8.正体
殺される――。そう覚悟した刹那。
しかしふと、ミリルの動きが止まった。
「一つ解らないことがあるのよね」
「……な、何ですか?」
どうやら最後にして疑問が残ったらしい。私が訊ねると、ミリルは釈然としない様子で訊ね返してきた。
「どうしてあなたはピストルを持っているのかしら」
「って、まだそこ
「そうは行かないわ。委員長、あなた、何か知ってて?」
質問が
「それはまあ、
灘は面倒臭そうに即答した。理由が適当すぎる。しかも、最初にミリルが出した結論とまったく同じだし。
「どうせまた良からぬことにでも巻き込まれたんだろう。その件については、また時を改めて、じっくり訊かせてもらうよ」
彼はそう言って己のメガネのずれを直した。
時を改めて――か。つまり、私にはまだ未来があるという解釈でよろしいか。
私が思わず涙目で灘を見つめると、彼はうんざりした様子で視線を逸らした。
……この素直じゃない反応。どうやら私を助けてくれたらしい。
本意か不本意かはともかく、灘には学園の平穏を維持するという義務がある。だから、私の命と
ともあれ――これで救われた。
私はようやくホッと息をついた。……が、よく考えたら、本当に救われたのかどうかは、だいぶ怪しい。
目の前には私のニセモノがいる。これを倒さないと凜は助からないし、これを倒すには私を倒さなければならない。
ああやっぱり難題じゃないか、と私が再び軽く絶望しかけた時だ。
突如、灘が驚くべきことを口にした。
「だいたい、そこにいるもう一人の高浪さんだって、
「……あ?」
私もまた「ほへ?」と目を丸くし、ミリルが「ん?」と息を鳴らす。ニセモノは気を失っている。
もうずっと漂い続けている不穏な空気が、一際濃密さを増したように思えた。
いやほんと、この期に及んで何を言い出すんだ、このメガネは。
「灘くん、どういうことですか? だってそれ、私のニセモノ――」
「確かに高浪さんのニセモノには違いないさ。しかしね、問題の妖怪というのは、悪さをするために他人の姿を借りているんだろう? なのに、なぜわざわざ高浪さんなのさ」
「わざわざ……?」
「ああ。君に化けたって、何のメリットもないじゃないか。――さて焔邑さん、そろそろそのニセモノを起こしてくれたまえよ」
灘にそう言われて、焔邑がニセ
私と目が合う。そこですかさず灘が一言。
「二人とも、ちょっとジャンケンをしてみてくれたまえ」
「はい?」
「最初はグーだ」
「いやいやいや、何を急にそんな」
「最初はグー」
ちっとも楽しくなさそうに、灘が掛け声を上げた。
私とニセモノが、条件反射的に
「二人とも右手を出している」
「あ……」
そう、特に複雑な推理など必要なかった。実に単純な見分け方だ。
「いいかい? 人は普通、とっさにジャンケンをさせれば利き手が出る。もし片方が鏡の虚像なら、一方が右手を出し、もう一方は左手を出すことになるはずだ。にもかかわらず、結果は見てのとおり――。つまりここにいる二人の高浪さんは、どちらも虚像ではないということさ。ちなみに本物の高浪さんは右利きのはずだから、この点で不自然さはない。……ただし、シャツのボタンが左右逆になっている方は、明らかに怪しいね」
「おい、ちょっと待てよ。虚像じゃねーなら、こいつはいったい何者――あっ!」
反論しかけていた焔邑が、何かに気づいたように叫んだ。
彼女の目がギリギリと尖る。恐い。同時に灘が溜め息をつきながら、ニセ藍子を睨んだ。
「そのシャツ――男物なのだろう?」
……そういうことか。
ようやく理解できた。ニセモノの着ているシャツが男物なら、ボタンは左右逆で当たり前なのだ。しかもよく見れば、でかいリボンタイに隠れる形で、ちゃんと左胸にポケットも付いている。
