第28話 剣道少年の大蜘蛛退治 その2
それは、四日目の昼の事だ。
村人の目撃情報があったところからは随分離れている場所にそれは在った。
「人……か……」
白い糸からはみ出た白骨。行方不明になっていた村の狩人だろう。
糸でぐるぐる巻きにされ、毒を注入されぐずぐずにとかされて食われた後の残りカス。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
目を閉じ、手を合わせる。
「かたきは取る」
これは倒さなくてはいけないモノだ。今初めてジャイアントスパイダーを敵だと実感した。
「変わったお祈りね」
「おれの故郷の方ではこんな感じなんだよ」
「王都にそんな習慣あったんだ……。覚えとくわ」
違うって。ま、良いか。
周囲を見回すとジャイアントスパイダーが通過した痕跡であろうか、森の奥に向けて木々が変色し、腐臭を放っている。見るからに毒々しい。
『触るなよ。毒がある』
「触らねーよ」つい、うっかり声に出る。
「当たり前でしょ、なに考えてるんだか」
フィスタルの声が聞こえないノエルがいぶかしげな表情を浮かべた。
痕跡を追って行くと、ほどなく奴のテリトリーに入ったのが分かった。
木々の間、あちこちに細い糸が張り巡らされている。
「糸に触らないように行くわよ。引っかかるとどこかから襲って来るはず。振動を感じているんだと思う」
「分かった」
慎重に糸を避けつつ、森の奥へ奥へと、歩き続けると、程なくそれは見つかった。
昼なお暗き森の奥深く、周り中に白い糸を張り巡らせた真ん中に、それは居た。
巨大な蜘蛛が、地面にうずくまり、静かにたたずんでいる。これがジャイアントスパイダーか。
「眠っている……のかな」
でかいな。何メートルあるんだ? 象やキリンより遙かにでかい。
「……この世界ではこれが普通の蜘蛛の大きさじゃないだろうな?」
「この世界って何よ? わたしもこんなに大きいのは初めてよ。それよりその奥を見て」
『魔物は年を古れば大きく、そして強くなるモノが多い。じゃが、小娘の言うとおり、その後ろが問題じゃな。急を要する』
巨大な蜘蛛の背後に、たくさんの白い繭のような物が規則正しく並んでいる。
「あれ、ひょっとして」
「卵よね……でも、なんか、動いてるみたいなんだけど……」
なんか、前にテレビで見たエイリアンの卵みたいな感じだ。なにやらもごもごと動き変型している。
『卵嚢という。あの中にたくさんの子蜘蛛がいる。そして間の悪いことに生まれそうだぞ。
生まれたてでも毒がある。数でたかられるとやっかいじゃぞ』
白い繭……卵の一つが口を開けた。そこから何か細長い足が這い出してくる。
数えるのが馬鹿馬鹿しいくらい並んだ繭の上に、次々と亀裂がはしる。
いっせいに。
なんで??
『人間……餌の存在に反応したのかのぉ。一気に出てきそうじゃ』
「ノエル、後ろの卵を頼む。早く。繭から出てくる前に。
おれは親蜘蛛を引きつける」
俺は腰の刀、鬼包丁を抜いて、目の前にある糸を切る。
巨大な
瞳も無い、無機的に見える目だが、確かにこちらを見ている。それが分かった。
ジャイアントスパイダーが、貼り巡られた蜘蛛の糸を切り飛ばした人間――俺に対して、殺意を向けている。
俺はノエルから離れる方向に走り出した。
速い。
迎撃するため、俺は立ち止まって刀を構えた。
大蜘蛛の二メートルほどの長い脚が俺に向かって伸びる。
その脚の先にはナイフの様なさに鋭い爪が鈍い光を放っている。
『爪で刺されるな、毒がある』
了解。
試すように突き出された脚を。
余裕をもって大きめに避ける。
ちらりとノエルに目を向けると、杖を前に構え、呪文詠唱している。大きな魔力のうねりを感じる。
俺は、ノエルの方に向かおうとする大蜘蛛の進路上に立ちはだかる。
大蜘蛛がその口から何かをこちらに吐き出す。
反射的に身を翻して避ける。
なんだありゃ?
