9.偽装

 ……果たして鏡の妖怪はどこにいるのか。唯一の手がかりと思われた私のそっくりさんは事件とは無関係だったから、また新たな答えを見つけ出す必要がある。

 ただし、決して難しくはないはずだ。犯人はこの中の誰かである。可能性は限られている。

 ヒントは――そう、ミリルがさっきくれたではないか。、と。

 私はこの場にいる一同を、改めて見渡した。

 帷子かたびらミリル。焔邑ほのむら相馬そうまなだひで。ついでに、濃紫こむらさき小太郎こたろう――。

 この中に、左右逆の人物がいるに違いない。


 まあ、この際濃紫はどうでもいい。灘も犯人ではないだろう。ブレザーのエンブレムの位置に加えて、ペンと手帳を持つ手が、普段とまったく同じだ。いやそれ以前に、彼が持つ独特のひねくれたオーラというか、私に向かって飛んでくる敵意とも憐れみともつかない無性に腹の立つ視線というか、そういうのがいつもの灘そのものだ。

 ……って、何で私は灘のことに限って、ここまで断言できてしまうんだろう。まさか私達は本当にベストコンビなのか? 嫌すぎる。

 ともあれ――残りは二人だ。

 帷子ミリルと、焔邑相馬。このどちらか。

 ……しかしあいにく二人とも、その服装に特に不自然な点は見受けられない。まあ、マントだの巫女みこ装束だの、服装そのものはツッコミどころ満載なのだが、いずれにしても左右逆ではない。ということは――。

 ……どういうことなんだろう。うん、さっぱり分からない。

 私が詰まっていた時だ。不意に濃紫が、床にめり込んでいた私そっくりの顔を、ガバッと上げた。

「なあ、ちょっとおいら、思いついたんだけどさ!」

「どうしたんですか?」

「これすごい閃きだと思うんだけど!」

「早く言ってくださいよ」

「うん。服が左右逆とか、実はあまり関係ないんじゃないか? だって服なんて、脱げばどうとでもなっちまうぜ?」

「つまり犯人は裸だ、と?」

 私は濃紫に向かって冷ややかに言い返した。所詮は万年ピンクの脳味噌だ。こいつの閃き一つで犯人が判れば、探偵はいらない。

 そう鼻で笑ってやろうとしたところで――私はハッとした。


「……まさか、本当に脱いだ?」

 愕然と呟く。確かに服なんて、脱いでしまえばどうにでもなる。

 そして今この中に、それをやった人物が一人だけいるではないか。

 そう、制服を脱いで人物が、一人だけ――。

「……焔邑さん」

 私の視線は、そのただ一人へと注がれた。

「あなたなんですね。犯人」

 そんな私の言葉に、灘、ミリル、濃紫の三人が、いっせいに焔邑を見た。

 灘は無言で。濃紫はまさかという顔で。ミリルは「なるほどね」と頷きながら。

「……何だとコラ」

 焔邑が静かに吼える。いつもの凄みある声で。しかしそれも演技のうちと判れば、恐ろしいことはない。

 私は正面から、彼女をまっすぐに見返した。

「簡単なことです。今ここに左右逆の服を着た人はいない。なぜか。それは、犯人が着替えたからですよ」

「着替えた、だと?」

「はい。つまりこうです。犯人……というか鏡の妖怪は、焔邑さんの姿に化けました。でもそのままだと、制服の形が左右逆で正体がバレてしまう。だから着替えたんです。そう――巫女装束に」

「その装束はどっから持ってきたんだよ」

「……はい?」

 焔邑からの反論に、私はすぐに詰まった。そうか、いったいどこから持ってきたんだろう。

「それはええと……本物の焔邑さんを襲って奪った、とか?」

「はっ、あたいはそこまでヤワじゃねーよ」

「あはは、ですよねぇ……」

 そうか。やっぱり私の推理じゃ駄目か。

 だがその時、ミリルからすかさず援護が入った。

「往生際が悪いのね、焔邑、いいえ鏡の妖怪さん。高浪の推理はほぼ正解よ。ただし、着替えたわけではないわ。あなたは――そう、鏡から抜け出した時点で、最初から今の服装だったのよ」