「つまり君は、男子のシャツに女子のリボンタイとスカートを身に着けて、校内をうろついていたわけだ」
「いやそれただのヘンタイじゃないですか」
私が横からツッコむ。灘はそれに対して、「一応ベストも着ていたようだよ」と謎のフォローをした。
「ここへ入ってきた時、受付のところにベストが三着脱ぎ捨てられているのを見た」
「え、三着? 私のと、瑪瑙さんのと……?」
「そう、このニセモノが着ていたものだ。帷子さんはもともとベストを着ていないし、焔邑さんも巫女装束に着替えているからね。消去法で、このニセモノのベストだと判断できる。ちなみにエンブレムの位置と形から、左右逆でないことも分かった」
なるほど。つまり灘は、受付にあったベストを手がかりに、このニセモノが鏡の妖怪ではないと見抜いていたわけか。
「でもですよ? だったらこのニセモノは何なんですか?」
「何なんですかって、わざわざ高浪さんになりすまそうとする人物なんて、この学園には一人しかいないと思うよ。……で、ニセモノの高浪さんの方に訊くけど、いったいなぜ君は、シャツだけ男物なのさ」
「えっと……エロいことする時にすぐ脱げるように!」
「もう一つ。ベストを脱いだ理由は?」
「エロいことする時に、あらかじめ脱いどいた方が便利だから!」
「ということで――君の正体は濃紫くんだ」
灘がその名を口にするや、ニセ藍子が「アハハ♪」と可愛らしく笑ってみせた。
もっともその渾身の笑顔は、真上から振り下ろされた焔邑の拳もろとも、図書室の床にめり込むことになったが。
「
「姉貴、ギブ、ギブ……」
私の姿のまま焔邑にしばかれて呻く濃紫
いや、普段ならすぐに気づけていたはずだ。ただ、鏡の妖怪が誰かに化けてこの部屋に潜んでいる――などという状況では、どうしたってそっちの可能性に意識が向いてしまう。
ていうか濃紫のやつ、私に化けて何をするつもりだったんだ。いや、自分で言ってたな、エロいことって。滅びろ。
「まったく、ややこしいんですよ、濃紫くん。早く元の姿に戻ってください」
私がふてくされながら言うと、ニセ藍子改め濃紫小太郎は、真っ赤に腫らした額を床から上げ、「無理だよぅ」と半泣きになりながら答えた。
「ベスト脱いじまったからさ。あれ着ないと元に戻れないから、おいら」
「あー、そう言えばそんな設定でしたっけ」
思い出した。濃紫は誰かに化けている間、身に着けている物が一つでも欠けると、元の姿に戻れなくなるのだ。なるほど、だから散々しばかれてなお、しつこく私の姿のままだった、と。
「……後で絞める。たっぷりとな」
焔邑が低い声で言い放ち、濃紫の頭を再び床にめり込ませた。これ以上さらに絞める気か。
「焔邑、半殺し程度に抑えておいてね。残り半分は私がやるのだから」
そう言うミリルも、冷たい笑みの端っこに十文字血管など浮かべている。自分の完璧だったはずの推理があっさりと
結局ここに乗り込んできたこと自体が、完全に
「二人とも待ってよぅ。おいら、べつに悪意とかはなかったんだぜ? ちょっと藍子にイタズラしようと思って……」
「それを世間では悪意と言うんだよ、濃紫くん」
灘がただ冷静に一言、至極面白みのないツッコミで、この流れを締めた。
「大方焔邑さんから鏡の妖怪の話を聞いて、便乗しようとしたんだろう。これに懲りたら、日頃からもう少しおとなしくしておくことだね。さて――改めて話題を戻そう」
「そうですね。結局私も濃紫くんも、鏡の妖怪じゃなかったわけですし」
私は頷いた。ここへ来て、話は完全に振り出しに戻ったことになる。
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