4.巫女
「……ドアね」
ミリルの目がスゥッと細くなる。今の音は、確かにドアが開閉されたものだ。
誰かが来たのか。それとも――出ていったのか。
「
しっかりした、それでいて起伏に乏しい女の声が、図書室の中に響いた。
どうやら来客の方らしい。私がおずおずと「誰ですか?」と訊ねると、相手はその声を頼りに、素早い足取りでこちらへ向かってきた。
出迎えようと通路に顔を出した拍子に、真紅色の
――
彼女は乙組生徒にして、近所の神社の一人娘である。澄んで整った顔立ちに、後ろで結わえた長い黒髪。そしてこの巫女装束――。まさに清楚な美人という喩えを地で行く焔邑は、その澄ました顔で私を見るや、表情一つ変えずに訊ねてきた。
「あ? 何かあったのかよ」
……一部訂正。正確には、「黙っていれば清楚な美人」だ。
「てめー、顔色がわりーぞ」
そう言う自分の口の方がよっぽど悪い。
「ま、まあ、ちょっと今いろいろあって……。焔邑さんは私に用ですか?」
「ああ。手を貸してくれ」
いったい何に、だ。
見てのとおり、焔邑相馬は巫女である。普段は当然制服を着ているが、いざ怪奇事件となれば巫女装束に着替え、霊力と暴力でそれを解決する。
そんな巫女様が、なぜごく平凡な女子高生である私に、手など貸してくれと頼みにきたのか。
「……何かあったんですか? 祟りで教室が爆発でもしましたか?」
「封印されていた妖怪が一匹逃げ出した。ほっといたら学園中の生徒が死ぬ。捜してくれ」
いや、ガチでヤバいやつじゃないか、それは。
「お断りします! そんなもん私のところに持ち込まないでください! 私ただの図書委員ですよ?」
「そうは言ってもな。あいにく、いつも遣ってるクソガキがどっか行っちまってよ」
「クソガキって?」
「うちのクラスにクソガキは一人しかいねーだろ。
……なるほど、濃紫
一年
そんな彼を記号的に一言で表すなら、「妖怪」。……おっと、今は焔邑が追っている方の妖怪もいるから、ややこしいか。
「えっと、濃紫くんて焔邑さんの使い魔か何かだったんですか?」
「いや、単に仕事を手伝わせているだけだ。あたいもあいつも、普段同じような連中を相手にしてるからな」
同じような連中……というのは要するに、オカルト的な方々、ということか。
「で、その濃紫くんがどっか行っちゃったからって、なぜ私に? 私はべつに、その『同じような連中』さんとは無縁なんですけど」
「あ? こういうことはてめーに頼むのがスジだろ?」
「そんなスジいつの間にできたんですか!」
焔邑が口にしたあまりにも雑な理由に、私は大きくツッコんだ。
そもそも「こういうこと」って何だ。怪奇事件か。私がいつ、怪奇事件専門解決などと看板を掲げた。だいたい私はただの図書委員だ。図書委員は普通、怪奇事件を解決しない。いや、他のどんな事件だって解決しない。図書委員の仕事というのは、図書室の受付に座ったり、本の整理をしたりすることだけだ。……あ、早く整理終わらせないと。
「とにかく――焔邑さん、そういう話は私じゃなくて、
私は深く溜め息をつき、ある男子の名を挙げた。もううんざりするほど耳に馴染んだ、あの名を。
生徒監視委員、灘
ちなみに生徒監視委員というのは、要するに学級警察みたいなものだ。生徒の関わった事件を解決・報告するのが役目で、あくまで一委員会という位置づけではあるものの、その設置はすべての学校に法律で義務づけられている。
だから、何か厄介事が起きた時は、灘に言うのがスジだ。断じて私のところに持ち込むべきではない。
なのに実際は焔邑のように、事あるごとに私に解決を依頼してくる生徒が、後を絶たない。どうやらみんな揃って、私と灘をチームか何かみたいに思っているらしい。意味が分からない。
そもそも――私と灘は相性が最悪なのだ。
生徒監視委員という立場である灘にとって、トラブルを起こす生徒は頭痛の種。一方で私は不幸にも、何かとトラブルに巻き込まれやすい体質をしている。それに加えてうちのクラスがアレなものだから、もはや灘も私も休まる暇がない。
事件が起きる。そこには必ず私が巻き込まれている。解決に乗り出してきた灘が、私を見て「また君か」と嫌そうな顔をする――。だいたいこれが私達二人の日常だ。洒落抜きで、毎日この繰り返しだ。
だから灘にとって、私は疫病神も同然なのだろう。もっとも、私は私で好きで事件に巻き込まれているわけではないから、むしろいちいち小言を垂れ流してくる灘の方こそよほど
つまり相容れないのだ、私達は。
ただ、あらゆる事件に関わる者同士、嫌でも顔を突き合わせる機会が多い。そのおかげで――。
