第14話 剣道少年、異世界に渡る その2

 今日は、道場の剣道の日だ。道場からじいちゃんの声が響いてくる。

 俺は、自主的休みさぼり

 母屋から鍵を取ってきて、土蔵に再び入る。

 折れた刀を同田貫と書かれた空の木箱に戻す。箱の中に、ノートの端を切って「じいちゃんごめん」と書いて入れておく。

 そして、他の箱を取り出し並べる。

 すまん、じいちゃん。どうしても刀が要るんだ。

 どの刀にしよう。今日は時間がある。思い切って、見つかる限りの箱を開ける。開けては、鞘から刀身を抜いて眺める。

 次々に箱を開けていく。

 和泉守兼定、孫六兼元、虎徹、七胴落とし……。

 ここまで箱に入っていた刀は白鞘――鍔も無い、白木で出来た保管用の鞘――に入っていたのだが、一つだけ、黒々とした漆塗りの鞘に大きめの鍔をつけ、きちんと拵えた刀があった。

 大きめの太刀だ。

 箱を見ると鬼包丁と書いてる。

 鯉口を切ると、身幅の大きな刀身がのぞく。

 これだ。手に持つと驚くほどになじんだ。

 鬼包丁、これに決めた。

 俺は他の刀を箱をしまうと、鬼包丁を持ち出す。

 母屋の文机に鍵を戻す際、鍵と一緒に、武者修行の旅に出ます、という書き置きを入れた。


 家に帰ってからも深夜になるまで、色々と荷物の準備をしていた。

 結果的に、腰には刀、背中には詰め込みすぎてパンパンに膨らんだ通学リュックという怪しい格好になった。リュックの横に静香先輩の御守りが揺れている。

『準備はよいか?』

「……ちょっと待って」

 俺の部屋と同じように二階にある隣家の陽菜の部屋を見る。

 ……ひさびさにこの経路、使ってみるか。

 部屋の窓から屋根の上に出る。

 小さい頃はちょくちょく屋根伝いに陽菜の部屋に遊びに行った。

 屋根から飛んでいる所を親に見つかって、しこたま怒られ禁止されたのは小学校低学年の時だ。

 一メートルほどの幅。

 昔と違って助走もつけずに、こちらの屋根から隣の屋根に飛ぶ。

 着地とともにパキ、という音。スレートの瓦が一枚割れた。おじさん、ごめん。小学校の頃とは体重が違いすぎた。

 気を取り直して、陽菜のへやの窓をトントンと叩く。

 ……。

 ガンガンと叩く。

 ……。

 しょうが無いのでポケットからスマホを取り出して呼び出す。部屋の中で響く呼び出し音とともに陽菜の影がむくりと起きた。 

 窓を叩いた。

 カーテン越しの人影が近づく、からからと窓が開いた。

「んー、あー、すずちゃんだ」寝ぼけまなこで言う。

 相変わらず色気の無い子供みたいなパジャマを着てるな。

「陽菜。ちょっと武者修行の旅に出ることにした」

「んー、私も一緒に行くー」寝ぼけてても、陽菜は陽菜だな。

 思わず吹き出した。

「ま、ちょっと良い子にして待ってろ。必ず帰ってくるから。静香先輩によろしくな」

 陽菜の頭を軽くぽんぽんと叩くと、じゃあな、と手を振って屋根から飛び降りた。

『もう良いのか』

「別に今生の別れでもないしな。お前の弟子と話を付けたらすぐ戻る」

『……』

 小さな庭に立つ。

『よいか、魔法を発動した後に捉えるべきは、異世界にある我が肉体の一部、わしの血だ。わしの世界の、あの塔の最上階に置いてある小瓶の中だ。

 万が一、わしがこの世界に取り残されたまま回廊魔法が閉じた時、もう一度、我が世界に回廊を開く道しるべとして用意していたものだ』

