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「ねー、のぞみちゃん。早く行こうよ」


 まほろば堂の店頭で少年は、茜色の和装メイド姿をした逢沢あいさわ望美のぞみの袖を引っ張った。

 黒い薄手のサマーパーカーを羽織ったファンキーファッション。洒落た様相だ。フードとサングラスを頭に被せ、ヘッドフォンを首にぶら下げている。


 黒猫マホだ。例によって老舗の土産屋『まほろば堂』店主の蒼月あおつき真幌まほろに憑依し、高学年児童の姿へと変身しているのだ。

 先日「セイギリオンの美観地区ロケを見物しに行くからね」と、無理やりマホから約束をさせられていた望美だった。


「もー。早くしないと、撮影始まっちゃうじゃんかよ」


 密かに最近、毎週日曜日の『朝のちびっこヒーロータイム』は、黒猫の姿で居間のテレビの前を占領していたマホである。


「ちょっとマホくん、そんなに急かさないでよ。じゃあ、忍さん。店番お願いします」

「はいはい、さっさと行っといで。っていうかアンタってさあ」


 店主の義理の姉である中邑なかむらしのぶが、腕組みをしながらニヤニヤと笑みを浮かべている。


「なっ、なんだよしのぶちゃん?」


 長身の忍が、少年を見下ろす。ぱっつん前髪。腰まであるストレートの黒髪がなびく。

 ライダースジャケットにレザーパンツ、相変わらずの黒尽くめだ。手足が長くスレンダー。モデルのように着こなしつつも、妙に迫力がある。


「アンタって、密かにヒーローものとか好きだったんだ。何時も生意気ばっか言ってっけど。案外、可愛いとこあるじゃない。ねっ、マーくん?」


 忍が少年をからかう。


「しっ、シゴトだよっ!」


 少年の姿をしたマホは顔を赤らめ、そっぽを向いた。


「まーくん、か。懐かしいな。確か子供の頃は、真幌の事をそう呼んでたわよね。アタシも…………あの子も」


 ふたりの背中を見送ると、忍は幼き頃の亡き妹の事を思い浮かべた。


 ◇


 倉敷美観地区。


 駅から徒歩で五分程南下した場所にある、市内の有名観光スポットだ。

 倉敷川沿いに連なる白壁や格子窓の町並み。歴史情緒あふれる景観だ。枝垂しだれ柳の並木道が風情豊かである。


 眩しい初夏の日差しが倉敷川の水面を白銀に照らす。『晴れの国おかやま』と言われるだけあり、気候の良さが地域の特徴だ。


 望美はこの春から、美観地区に店舗を構える老舗の土産屋『まほろば堂』の店員メイドとして、正式に雇用契約を交わした。


 以前は生霊として、望美はまほろば堂に出入りをしていた。その時はアルバイトの身分であり、またひとりの客でもあった。


 今回、雇用契約を交わしたとはいえ、あくまでそれは昼間の営業の話。

 この店の密かな夜の業務内容は『冥土の土産屋』。死後の世界への道先案内代理店だ。そのスタッフとしての雇用契約は、望美は交わしていない。


 だから生霊でなくなった望美には、もう以前のように霊の姿は見えないのだ。

 反対に店主の真幌は予てより、冥土の土産屋の『雇用契約』を神の使いである黒猫マホと交わしている。


 なので真幌は人間でありながら、霊と交流することが可能なのだ。

 昼は飼い主とペットである真幌とマホ。逆に夜の家業に関しては、ふたりは雇われ店主とオーナーといった奇妙な間柄なのである。


「のぞみちゃん、早く早く」


 少年が望美の細い手を引っ張る。よほどロケを楽しみにしていたのだろうか。嬉々とした表情だ。


「やってる、やってる」


 ふたりは美観地区内の倉敷川中間に位置する、倉敷館付近に辿り着いた。

 館前の中橋付近には、黒山の人だかり。大半は親子連れと女性の集団だ。幼児を連れた若い夫婦に混ざって、年配マダムの姿も多い。


 目下、橋の上でアクションシーンを撮影中だ。

 和服を着て殺陣をこなす素顔の戦隊メンバーたち。どうやら江戸時代にタイムスリップした設定らしい。


「はいカット! 本日の撮影、これにて終了ぉ」


 甲山ディレクターの甲高い声が響き渡る。

 撮影を終えた役者やスタッフたちが、各々に現場を立ち去って行く。


「きゃー、ジュンくん、レツくん、ショウくーん!」


 ゴージャスに着飾ったマダムのグループが、黄色い声を上げる。

 人だかりに向かって愛想を振る舞う戦隊メンバー。ファンサービスに余念がない。


「ショウくーん、こっちむいてー!」


 しかし一番人気であるレッド役の翔は、他のメンバー達を横目に足を速めた。

 翔は端正な顔立ちながら不良っぽく、すこし斜に構えたところがある。それが母性本能をくすぐるのか、年配の女性達に人気上昇中だ。やんちゃな息子を見守る母親のような気持ちになれるのだろう。