……そう、そのおかげで、なぜか私はクラスのみんなから、灘の相方だと思われている。焔邑が私に妖怪捜しを頼みにきたのも、そのせいに違いない。
まったく、厄介な話だ。もっとも今は、それ以上に厄介なことになっているのだが。
「灘くんに言ってくださいよ」
改めて、私はその言葉を繰り返した。
「あいにく今忙しいんですよ。ちょっと……いや、だいぶ、大いに揉めてて」
ともすれば片頭痛に陥りそうなこめかみを指でグリグリしながら、私は後ろの方に軽く目をやった。
今私が焔邑にくっついて妖怪を捜しにいけば、逃走犯扱いは免れない。
「あ? 他に誰かいるのか?」
焔邑が目を瞬かせる。ちょうど彼女の位置からでは、本棚の間にいるミリル達が見えないのだろう。だが私が事情を話すよりも先に、当人から返事があった。
「――ええ、いるわよ」
黒いマントをなびかせ、ミリルが私を押し退けるようにして、こちらへ歩み出てきた。
「……てめーか、吸血鬼」
焔邑の声が若干野太くなる。そういえばこの二人、大雑把に見れば、退治する側とされる側になるのだろうか。
「妖怪ですって? 面白そうね」
「面白くねーよ。隠れるのが無駄に上手い、厄介な野郎だ」
笑うミリルに、焔邑はぶっきらぼうに言い返した。
……隠れるのが無駄に上手い、か。なるほど、それで私に協力を頼みにきた、と。いったいどんな妖怪なのだろう。
私とミリルが揃って小首を傾げる。焔邑はそれを見て、説明するのが
「――鏡だ」
「鏡?」
「ああ。鏡の妖怪だ。棲み家の姿見に封じてあったのが、割れたせいで逃げ出しちまった。人間の魂を奪う危険な野郎だ」
割れた姿見、か。……そう言えばさっき、そんなキーワードを聞いた気がする。
「どじなメイドが見事に割りやがってな」
ああ、やっぱり
「罰として、軽くしばいといた」
何てことだ。緒深田さん、いい子なのに。
「そう。だとしたら、さっきの鏡がそうだったのね」
ミリルが納得したように頷く。それから何か考え、ふと思い出したように続けた。
「そう言えば――私も噂で聞いたことがあるわ。姿見の中に潜む妖怪の話。確か、この学園の七不思議の一つだったわね。……そうそう、一度本当かどうか確かめようと思って、姿見の前に行ってみたことがあるのよ。でも、それらしきものには会えなくて。そう何度も見にいきたいものでもなかったから、それっきり忘れていたのだけど……。なるほど、あの時すでに封印されていたのなら、会えなくて当然だわ」
「あれはあたいが入学初日に封印したんだ」
怪奇マニアの吸血鬼に向かって、怪奇と戦う巫女は、面白くもなさそうに答えた。
しかし……なぜミリルは、この妖怪にあまり興味をそそられなかったのだろう。何度も見にいきたいものではない、という彼女の言葉に、私は軽く疑問を覚えた。
「けど問題はこっからだ」
焔邑が話を進める。私は気を取り直し、そちらを耳で追う。
「その妖怪、ずいぶんと厄介な能力を持っていてな」
「ええ、それも思い出したわ。――姿を変えるのでしょう?」
「ああ、ヤツは鏡から抜け出す時、姿見に映ったことのある人物を一人選んで、その姿を借りる。だから捜すのが面倒くせーんだ」
……つまりその妖怪、今はまったくの別人になりすましているわけか。
で、捜すのを手伝えと? いやいや、私は探偵か何かか。
「面白いわね」
と、こちらは面白がってばかりのミリルが、意味ありげにほくそ笑んだ。
「誰かの姿を借りた――となると焔邑、その姿次第では、あなたでも敵わないのではないかしら?」
「あ? 喧嘩売ってんのかてめー」
「可能性を述べたまでよ。例えばそうね、その妖怪の選んだ姿が、うちのクラスの誰かだったとしたら?」
確かにミリルの言うとおりだ。勇者とか魔法少女とかサイボーグとか、とにかく乙組の生徒は、敵に回すには
……だが、幸いそれは杞憂だったらしい。焔邑がすぐさま、こう続けたからだ。
「ヤツが真似るのは、あくまで外見だけだ」
「あらつまらない。特技も真似できたらよかったのに」
「てめー、他人事だと思って好き勝手言ってんじゃねーよ」
落胆する素振りを見せたミリルに、口汚く毒づく焔邑。しかし――果たして本当に他人事だろうか。
ふと気になった。焔邑が捜している妖怪の特徴だ。「姿を変える」以外に、もう一つ重要なものがなかったか。
「他人事ではないわよ?」
ミリルが笑った。……ああ、私が思ったとおりだ。
「その妖怪、魂を奪うと言ったわね。奪われると、もしかしてこうなるのかしら?」
そう言って肩にかかったマントを軽く跳ねのけ、ミリルは細い腕を、本棚の間に向けた。
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