第6話

 桃比呂と並ぶ昼休みを過ごすようになって一か月半がたった。

 日差しはやわらぎ、木陰にいれば十分に涼しい季節になったが、二人とも公園に出かけて個食を楽しむことはしなかった。

 けれど、相変わらず二人で並んでいても話をすることはない。晴子はしかめ面で茶色のコンビニ弁当を食べ、桃比呂は大事そうに両手で抱えてオカカとシャケのおにぎりを食べる。


 食事が終わっても行くところもないので、昼休みが終わるまで、晴子は座り続ける。桃比呂も仕事が立て込んでいない時は、並んで座っている。晴子は頬杖をついて目を瞑り眠ったふりをする。

 桃比呂はたいてい本を読んでいた。文庫本を、やはり、おにぎりと同じように大事そうに両手で包み込んで、ごく真面目な顔で読む。晴子は時々ちらりと桃比呂の手許を覗き込む。読んでいるのはどうやら小説が多いらしいということはわかったが、本の話をしようとも思わないので、何を読んでいるのか聞いてみたことはない。


 晴子は本を読むことが出来ない。真っ黒な穴に取りつかれてから、文字を読もうとしても内容がまったく頭に入ってこなくなってしまった。人の話も油断していると聞き逃してしまう。テレビもラジオもネット動画も、うるさいばかりだ。

 どうして世の中には、こんなに無駄な雑音が多いのだろう。ざわめく休憩室の誰もかれもに当たり散らしたい。黙れ、動くな、笑うな、息をするな。

 けれど隣に人嫌い仲間の桃比呂がいることで、なんとかその気持ちを行動に移すことは避けられた。


 晴子は桃比呂の、いつも変わらぬ静かな仏像のような横顔を見て、騒がしさにイラついた心を宥める。

 そうやって毎日の昼休みをやり過ごしていた。

 


 昼休みのお供、一番安いコンビニ弁当はその変わらぬ晴子の日々の象徴のように、本当にいつも内容が変わらない。パサついたからあげ、ひからびた焼きそば、もそもそしたコロッケ、とにかくどれも茶色い。


 同じ棚に並んでいる季節代わりの商品の色鮮やかさと比べたら、茶色の弁当は四季のうつろいから切り離された洞窟の奥の奥、怪物がすむ迷宮の行き止まりの壁のようなものだと晴子は思う。

 いつも腹が減ったと吠え続けて、いけにえを求める晴子にちょうどいい。値段が安いということは変化しない、冒険しない、退屈な毎日の繰り返しなのだと納得もしている。飢えた怪物が壁土を噛みしめるように、空腹だけを抑え込めれば、それでいいのだ。


 紺色の制服を着こんで髪をきれいに縦巻きにしているOLが、秋の実り弁当を買う姿は、晴子がとっくに諦めた「普通」なのだ。

 制服を着ないということも、ボサボサ髪を手入れしないということも、晴子が真っ黒な穴に脅かされて病気へと押し流され、そのまま唯々諾々と進んできた道だ。世の中の何もかもが存在するだけで、とにかく許せなかった晴子が選ばざるを得ない道だった。

 それが自分の運命。迷宮の奥の隠し部屋のような離れに閉じこもった時から、決まっていた道なのだと思っていた。


 今日もコンビニ弁当を抱えて休憩室に行くと、珍しく桃比呂の方が先に席についていた。おにぎりも食べ終えたようで本を読んでいる。隣の席に座りながら、ちらりと桃比呂の手許に目をやると、いつも読んでいる本とは少し様子が違った。内容は見えなかったがブックカバーが違うのだ。


 いつもなら本屋がかけてくれる紙製のカバーなのだが、今日はフェルト地のブックカバーをつけていた。グレーの生地に、かわいらしいキリンのアップリケが縫いつけてある。桃比呂の真面目な顔とキリンのすっとぼけたような明るい笑顔のギャップが物凄い。

 キリンを見ていると本の内容は絵本か少女小説だろうかと思えるのだが、ちらりと覗いた限りでは、ページいっぱいに漢字が散りばめられた、何かの専門書のように見えた。


 そういえば桃比呂はゆるキャラが好きだと言っていたなと、ふと思いだした。キリンも何かのイメージキャラクターなのだろう。納得していつもの弁当を口に突っ込んでいく。桃比呂は昼休みの間中、熱心に本を読み続けていた。



「桃ちゃんのブックカバーは、相良さんの手作り?」


 休憩時間、晴子が給茶機の温かい麦茶を飲んでいると、琴美が近づいてきて優しい笑顔で尋ねた。


「え……」


 晴子が迷惑そうに顔を顰めてみせても、琴美は動じることなく返事を待っている。


「違う」


「あら、相良さんがプレゼントしたものじゃないの?」


「なんで私が」


 琴美は意味深に、ふふふふと笑う。


「彼氏にプレゼントはしない派なのね。私もよ、もらう専門」


 もらう専門ってなんだろうと考えている間に、琴美は踊るような足取りで去っていってしまった。彼氏にプレゼントってなんのことだろう。


「あ」


 桃比呂のことを彼氏だと言われたのだとやっと気づいた時には、琴美の後ろ姿も見えなくなっていた。だがわざわざ追いかけてまで訂正する必要はない。みんなそう思っているだろう、勘違いされていても困ることもない。

 それなのに、なにか尻の座りが悪い。


「私は関係ない……」


 ぼそりと呟いてみる。それはそうだ、間違いない。二人はただ人を避けて身を寄せ合っている野良犬のようなものだ。特別な関係など何もない。

 昼休みが終われば相手のことなど気にもしない。

 それなのになぜか、昼に食べたコンビニ弁当が消化不良を起こしているような、喉がつかえるような感じがした。だが、その違和感のようなものに触れると、途方もないほど気分が沈み込みそうな予感がして、喉のつかえを麦茶と一緒に無理やり飲み込んだ。

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