
「この業界じゃあ、よくあることじゃないか。ていうかさ、俺に逆らうとどうなるか――」
バシッ! と鈍い音がロビーに響く。
翔は右の拳を握りしめると、甲山の頬を強く殴りつけた。
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