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 翔が中学に進学したばかり頃。父は突然、家族を残して失踪した。


 おそらく水商売の女と駆け落ちしたのだろう。狭い町だったので、そんな噂が瞬く間に広まったのだ。


 父は失踪直前、自宅近くの繁華街のキャバクラに客として頻繁に出入りしていたそうだ。若い嬢に熱を上げていて、店の裏でその女と口論になることも多々あったらしい。


 他の客や店員たちのそんな目撃証言が、悪い噂に拍車を掛けてしまったのだ。


 正義の味方の筈の警察官が、家族を捨ててキャバクラの女と逃亡した。


 その黒い噂は翔の通う学校中に知れ渡り、息子である翔はクラスでいじめを受けるようになったのだ。翔は登校拒否を繰り返し、学校の成績も急降下してしまった。


 家庭を捨てた父を恨む日々。正義の味方の裏の顔なんて、所詮はそんなもの。この世にヒーローなんて居やしない。すべては嘘の仮面の姿じゃないか。


 善人ぶった奴なんて信用できない。失踪した父を恨む日々。人間不信となった彼は次第に、ひねくれた性格へと変わってしまった。


 まともに中学に通えなかった翔は底辺高校に進学。服装や生活態度は乱れ、世間からは不良と呼ばれるようになった。


 対して母は「お父さんはそんな人じゃない、きっと悪い事件に巻き込まれたのよ」と、世間の冷たい目や黒い噂に負けなかった。


 シングルマザーとなった母は、頑なに父の帰りを信じて待ち続けた。女手一つで懸命に働き、翔を育てたのだ。


 しかしそんな母も、昼夜働き詰めで無理がたたったのか、翔が高校二年生の時に急性くも膜下出血で他界してしまった。

 

 天涯孤独となった翔は高校を中退。その直後、ひとり東京へと旅立った。


 人並みに都会への憧れもあったし、地元はクズな父親のせいで居心地が悪い。親戚にも煙たがられ、冷たくあしらわれている。


 ならばいっそ、誰も知らない場所で生きていこうと決意したのだ。


 しかし学歴のない翔に、まともな仕事は見つからない。おまけに性格は生意気で、上にはいつも嫌われる。


 なまじ男前の翔だから、上役の嫉妬もあったのかもしれない。どの職場でも長くは続かず、職を転々とする日々だった。


 二十歳の頃。居酒屋でフリーターをしていた時に、今の芸能事務所の女社長にスカウトされた。


 最初はあまり乗り気ではなかった。しかし自分が仕事をしている姿が作品映像として形に残り、それが全国のお茶の間に流れる。


 そのことに、少しずつ感動と喜びを覚えるようになった。以来、翔は役者の道を志すようになったのだ。


 事務所は弱小で、まともな役が付かない日が続いた。しかし翔は負けじと芝居のレッスンに励んだ。


 バイトのシフトを減らすことを余儀なくされ、生活は苦しかった。


 翔はルックスが良く、特に年上の女性にモテた。貧しくも夢に向かって仕事しばいと向き合う。そんなひた向きな彼を、放っておけない女性は多かったのだ。


 しかし翔は、父親のように色恋に振り回されるような安っぽい人間にはなりたくはないと、遍く女性たちからの援助を拒み続けた。


 役者として実力を付けて有名になれば、きっと失踪した父の目にも届く筈。


 誰もが名を知る不動の有名芸能人になって、いつか自分を苛めた連中を見返してやる。そして自分の立派に成長した姿を、テレビを通して父に見せつけてやるんだと。


 翔はそうやって自分を奮い立たせ、陽の当たらぬ下積み生活を懸命に過ごしたのだ。


 上京して六年。翔は二十四歳になっていた。


 そんな中で、彼にもようやくチャンスが巡ってきた。若手俳優の登竜門である子供番組のヒーロー役、しかもセンターのレッドだ。


 正直チャンスは嬉しい。しかし父の失踪後、あれだけ忌み嫌っていた正義のヒーローを、まさか自分が演じる羽目になるとは。翔の心境は複雑だった。


【「隠しても無駄だよ。ボクは、すべてをお見通しなんだ」】


 ふと例の少年の台詞が頭に浮かぶ。回想に浸っていた翔は我に返った。


「まったく、完全に人の心を見透かしやがって……あいつ、本当に……」


 あの少年は、本当に死神なのだろうか。


【「残念だけど、寿命があと僅かなんだよね」】


「……俺、死ぬのか?」


 ベッドサイドに置いた和紙の名刺を手にする。バーで少年に渡されたものだ。


「冥土の土産屋……か」


 ならば何を叶えてもらおうか。残り僅かな命と引き換えに。


「やっぱ人気絶頂アイドル女優と、恋愛映画にW主演の大抜擢とかだよな。で、その後その子と内緒で付き合ったりなんかして。それから、えっと」


 翔は数々の有名女優との、華やかな競演の舞台を妄想しようとした。

 だけど、彼の脳裏に浮かぶのは――。


【「クズ、最低。あなたそれでも正義の味方なの?」】


 瞳いっぱいに涙を貯めた、素顔のセイギピンクばかりだった。


 ◇


「やあ、いらっしゃい」


 藍染帆布の暖簾の向こうから、少年が笑顔で翔を出迎える。


 翌晩。倉敷ロケ収録の最終日を向かえた翔は、和紙の名刺を頼りに夜のまほろば堂へと訪れた。


 明朝には東京に戻る。その前に疑問を晴らしておきたかったのだ。


「きっと来ると思ってたよ」


 少年の言葉には答えず、翔は無言で店内を見渡した。仄暗い間接照明の落ち着いた雰囲気。店舗としては、あまり広くはなさそうだ。


 元は古い蔵なのだろう。大きな梁が縱橫に通った天井が、どこか懐かしい佇まいを醸し出している。


 白い漆喰の壁に、随分と年季の入った木製の腰壁や商品棚。観光地によくある土産屋だろうか。壁に掛けられた黒塗りの古時計が、静かに時を刻む。


「ここが冥土の土産屋……か」


「あいにくと店長もメイドさんも留守しててね。今夜はボクひとりでお留守番なんだ。だから気兼ねは要らないよ」


 少年は店舗奥の一組しかないテーブル席へと、来客である翔を招き入れた。 


「今ね、丁度TVティービーショーをやっている最中なんだよね」


「なんだよ、テレビのショーって」と、翔がようやく口を開く。


「夜のヒーロータイムさ」


 雪洞の和風ペンダントライトに、少年がちいさな掌をかざす。

 備中和紙に包まれた雪洞の表面がすっと透明になる。巨大な水晶玉のようだ。


 雪洞の中に、なにやら映像が浮かび上がる。まるで球体のスクリーン、いや三次元立体映像ホログラムだ。


「…………⁉」 


 翔は仰天した。

 そこに映し出された映像は、瞳に涙を浮かべた素顔のセイギピンク橋本麻衣が。


「なっ!」 


 ホテルのシャワールームで肩を震わせながら、下着姿でしゃがみ込んでいる姿だった。

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