『毒液じゃな』
口から吐かれる毒液を警戒し、正面に立つのを避けて切りつける。
脚に切り傷を付けるが、浅い。何で出来てるのか知らんが硬いな。
しかし、怒りで再びこちらに注意を引けたことは成功だろう。
右から、左から、毒爪で一突きしようというのだろう、襲いかかってくる複数の脚を刀で捌く。
時間を稼げば良い。
俺は口から吐き出す毒液や毒爪、毒を持つ脚の体毛に気をつけ、防御に徹する。
ノエルが大蜘蛛の卵をなんとかしたら、二対一だ。
大蜘蛛の攻撃を捌いていると、しばらくして、ノエルの魔法が発動した。
「【
ノエルが放った火球が繭に届くと、はじけ、周囲が紅蓮の炎に包まれた。
凄い、見渡す限り埋め尽くされていた、繭が燃え上がる。
その炎の中で生まれる前の無数の毒蜘蛛が死んでいく。
目の前の母蜘蛛から、声にならない叫びが上がり、息苦しいほどの憎悪が叩き付けられた。
ノエルの方にはいかせない。再び呪文を唱え始めたノエル。
蜘蛛の長い足が一層激しく叩きつけられる。
毒の爪は避けないといけないが、刀でさばける。
しかし、吐き出される毒液は液体なので、その度に距離を取らざるをえない。
胴体への間合いに入れない。
距離を取る俺に大蜘蛛が突進してくる。
「【
力ある言葉とともに、ノエルの魔法が降り注いだ。
大蜘蛛の口と爪に氷の矢が着弾する。
うまい!
俺はヤツが口から毒を吐けないと見て、前に出る。
毒ある爪を封じられ動きの鈍った脚をかいくぐり、その黒々とした巨体の前に踏み込む。
走り込んだ勢いのまま刺突。
音にならない断末魔の叫びが辺りを満たした。
脚に比べるとまるで柔らかな腹。おそらく、うまく急所に突き刺さったのだろう。
振り回していた脚がだらんと下がる。
大蜘蛛が力を失って崩れ落ちた。
残心。
油断せず、相手を見つめる。
大蜘蛛の八つの目が次第に意志の光を失い、その命を失った。
勝った。
うん、なかなか良いじゃ無いか。今回は魔物を倒したという実感がある。
俺は強くなっている。
よしよし、と呟きながら刀を抜く……と、大蜘蛛の死体からぶしゅっと紫色の体液が噴き出した。
ばっちりと浴びた。
「ちょっ、なにやってるのよ」
「……計算外」
あ、あれ?
なんか、痺れる。
『毒じゃな』
「ど、毒消しのマジックポーションを」
俺はリュックに手をつっこむと、ポーションの瓶を取り出し、栓を抜いて一気に飲む。
これで安心。
魔法薬だからすぐに効き目がでる。
でるはず。
でると聞いた。
聞いたけど、なんか、効いている感じがしない。
痺れが治まらない。
「どうしたの?」ノエルが不思議そうに聞いている。
震える手で、リュックに手を突っ込んで、二本目をとりだす。
飲んでみる。
効いてない、これは明らかに効いてない。
まずい本格的に手足が痺れてきた。
痺れがどんどん回って、なんか、呼吸が苦しくなってきた。
これ、ダメなやつだ……。
もう一本飲もう……。
リュックの中に手を伸ばそうとして……どさりと倒れる。
リュックが目の前に転がり御守りが揺れているのが見える……。
動けない。
まずい、意識がとぶ……。
「『ノエル! こやつのポーションが効いとらん。
どれくらい時間が経ったのだろうか。
目がされた時には、体の痺れは嘘のように消えていた。
「よ、良かったぁ」
なんか、ちょっと涙目のノエルの顔が上にある。
頭の下が柔らかく気持ち良い。
ああ、これは膝枕というやつか。
『ノエルの毒消しの魔法が効いた。マインドダウン寸前まで、繰り返し唱えてた。礼を言っておけ』
「ノエル、助かった。ありがとう」
名残惜しいが、ゆっくりと身を起こす。
「それにしても、なんで、ポーションが効かなかったのかしら」
隠してもしょうがないので、ポーションを買った時の事を話す。
「は? 十分の一の値段で買った? いくら何でも安すぎる! いえ、だとしても、薬効、完全に切れてるってないじゃない! そんなもの売りつけるなんて」
うーん、そうだよなぁ。薬効切れる消費期限ぎりぎりと聞いたんだけど……ぎりぎり切れてるんじゃないか……。
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