5.擬態

 焔邑ほのむらの顔が心持ち引き締まった。彼女は急いで私を押しやり、ミリルの指差した方を覗き込んだ。

 チッ、と小さな舌打ちが、美人な巫女みこ様の口から漏れた。

「……間違いねーな。瑪瑙めのうのやつ、すっかり精気が抜けちまってる。早く妖怪を倒さねぇと、元に戻らなくなるぞ。おい二人とも、こいつが襲われるところは見たか? 相手はどんな姿だった? どっちへ行った? 教えろ今すぐに!」

 日頃の口数の少なさからは想像もつかない勢いで、焔邑は私達にまくし立てた。ようやく見つけた手がかりなのだろう。躍起になるのも解る。

 ただ――あいにく事態は、だいぶ複雑なのだ。

 まずはっきりしたのは、瑪瑙りんを襲った犯人がミリルでも私でもなく、鏡の妖怪だったということ。しかしその行方となると――。

「ええと……たぶんまだこの部屋のどこかに」

 私が恐る恐るそう告げると、焔邑の眉毛が、微かにぴくんと跳ねた。

「ここのドア、鐘がついてるじゃないですか。瑪瑙さんが倒れた後、焔邑さんが来るまで一回も鳴らなかったから、たぶん――」

 言い終える暇は与えられなかった。焔邑はすぐさま巫女装束を翻すや、草履履きにもかかわらず素早い動きで、図書室中を捜索し始めた。本棚の間や受付の奥はもちろん、テーブルの下からエアコンの上に至るまで、隈なく徹底的に。