「万が一、ね」

『心せよ。次元の壁を破るには――回廊魔法の発動には膨大な魔力を使う。今蓄えられているマナでは使えるのは一度きりだろう。

 失敗は許されん。失敗すれば、この世界では二度と回廊魔法を使う程のマナを蓄える事は出来ないだろう』

「分かった」

『始めるが良い』

 俺は、俺の中に残る記憶をなぞるように呪文を唱え、幻想器官に働きかける。

 呪文は幻想器官の原型が設計された時代の言葉で幻想器官に働きかける事に最適化されており、古代語とも呼ばれる。

 精神を集中する。

【万物の根源たるマナよ、我が支配下にあるマナよ……】

 脳に直接書き込まれた古代語をそらんじる。

 幻想器官からマナをくみ出す。

 触媒を自分の体と設定する。俺を中心として地面に大きな魔方陣が描く。それが魔力の光を放ち始める。

 幻想器官を最大限に開き、魔方陣に魔力を流しこむ。

 魔法が発動するとともに、触媒である自分の体と異世界にあるフィスタルの血の間に霊的なつながりが確保される。

【触媒と繋がりし異界への扉を開け……】

 それを座標として異世界への扉がこじ開けられる。陽炎の中、世界に開いた大きな穴――次元の回廊の奥に塔の中の赤い血の入った透明な瓶が見える。

 それとともに恐ろしい勢いで魔力が消費されていく。

 開きっぱなしの幻想器官から、絞り尽くさんばかりに体外に流れ出る魔力の勢いに動転してしまう。このままでは魔力が枯渇する。ホントに魔力、回廊を渡るまで持つのか?

『うろたえるなっ。術の構成を乱すな!』

 くそっ。そんな事言われても。

 精神集中が乱れたため魔方陣が揺らぐ。

『早く。まだ、回廊は維持されている。飛び込め!』

 俺は、かろうじて魔法の構成を維持しながら、回廊の中に飛び込んだ。

 体が世界と世界の間、本来あり得ざる空間をくぐり抜ける。

 その瞬間術が崩壊した。

 別の方向に引っ張られるような奇妙な感覚を感じた。

『これは……干渉現象か』

 墜落するような浮遊感、凄まじく濃厚なマナを含む大気の中に放り込まれた。

 ふと気がつくと、地面に転がっていた。

 森の中の少し開けた場所だ。月明かりが差している。

 夜なのに、やけに明るい。

 仰向けに倒れて見上げた夜空には、二つの月が浮かんでいた。

『おお、白き月<<ソーリ>>よ、赤き月<<ルーニ>>よ、我が懐かしき故郷よ。私は帰ってきた』

「確かに異世界だな。二つの月か……」

『三つある。今昇っているのは二つだが』

 周りを見回す。

「森の中だな」

『普通の森の外縁だな。遠くに街道が見えるぞ。……少なくとも深き森に位置する我が居城、ダルムの塔ではないな』

「何が起きたんだ」

『術の構成がいい加減で崩れかけ、他の奴が使った転移系の魔法と干渉したんじゃな。未熟者め』

「古代語魔法、初挑戦なんだから仕方ないだろ。で、この世界に出るときに引っ張られたような感覚があったんだが、干渉って……」

『後ろじゃ。見てみろ』

 後ろを振り返ると、少し離れたところで魔方陣が展開している。これは俺の魔方陣ではない。

『ふむ……転移魔方陣だな。おぬしの異世界転移の回廊魔法の出口が、誰かの転移魔法と干渉して位置がずれたのだろう。おぬしの術の構成が甘いから起きた事故だぞ、情けない』

