1-3
翔は「ぷっ」と吹き出した。
「なに言ってんだよ。さっきから寿命がどうとか、冥土の土産に願いをひとつとか。神は神でも死神ってやつか?」
「うふふ、死神だって神様じゃん?」
子供の妄想話には付き合いきれない。
「くだらないこと言ってないで、さっさとウチに帰れよ。なあ、死神マーくん?」
翔はベンチから立ち上がり、宿泊先のホテルの方向へと踵を返した。
◇
翌日の倉敷館の一室。撮影用の楽屋として用意された部屋だ。
収録後、そこで翔は今日もディレクターの甲山と衝突してしまっていた。
「あーん? またかよ。若造のオマエに、芝居の何が分かるってんだ」
甲山が瘦せぎすの顔を歪める。首巻きにしたライトグリーンのセーターで若作り。いかにもな業界人ファッションだ。
翔は「お言葉ですが、甲山さん」と反論しようとした。しかし――。
「なんだよ、その不貞腐れたツラは。おまけに
甲山がギョロ目で翔の顔を覗き込む。
「もっとオトナになって仕事してもらわないと困るんで・す・け・どっ」
そのおぞましさに、翔は思わず視線を逸らした。
「まったくショウがないなあ、近頃の若い新人タレントくんは。主役の翔がそんな生意気な態度じゃあ、折角のヒーローショウタイムが台無しでショウが。ちょっと若くてイケメンで奥様方から人気上昇中だからってさぁ、最近天狗になってんじゃないの? なあ、セイギのヒーロー
「ハハハハッ。いやー、甲山さんのジョークはいつも最高っす!」
若いADが甲山Dの放つサムい駄洒落の連発をヨイショ。ブルー・イエロー・グリーン役の青年たちも、顔を見合わせ愛想笑いを浮かべている。
甲山は「だろ?」と、ドヤ顔を決め込んだ。
翔は俯きながら無言で、握りこぶしをぐっと固めている。
イエロー役の青年が、翔の傍に歩み寄り忠告する。メンバーの中では最年長だ。
「なあ。そうやって上にあれこれ生意気な口を叩いてると、あーっという間に干されちまうぜ。仕事熱心なのはいいけどさ、現場の空気を乱さないでくれよな。正直、迷惑だぜ」
控室への扉の前。そんな口論が偶然耳に入ってしまったセイギピンク役の麻衣は、心配そうにつぶやいた。
「レッド……」
◇
夕方。その日の業務を終えた翔は、ひとり美観地区周辺のホテルへと戻った。辺りはすっかり暗くなっている。
エレベーターホールで立ち止まり、上階へのボタンを押す。
ホール奥の隅の一角から、ふと聞きなれた男女の話し声が聞こえて来た。
「あれは、甲山Dと……麻衣?」
物陰で甲山は馴れ馴れしく、麻衣の腰に手を回していた。
「さっきさ、撮影中に感じの良い店を見つけたんだよね。さあさあ、これからふたりで夜の美観地区へと繰り出そうか。ねっ、マーイちゃん?」
麻衣は、甲山の手を払いのけようと腰を引いている。
「じゃ、じゃあ。スタッフさんや、みんなを誘って……」
「ふたりっきりの時はコーちゃんって呼んでよ、コーちゃんってさ。つうか、ふたりっきりじゃないと意味ないんだよね」
「はあ……」
「ほら、マイちゃんって見込みあるからさ。いろいろ演技とか、これからのこととかについて、しっぽりアドバイスしたいと思ってね」
「ありがとうございます、甲山さん。でも、ふたりきりはちょっと……」
「おやぁ、ディレクターのオレが特別に、個人指導してあげようってんだよ?」
麻衣と目が合う。どうやら通りすがりの翔に気が付いたようだ。
助けて、レッド。と麻衣が目で訴える。
翔は気まずそうに視線を逸らすと、到着したエレベーターの中へと逃げ込んだ。
◇
しばらくして翔の部屋に、ノックの音が響いた。
「ちょっといい?」
麻衣だ。カードキーでロックを外し扉を開く。すると麻衣は頬を真っ赤に膨らませながら、部屋の中へと飛び込んで来た。
「ねえ、レッド。さっきのは何よ。あたし甲山さんに、しつこく絡まれて困ってたのに。どうしてスルーしたのよ。そ知らぬふりなんて酷いじゃない」
凄い剣幕だ。翔は視線を逸らしながら言葉を返した。
「もっとオトナになれよ麻衣。お偉いさんに気に入られて、可愛がって貰った方が何かと得だろ」
オトナになって仕事しろ。いつも翔が甲山に言われている言葉だ。
麻衣が眉をひそめて、翔の顔をキッと睨む。
「……なによそれ、本気で言ってるの?」
