7.委員長

 その音に誰もが強い反応を示さなかったのは、すでに犯人がここにいると分かっていたからだろう。

 どうせ図書室の利用者だ。こんなタイミングで訪れるなんて、間が悪いやつだな――と、せいぜいそれぐらいしか思わなかったに違いない。

 だがそんな中でただ一人、少しでもこの状況をくつがえしてくれるならぜひおいであそばせ、と期待したのが私だった。

 ……期待は裏切られなかった。ただ――現れた相手は、最低だったが。


「さっき図書室で銃声がしたという報告があったんだけど……高浪たかなみさん、また君か」

「あ、なだくんっ」

「あ、灘くん、じゃないよ。どうして何か事件が起こるたびに、毎度毎度君がいるのさ」

 メガネのレンズに挟まれた眉間にしわを寄せ、彼は――生徒監視委員長・灘ひでは、私に向かって、これまた毎度毎度お馴染みの台詞を吐き捨てた。

 ……もとい、もう一人の私に向かって、だ。

「あの灘くん、私はこっちなんですけど?」

 私が言うと、灘はすぐさまこちらを一瞥いちべつした。そして、薄く口を開けて溜息らしき呼吸を一つ吐き。

「何も増えなくたっていいじゃないか」

「人をカビみたいに言わないでください!」

 この異常事態に、なぜ憎まれ口の方が先に出るのか、この男は。

 だが灘は私のツッコミを素知らぬ顔で聞き流し、つかつかとこちらに歩み寄ってくる。

 見れば、この蒸し暑い中でブレザーフル着用だというのに、汗一つかいていない。もしやメカなんじゃないか、この人。

 私がいぶかしむ間に、灘のブレザーの胸ポケットから、いつものペンと手帳が取り出された。彼が事件を調べまとめる時の、お決まりのアイテムだ。

 ……そう言えばうちの制服、男子はブレザーにもシャツにも胸ポケットが付いてるのに、女子はシャツにだけポケットがないんだよなぁ――と、どうでもいいことが頭をよぎる。何だか不公平な気がしたので。

「いったい何があったのさ」

 灘が最初にそう訊ねた相手は、ミリルだった。

 この場にいる全員の顔触れを確かめた上で、敢えて彼女に質問したのは――まあ、他にまともな事情聴取の見込める相手がいなかったからだろう。私なんて二人いるし。

 ……いや、あるいは、彼女の持つナイフを収めさせるためか。

 ミリルが落ち着いてナイフをしまったのを見て、私はふとそう思った。


 そして――それから始まった事情聴取は、だいたいここまでの話の繰り返しになる。ただ、銃を撃ったのが瑪瑙めのうりんだという真相は、当然それを知らないミリルの口からは、出ようもなかった。

 もっとも、そんな真相ぐらいは灘もお見通しだろう。彼は生徒監視委員という特例ゆえに、凜の正体を知っている。さらに言えば、私が凛の銃をポケットに隠した流れについても、見抜いているはずだ。

 あとは――そう、事情聴取の間、ニセらんは一切口を挟んでこなかった。焔邑ほのむらのヘッドロックが決まりすぎて、ほぼ失神していたからだ。

 このニセモノがきちんと自己紹介してくれれば、だいたい解決するだろうに……。私はそう思いながら、灘がすべての話を聞き終えるのを待った。


「――なるほど、するときみは、その妖怪とやらのことで騒いでいたわけか」

 ようやく事情聴取が終わると、灘は面白みのない相槌を打ちながら、たった今自分の手帳に控えたメモをざっと眺め直した。続いてその目を、今度は私の方に向ける。

 こら、人の顔を見ただけで眉根を寄せるな。

「君が最初からいた方だね?」

「はいそうですとも」

「明確な返事で大変結構。そして帷子かたびらさんの見立てでは、君こそが本物の高浪さんだ、というわけか。一方そっちの――焔邑さん、いつまで絞めているのさ。彼女、泡を吹いているじゃないか」

「ちっ、離すよ」

 ニセ藍子を絞めていた焔邑が、灘に言われて渋々腕を外した。

 ようやく解放されたニセモノが、ペタンと床にへたり込む。しかし焔邑は、どうあってもそいつを逃がすつもりはないらしい。今度はそのポニーテールを引っつかみ、ぎゅぅっと乱暴にじ上げた。