「いや、それにしても、この回廊魔法って繊細すぎないか? 正規の魔法ってみんなこんな感じなの?」

『……まあ、開発中の魔法なんてそんなものだ。お、出てくるぞ』

 回廊魔法の完成度が低いのも、不安定な原因なんじゃねぇか。

 とりあえず、大きな巨木の陰に隠れる。

 向こうの魔方陣から魔力が吹き上がった。

 転移魔法……魔法の構成を幻想器官で知覚すると回廊魔法と似ている。転移魔法を改造して異世界に渡る回廊魔法を開発したと言ってたしな。

『ふむ、術の基礎はしっかりしている。まあまあな術者のようだな』

 展開している魔方陣の上で大きな陽炎が揺らめき、そこから一台の荷馬車が現れた。

「おい、どういう事だ」

 豊かな口ひげを蓄えた男が御者台からキョロキョロとあたりを見る。

「ヘントの街のそばに出るはずじゃなかったか?」

「わ、わかりません。何か、引っ張られたような感覚があって……術が崩壊しました」

 杖を持った若い男が絞り出すように言った。

「転移魔法が失敗するなんて聞いたことないぞ。別な場所に出るなんて」口ひげの男の声が怒気を含んだ。


 しっかし……今、初めて聞くはずの西ルーマ正方語が母国語同然に理解できるな……。

 脳の言語野に直接ガリガリと記憶を書き込んだ睡眠学習の成果か。

『どうじゃ、他の魔法や言語も睡眠学習してみないか?』

 もう、二度とやらん。


「わ、分かりません。転移魔法の途中で何か引っ張られるような不思議な感覚があって、途中で術が崩壊しました」

「転移魔法が失敗するなど聞いたことないぞ。目的地以外に飛ばされるなど」

 まあ、俺の回廊魔法が崩壊した余波だからな。

 ごめんね。

「もう一度転移する事は出来ないんだよな」

「転移魔法は私の全魔力のほとんど全てを使います。再び転移魔法が使えるマナを貯めるのに最低でも一ヶ月は」

「くそ、夜に森の中なんて冗談じゃない」

「わ、わざとではないです」

「当たり前だ。わざとなら殺すぞ」

 口ひげの男は冷酷な目でもう一人の男を見ている。相当頭にきているようだ。

「どこだここは?」

「ブルッヘの森かと。あ、分かりました。ほら、見てください。あれ、北街道ですよ。あそこに見えるのが霧なし山かと。ブルッヘの森からヘントへの途中ですよ。見覚えがあります」ビクつきながら魔道士が答える。

「くそ。ここか。三リーグくらいはずれたと言うことか。仕方が無い、行くぞ。とにかく森を出るんだ。夜のうちに町につかねば」

 男二人は四苦八苦しながら、車輪を木の根を乗り越えさせ木々の間に馬車を通し、街道へと進んでいった。不幸中の幸いは荷台に何も載っていなかったことだろう。そうでなければ、うまく森を出られたかどうか。

 俺は気配を殺して見送った。

 異世界人とのファーストコンタクトとしては最悪だった。


 さて、これからどうしよう。

 フィスタルの住み家――ダルムの塔の三人の魔道士に会って話をつけなければいけないんだが……。

「で、塔からはどれくらい離れているんだ? やっぱり同じようにずれて三リーグくらい? 」

『その百倍以上は離れているかのぉ。奴らの言うとおり、ここがヘントの町近くだとしたら』

「それはまた……塔までどれくらいかかるんだ?」

『歩きで普通に旅するなら、数ヶ月あればつくぞ。距離だけの話ならな』

「そら遠いな。

 ……まあ、取りあえず俺の世界に魔物が送り込まれる事は無くなったんだよな?」

『回廊魔法は異なる世界と霊的に繋がりのある触媒を使い、二つの世界を繋ぐ魔法だ。あやつらがわしの血を触媒にいくら回廊魔法を使っても、わしがこの世界に居る以上、魔法は発動しないだろうな』

 良かった。

 ま、陽菜や先輩の安全は確保できたからよしとしよう。

「んじゃ、異世界を武者修行かんこうりょこうしながらのんびり行くとしますか」

 小さい頃から聞かされ続けた爺さんの武者修行の旅の話は、多分、あらかたフィクションだと思うんだが、話してる時の爺さんの表情を見れば、爺さんにとって、その武者修行の旅が本当に楽しかった思い出なのは分かった。

 俺も異世界転移なんて、あり得ない旅に出たのだ。やむにやまれず来たが、来てしまった以上、楽しめるだけ楽しまねば嘘だろう。

 帰ったとき、爺さんと陽菜に、爺さんの話に負けないくらいの与太話をしてやれるような、冒険の旅をしてみよう。


「街があるのだし、そちらに行くかな。しかし、取り敢えずは……休憩かな」

 初めて使った大規模魔法のせいだろうか、頭が疲れて、眠気が押し寄せてきた。

『もう少し森から離れた方が良いと思うがな。街道に出よう』

「了解」

 とにかく眠い。

 俺は森を出て、街道に立つと辺りを見回す。

「慌てない慌てない、一休み一休み、と」

 俺は、リュックを枕に街道脇でごろりと横になって目を閉じた。

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