 そう言ってミリルが焔邑を指す。いや、焔邑が着ている巫女装束を。

「妖怪は、姿見に映ったことのある人物を一人選んで、その姿を借りる――。つまり学園の生徒に化ける場合は、必ず制服姿になる……というわけでないのは分かるわよね? 仮にその生徒が制服以外を着て姿見に映ったことがあれば、妖怪もその服装を真似ることができるわ。そして――焔邑は少なくとも一度、巫女装束を着て姿見の前に立っている」

 それはおそらく、焔邑がこの学園に入学したその初日。彼女が妖怪を姿見に封印した時のことだろう。怪奇と戦う上で彼女が巫女装束に着替えていたことは、想像に難くない。

 そして今日、妖怪はその巫女姿の焔邑に化け――。

「で、でも、それだって装束が左右逆になるんじゃ……?」

 私がミリルに訊くと、彼女は軽く肩を竦めてみせた。

「問題ないわよ。着物だもの」

「着物……?」

「ええ。着物って、とても便利だわ。洋服なんかとは比べ物にならないぐらい。だって――だけで、簡単に左右が入れ替わるのだから」

 ……そうか。着物だからこそ、左右を誤魔化せたのか。

「これが結論よ。鏡の妖怪はこの中にいる。ただしその可能性がない者を排除していくと、残るは服装を誤魔化せる焔邑、あなただけだわ。いかが?」

「…………」

 ミリルの答えに、焔邑が押し黙った。

 灘が軽く顔をしかめ、二人に目を走らせる。果たして彼は、今の推理をどう評価しただろう。

 おそらく灘英斗は――いや、灘英斗だからこそ、すでに真相に至っているはずなのだ。たぶん。


 だが彼の言葉を聞くよりも早く、動いた者がいた。濃紫だ。

「よし、そいじゃ確かめてみようぜ」

 言うや濃紫は素早く立ち上がり、焔邑の背後に回り込んだ。あれだけしばかれて、いったいどこにそんな余力があったのか。とにかく彼は私そっくりの姿のまま、サッと両手を繰り出し、バサリ、と――。

 ……捲り上げた。焔邑のはかまを。

 ああ、捲り上げた。もう一度言う。捲り上げたのだ。巫女様の袴を。

 もっとも袴の丈の長さが幸いしてか、捲れたのは後ろばかり。おかげで濃紫一人だけが、袴の内側に広がる光景を目に焼きつけることができたわけだが。

「むーん、お尻のホクロがいつもと同じ左側だね。残念、みんな。この姉貴は本物だ――」

 よ、と濃紫が言い終えようとした刹那。

 焔邑の足元に落ちた彼女の影から、突如巨大な青鬼が一体、憤怒ふんぬの形相も露わにヌッと飛び出してきた。

 この巫女様がちょくちょく召喚するナニカだ。そしてこれが出てくる時は、だいたい誰かが血祭りに遭う。

「……それを召喚できたということは、焔邑も本物なのね」

 ミリルが不満そうに呟くのと、青鬼が巨大なこぶしを濃紫の脳天に振り下ろすのと、同時だった。

「きゅぅっ」

 濃紫の口から、情けない悲鳴が漏れた。彼は私そっくりの顔に恍惚こうこつの笑みを浮かべ、そのまま額から真っ赤な噴水など迸らせながら、再び床に沈んだ。今度こそ完璧に。

「……寝てろクズが」

 倒れた濃紫に向かって、焔邑が汚い言葉を吐き捨てる。彼女は続いて私とミリルにも、その無表情を向けた。

「てめーらもな」

 ――ヤバい、私達も沈められる。

 思わず身が竦む。ただこういう時は、灘がすぐに動く。

「まあ、焔邑さんがニセモノでないことは、何となく察していたよ」

 やれやれとでも言いたげに眉根を寄せながら、彼は殺気に満ちたこの空気に、無遠慮に言葉を差し挟んできた。おそらく、焔邑の怒りの矛先を逸らすために。

「理由は順を追って話そう。とりあえず焔邑さん、その物騒な使い魔はしまいたまえ」

「……チッ」

 焔邑が舌打ちとともに、鬼を影の中に片づける。灘はそれを待って、手にした手帳のメモと私達とを、順番に眺めた。

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