 ……あれって本物の私だと思ってやってるんだよな、確か。

「焔邑さんは、そっちの高浪さんが本物だ、と言うのか。――面白い」

「全っ然っ面白くないですよ」

 私は灘に向かって真顔で言い返した。まったく、みんなして面白がらないでほしい。何しろ本物はこの後倒される運命にある。そして、本物は私だ。

 さて、灘はこのややこしい事態を、どう解決するつもりだろうか。


「まあしかし、焔邑さんの意見――後から来た方が本物、というのは、とても理に適っていると僕は思うよ」

 灘が取っ掛かりにしたのは、まずそこだった。

 今この場にいる二人の「高浪藍子」。その正体を、帷子ミリルと焔邑相馬そうまはいかにして導き出したか――。

 まず、焔邑の意見には問題がないという。いや、実際のところ彼女の解答は間違っているのだが、考え方そのものは正しい。となると、次はミリルの意見だ。

「むしろ、帷子さんがどうやって最初からいた方を本物と判断したか。そこが気になる。……だから聞かせてもらおうじゃないか。帷子さん、君の推理を、ね」

 いつもながらの気取った口振りで、灘がミリルの発言を促す。それを受けて、ミリルがこれまた気取った調子で返した。

「あら、あなたほどの人が気づかないと言うのかしら、委員長。どうせ解っているのでしょう? 私が見たのは、よ」

 そう言って――ミリルはいきなり私を背後から抱き締めると、細い人差し指の先端を、私の鎖骨の間に軽く押し当てた。

 そのまま、まっすぐ線を描くように、つっ……となぞり下ろす。妙な感触に、思わず鳥肌が立つ。

 しかし抱き締められていては、逃げることもできない。というか、むしろ逃げられないように抱き締めているのか。

「ねえ焔邑。鏡の虚像と言ったわね、その妖怪」

「ああ。で、そいつの胸が何なんだ?」

「こんな胸なんてどうでもいいわよ。肝心なのは、シャツだわ」

 こんな、だけ少し余計だ。いや、それよりも――。

 今ミリルは、はっきりと明かした。どちらが本物の高浪藍子か、見分けるべきそのポイントを。

「……シャツ? んなもん、こいつだって着てるじゃねーか」

 焔邑がニセモノのポニーテールを引っつかんだまま、軽く揺らす。だがミリルは「分かってないわね」とでも言いたげに、こう続けた。

「正確には、シャツのボタンの付き方ね。ご覧なさい。この二人、一見まったく同じ姿だけど、そこだけが違うでしょう?」

 その声を合図に、全員の視線が私の胸元に集まった。続いてその視線はすぐさまニセ藍子へと移り、何度か往復を繰り返す。

「……ちげーな」

 ようやく気づいた焔邑が、ニセ藍子の胸元を覗き込んだ。

「そいつのとだ」

「鏡の虚像なのだもの。当然よ」

 それが――ミリルの答えだった。

 そう、少し考えれば思い至ることではあった。妖怪は、姿見に映った姿を借りるという。ならば当然、本物とはずなのだ。

 ――なるほど、だからシャツのボタンなのか。

 私は納得して自分の胸元を見下ろした。

 ボタンで縦に閉じられたシャツの合わせ目は、右側が左側に被さる形になっている。だが一方でニセ藍子のそれは、左右がまったく逆だ。

「高浪のシャツは当然女物だから、こちらの形が正解。したがって、焔邑が取り押さえている方はニセモノ――。これでいいかしら?」

 ミリルは説明を終えると、得意げに灘を見た。


 灘は答えなかった。ただ何か考えているのか、相変わらずしかめっ面のまま、私の全身を眺め回している。

 なんかセクハラっぽくて嫌だ、と思っていると、彼は軽く視線を入り口の方に向け、私に訊ねた。

「確か受付のところにベストが複数脱ぎ捨ててあったね」

「ああ、暑かったんで脱いだんですよ。私と、あと瑪瑙さんも」

「なるほど。……そういうことか」

 ……何か分かったのだろうか。今の質問で。

 そう言えばあのベスト、左胸のところに学園の校章を模ったエンブレムが縫い込まれていたはずだ。もし私があれを着たままでいれば、すぐに本物と知れていたに違いない。

 その場合……私は灘の到着を待たずして殺されていただろうか。いや、どのみちもう手遅れだ。

 背中にミリルがピッタリと張り付いている。おそらくは、犬歯を鋭く尖らせて――。

「さあ、あなた達、もう気は済んだかしら? 本物の高浪はこっち。早く終わりにしましょう」

 私の首筋に冷たい息を吐きかけながら、ミリルが舌なめずりをする音が、耳を這い回った。

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