「いやー、ショウくん行かないでー!」

「ショウくーん!」


 マダムたちの熱烈な勢いに「すごいなぁ……」と圧倒される望美だった。

「ねえ、あのレッド役のショウって人。奥様方に凄い人気だよね、マホく……ん?」


 少年の姿が見当たらない。さっきまで望美の横で、ぴょんぴょん背伸びをしながら見物していた筈なのに。

 望美はきょろきょろと辺りを見渡した。


「マホくん、どこに行ったんだろう……」


 ◇


 夕暮れの倉敷川。しだれ柳の下の木製ベンチに、翔はひとり腰掛けていた。


「くそっ……」


 収録後、今日も翔はディレクターの甲山と口論になってしまった。

 翔が「もっと、あのシーンはドラマ性を盛り上げるために」とシナリオに口出しをしたのが気に入らなかったのか、甲山の逆鱗に触れたのだ。


 甲山には日頃から何かと難癖を付けられている。もっとオトナになれ。黙って上に逆らわず、素直にハイハイ仕事しろと。翔の芝居にこだわりすぎるが故の生意気な態度が、どうやら目ざわりのようである。


 光が照り返す水面に向かって視線を投げる。

 どうして分かってもらえなのだろう。自分は良い演技がしたいだけなのに。もっと実力で勝負したいのに。なのにどうして、現場でいつも上に嫌われてしまうのだろう。


 そんな風に心の中で呟く翔の頬を、茜色の夕日がほんのりと染め上げる。


 ――オトナになって仕事……か。


 納得いかないと言いたげに、翔は何度も深いため息を吐いた。


「ねえ、オトナのおにいさん」


 突然、翔は背後から声を掛けられた。「えっ」と振り返る。

 見知らぬ少年だ。


「おにいさんって俳優さんなんだよね。さっき、そこの橋の上でロケやってたでしょ」


 年齢は十二歳前後だろうか。黒いサマーパーカー。頭にフードとサングラス。首にはヘッドフォン。子供にしては洒落たファッションだ。


 翔は「ああ」と気のない返事をした。


「でも、本当はヒーローものとかって、やりたくないんじゃない?」

「はあ?」


「内心、馬鹿馬鹿しいって思ってるんだよね。ていうか子供とかも嫌いなんでしょ。『やってらんないよ、こんなガキんちょ相手の幼稚な仕事なんて。俺はもっと実力で評価されたいんだ』って顔に書いてるよ。何時もテレビの中でね」


「なんだよ気持ち悪いな……ああ、そうさ。その通りだよ。分かってるなら、あっち行けよガキ」


 少年は「ふふっ」と笑みを浮かべた。

 翔がイラついた口調で言う。


「なあ。さっきから黙って聞いてれば、大人に向かって生意気な口を叩きやがって。おまえ何者だ?」

「ボクは神さ」


「神?」

「うん、神さま仏さまボクさまだよ」


「なに馬鹿なこといってんだよ、坊主」

「ねえ。さっきから黙って聞いてれば、ガキだの坊主だのって。相手が子供だからって、いいオトナが初対面の相手にちょっと失礼じゃない?」


「……じゃあ、なんて呼べばいいんだよ」

「うーんと、そうだな。じゃあさ、マーくんって呼んでよマーくんって!」


 少年は無邪気な笑みを浮かべた。


「で、マーくんとやら。さっきから俺に何の用があるってんだよ。サインか?」

「実はね、ここだけの話。特別サービスで、こっそり教えてあげるんだけど」


 ベンチに腰掛けている翔に、少年は「しーっ」と小声で耳打ちをした。


「残念だけど、寿命があと僅かなんだよね」

「…………寿命……って俺の?」


 少年が意味深な顔をする。


「なんだよ、気持ち悪いな。なあ本当に、さっさと家に帰れよ。もう遅いんだから。親も心配してるぞ」

「へえ、子供も正義のヒーロー番組も嫌いなのに、随分と殊勝な発言をするんだねえ。なんだか、おかしいや」


 おかしいのは少年の方だ。見た目は児童だが、随分と口が達者なのが妙である。しかも先ほどから、不思議と人の心を見透かしたような発言を繰り返している。


 この少年は一体、何者だ。翔は薄気味悪くなった。

 暮れ行く夕日を背に、少年が言葉を続ける。


「ねえ、おにいさんの夢って何?」

「俺の、夢?」


「うん。神さまボクさまが、願いをひとつ叶えてあげるよ。そう――」

 少年はニヤリと笑った。


「冥土の土産にね」

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