「ああ、まったく女は得だよな」
バシン! と激しく物音が部屋に響き渡る。
麻衣は、おもいっきり翔の頬にビンタをした。
「痛って…………」と翔は自分の左頬を摩った。
「クズ、最低。あなたそれでも正義の味方なの?」
「……正義の仮面は役だけの、上辺だけの姿だろ」
「どこまでひねくれてるのよ、馬鹿」
麻衣の目にじわりと涙が浮かぶ。
「翔って、いつもツンツンしてて憎まれ口ばかり叩いているけど。本当は自分に厳しい頑張り屋なんだって。わたし、そう思ってたのに」
溢れだす感情。大きな瞳に涙を貯めながら、麻衣が溜め込んでいた想いを吐き出す。
「わたし十代の頃にアイドルとしてデビューしたけど、全然売れなくて。えっちなグラビアの仕事とか、さっきみたいなセクハラとかで、何時も心が折れそうになって……もう田舎に帰ろうかと思ってた矢先に、やっと掴んだチャンスだから。このお仕事を一生懸命、頑張りたいと思ってる。そんな時に、同じ現場の仲間として翔と知り合った」
翔が黙って俯く。
「わたし以上に頑張っていて、わたし以上に今まで苦労して。それでも『一流の俳優になるんだ』って目標に向かって何時もストイックに妥協せず、お芝居や自分と向き合ってる。そんなあなたを、わたし密かに応援してたのに。自分も見習わなきゃって思ってたのに……」
「…………」
「それがこんな女々しい、ひねくれ者のわからず屋だっただなんて。幻滅したわ。ほんっと最っ低」
麻衣は涙を拭うと、翔を睨んで語気を強めた。
「セイギのレッドがそんなんで、ファンの人たちに申し訳ないと思わないの。純粋な子供たちからファンレターとかもらって、心が動かないの?」
翔は「やめてくれよ、うんざりだ」と吐き捨てるように言い返した。
「俺が欲しいのは、役者としてのまともな実績。それと、お偉いさんからのドラマや映画のオファーだ」
「翔……」
「安っぽくてくだらない、子供だましの善人ごっこなんかに興味はない。だからあんなファンレターなんて貰っても、これっぽっちも嬉しくないんだよ」
「……何だかんだ言って、いっつも読んでるくせに」
麻衣も負けじと言い返す。
「じゃあ、読まずに捨てればいいじゃない。どうして手紙を自分で捨てないで、いっつもわたしに押し付けるのよ?」
◇
午後十時。翔は先ほどの麻衣とのいざこざを紛らわせようと、ひとり夜の美観地区へと足を運んだ。
和風ダイニングバーのカウンターの上には、備前焼の徳利とお猪口に入った地元の銘酒『極聖』。翔は眉間に皺を寄せながら、地酒をぐびりと煽った。
「おやおや、随分とご機嫌ナナメのようだね、お・に・い・さん?」
翔が怪訝そうに振り返る。
「やあ」
そこには例の不思議な少年の姿があった。
「なっ……何やってんだよ、坊主」
「だから、マーくんって呼んでくれなきゃ」
「……だから、何やってんだよマーくん」
少年が「うふふ」と笑う。
「おにいさんこと何やってんのさ。そんな飲み方してちゃダメだよ。正義の味方が、朝のヒーロータイムに二日酔いで出演するつもりかい?」
翔が「質問に質問で返すなよな」と不貞腐れる。
「とにかく子供が、こんな遅くにこんな店でなにやってんだよ。親が心配す……」
「ねえ。おにいさんの願い、ボクが言い当ててあげようか?」
翔のお説教を遮るように、少年が言葉を続ける。
「おにいさん、有名芸能人になりたいんでしょ」
少年がじっと翔を見つめる。
「……まあ、な。一応、役者だからな」
「夢は一流の演技派俳優。誰もが知ってるお茶の間の有名人になって、自分を苛めたクラスの連中や、冷たい親戚や、クズな父親を見返してやりたいんでしょ」
「なっ……」
「隠しても無駄だよ。ボクは、すべてをお見通しなんだ」
少年はポケットから小さな紙切れを取り出すと、カウンターの上にそっと差し出す。絶句する翔を尻目に少年は「いつでもおいでよ」と店を後にした。
「な。なんなんだ、一体……」
翔が紙切れに目を配る。
チラシだろうか。和紙に黒い毛書体で、店の名前が住所と共に記されている。
『冥土の土産屋まほろば堂 倉敷美観地区店』
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