 それが終わるまで、ものの五分もかからなかったと思う。しかし何の成果も得られないまま、彼女は手ぶらで私達のもとに戻ってくると、「いねーな」と吐き捨てた。

「どこにもいねぇ。これだけ派手に捜して出てこねーってのは何だよ。おい、本当にヤツはここにいるのか?」

「間違いないわよ。ドアの鐘が鳴っていない以上、この図書室からは誰も出ていないわ。そうね、だとしたら答えは簡単。その妖怪は、他人の姿を借りるのでしょう?」

 ねえ高浪たかなみ、とミリルは悪戯っぽく微笑んで、私に視線を送ってきた。

 そう、さっき焔邑が説明した妖怪の特徴だ。凛を襲い魂を奪った危険なそいつは、今、この部屋にいる――。

「ということは……?」

 私は戦慄を覚え、ミリルを見返した。

 彼女の物言いたげな赤い目と、私のいぶかしげな黒い目が、真っ向からかち合った。

 ――この中に一人、がいる。

 それは誰か。


 ……いや、そう難しい問題ではないはずだ。まず私は本物だし、それに、凜が襲われた後で図書室に入ってきた焔邑も本物に違いない。

 つまり――ニセモノであり得るのは一人しかいない。

 ふと思い出す。「彼女」がいつもと違って、教室ではなく図書室で寝ていたことを。

 姿見に封じられていた、と言ったか。だったら教室で修理中のそれを鬱陶うっとうしく思い、別の部屋に逃れてきてもおかしくはない。

 ああ、結論は変わらない。凜を襲った犯人であり、鏡の妖怪が化けた人物とは――。

「あなたですね、帷子かたびらさ――」

「そうか。てめーだな、高浪」

「はい私です……って何でそうなるんですか、焔邑さん!」

 颯爽と犯人を指差そうとした刹那、いきなり焔邑が、なぜか私をまっすぐに睨みつけてきた。

 いや待ってほしい。おかしくないか? どうしてそう誰も彼もが、片っ端から私を疑うんだ。

 私は慌てて首を左右にぶんぶん振り、後頭部のポニーテールを両耳にビシビシとぶつけてみせた。

「私ニセモノじゃありません!」

「いや、てめー以外にあり得ねー」

「そんなことないです! 帷子さんも何か言ってくださいよ!」

 いや無理か。彼女が犯人なんだし。


「……違うわ」

 だが意外にも、ミリルの口から出てきたのは、そんな台詞だった。

 表情から笑みが消え、何かを考える顔つきになっている。

「高浪ではないわね。焔邑、ではないの?」

 まさか、そう来たか。

 しかし、当然焔邑がこれを黙って聞き流すはずがない。

「……あ? 言いがかりはよせよ」

 ただでさえアレな彼女のがらの悪さが、一割増になった。

「あたいは今来たんだ。瑪瑙がやられた後にな」

「そうね。だから私も、最初は高浪が犯人だと考えたのだけれど――さてどうかしら。焔邑、あなたが本当に今来たのだという証拠は、どこにもないのよね」

「どういうことだよ」

「ごらんなさい、この入り組んだ図書室を。こちらから捜そうとしなければ、隠れる場所は充分にあるわ。――つまりこうよ。焔邑、あなたは最初からこの図書室のどこかに隠れていて、瑪瑙を襲った。そして、高浪と私が気づいて騒ぎ出したところで、内側からドアを開閉して鐘を鳴らし、あたかも自分が今来たかのように見せかけた……。これなら、あなた自身がどんなに図書室を捜し回ったところで、犯人が見つかるわけが――」

「けっ、くだらねー。想像だけでもの言ってんじゃねーよ」

「あくまで消去法の結果よ。だって、高浪は白だわ」

 ミリルはここに於いてはっきりと、私の無実を告げた。

 いったいどういう理由でかは分からない。しかし私は、突如味方に転じた彼女に期待の目を向けて、次の言葉を待った。


 ミリルは、こう続けた。

「高浪は、ピストルを持っているわ」

「ってそれが理由ですか!」

 よりによってそれなのか。ああ、焔邑の視線が痛い。

「……ピストルだと?」

「そう、ピストルよ。しかも発砲しているわ。でも、妖怪が瑪瑙を襲って魂を奪うのに、どうしてピストルを撃つ必要があったのかしら。『魂を奪う』って、『殺す』という意味の比喩ではないのでしょう?」

「ああ。人間の魂を抜き取る――。あくまで、そういう能力の話だ」

「なら高浪が発砲している時点で、この子を妖怪だと見なすのは無理があるわ。だから高浪は白。そういうことよ。……あら、でも高浪が瑪瑙を襲ったのでないとしたら、あの発砲は何だったのかしら」

「さ、さあ。何でしょう……?」

 急に疑いの目が戻ってきた。私が思わず口籠るのと、焔邑のこめかみに青筋が走るのと同時だった。

「いい加減にしろよ。おい高浪、てめー何で銃なんて持ってんだよ。しかも撃ったってのは何だよ、あ?」

「いや、ええと、べつに撃ったとかではなくですね……」

「あら、あなたが撃ったのではなかったの? だとしたら、やはりあなたがニセモノ?」

「違います! ていうか、あの、あの、これは――」

 まずい。完全に言葉に詰まってしまった。

 肯定はできない。否定もできない。いっそ逃げるか。いや、もしそんなことをすれば、それこそ犯人だと誤解されかねないし……。

「――弾はどこだ?」

 ふと焔邑が、そんな疑問を差し挟んできた。

「てめー、撃った? 瑪瑙は血なんか流してねーし、だったら弾はどこだよ」

 そんなこと、私が知るわけがない。

 とにかく――この銃の出所をきちんと説明できない限り、私は疑われたままだ。

 しかし、ここで凜の秘密を口にするわけにもいかない。もしそんなことをすれば、問題の妖怪が退治されて彼女が復活した時、間違いなく私は消される。

 そう、どのみち私に明日はない。

 絶望のあまり、頭の中が一気に空白に蝕まれていく。この空白を埋めてくれる希望があるなら何でもいい。今すぐここに現れてほしい――。

 私がそう願った時だった。


 カラン、と鐘が鳴った。

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