6.偽者
希望だ、と思った。
私が振り向く。同時にミリルと
今の音――果たして侵入者か、逃亡者か。二人はじっくりと気配を窺いつつ、鋭い殺気に満ちた面持ちで、ドアの方へ向かってジリジリと進み出した。
刹那、ぱたぱたと足音が響いた。この部屋の中だ。
「……誰だ」
焔邑の低まった声が、それでもしっかりと、静寂を揺さぶった。
そしておそらくは、この声が合図になったに違いない。通路の少し先、巨大な本棚に阻まれた突き当りから、ひょっこりと一人の人物が顔を覗かせた。
「……うぇ?」
妙な
当然だ。何しろそこに現れたのは、あまりに見慣れた相手だったのだから。
……見慣れたポニーテール。見慣れた丸顔。見慣れたクリーム色のシャツに、見慣れたでかいリボンタイに、見慣れた濃緑色のミニスカート。しかもご丁寧にベストを着ていないところまで、今の「本物」の姿そっくりである。
そう、あれは
唐突に現れたもう一人の私の姿に、誰もが表情を強張らせる。その途端、ニセ藍子はとても耳に馴染んだ私そっくりの声で、元気よく言い放った。
「はぁい、一年乙組のトラブルなアイドル、高浪藍子ちゃんでーす♪ ……って、あれ、なんか空気ヤバめ? 私出てくるタイミング間違った? んー……じゃあまたねっ!」
「逃げんなっ!」
すぐさま回れ右で逃げようとしたニセモノに向かって、焔邑が猛然とダッシュした。そしてあっという間に相手の首根っこを捕らえ、そのまま背面からヘッドロックで絞め上げる。
ところでこの
「ぐ、ぐるじぃ、ぎぶぎぶ……」
首を固められたニセ藍子が、右手で焔邑の腕をペチペチ叩きながら呻いている。知るか。
私が呆れて見守る中、焔邑はニセ藍子をズルズル引きずってくると、その体を乱暴に床に投げ出した。きゃう、と悲鳴が上がる。無駄に可愛く叫ばれても困る。
まあ、ともあれ――これで無事妖怪を捕らえることができたわけだ。
「……さて、コレはどうすればいいのかしら?」
ミリルが犬歯のはみ出た口元を小さく歪め、焔邑に訊ねた。
「封じ先の姿見は、もう割れてしまって使えないのよね。まあ、今さらいちいち封じなくたって、殺してしまえば済むことでしょうけど。そうすれば奪われた魂も戻ってくるはずだわ」
「言ったろ? こいつは厄介なんだよ」
焔邑は、私とニセ藍子を交互に睨みながら、ミリルの問いに答えた。
「こいつは虚像が実体化したもんだ。虚像はどう殴ったって倒せねー。ダメージを与えたけりゃ、実像の方――本物をぶちのめすしか方法はねぇんだ」
「そう。じゃあ本物を始末すればいいのね?」
「そーゆーことだ」
「ちょっと待ってください二人とも! 何か話がまずい方向に進んでませんか、それ!」
すかさず私が叫ぶ。しかしミリルも焔邑も、その目に迷いの色は一切ない。
冗談とかではない。二人とも本気だ。
「では
「ああ。一思いにな」
そう言って頷き合うミリルと焔邑。ついさっきまで険悪な関係だったにもかかわらず、二人は今やすっかり息を合わせ、あくまで無害な本物の私にとどめを刺そうとした――。
……はずだった。
「おい、こっちだろ?」
「いいえ、こっちよ?」
私に呪いのナイフの先端を突きつけたミリルが、ニセ藍子の眉間に
思わずそのままの姿勢で固まる二人。これは――どうやら土壇場で意見が分かれたらしい。
いや、でも、これって分かれるようなものなのか? どう考えても本物は私だろうに。
「ぜってーこっちが本物だ」
焔邑がそう言って、ニセ藍子の首をガクガクと揺さぶった。なんか白目剥いてるし、もう死ぬんじゃないか、このニセモノ。
「この二人の高浪。どっちかが妖怪の化けたニセモノで、
「それが焔邑の推理? まあ、理屈としては間違ってないと思うけど、もっと簡単に見分ける方法はあるわよ。それに――やはりピストルが不自然だわ」
「本物の高浪がそんなもん持ってる方が、よっぽど不自然だっつーの」
またそこに戻るか、この二人は。
……いや、ミリルの台詞から察するに、どうやら銃以外にも、「簡単な見分け方」というのは存在するらしい。その上で彼女は、私を本物だと判断しているわけだ。
つまり、その見分け方さえはっきりすれば、焔邑の誤解も解けるはず――。って、どうせなら解けない方がいいんだけど。
……まったく、むしろ本物だとヤバいというこの状況、何とかならないものか。
私はニセ藍子の顔を見た。彼女は私そっくりの目に涙を溜めて、おろおろしている。凛を襲って魂を奪った割には、妙に情けない。
どうする、いっそのこと、こちらからニセモノですと名乗ってしまおうか――。
窮地のあまり私が自暴自棄になりかけた、その時だった。
カラン、と鐘が鳴った。
この事件を終わらせようとする、最後の鐘が。
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