第13話 剣道少年、異世界に渡る その1

 俺の体、返さない気か!

 好きにはさせない。俺は精神を集中し、体の支配権を取り返そうとコイツに対する敵意をかき立てる……

「くっ、まてまて、冗談だ。本気にするでない。そら返すぞ」

 その声とともに、体の感覚が戻ってきた。

 冗談? 本当に冗談か?

 ……いや、契約があったから、何か不都合があったのだろう。

 こいつは俺の体を乗っ取る事を諦めていない。単なる勘だが確信している。

『いやあ、久しぶりの魔法の行使は楽しいのぉ。貴様もきちんと修行すれば、この程度は行使できるのだぞ』

「百年も修行すればだろ。へいへい」

『いやいや、それは回廊魔法の事だ。異世界へ渡るあの魔法に比べれば今回使った魔法の難易度はそれほどではない』

 今回ね。

 まあ、約束は守られた。精神体として俺に寄生しているこいつは、ああいう問いかけをしたとき嘘をつけない。

 だが、俺が奴に伝えたくない思考を伝えないように出来るように、奴もこちらに伝えたくない思考を黙っている事は可能なのだ。

 だから、俺はこの時知らなかった。フィスタルが『こちらの世界では支配率を逆転することは難しいな』と内心呟いていたことに。

 ヤクザ達の居なくなった倉庫を見回す。

 床には昨日までテレビでしか見たことがなかった拳銃が落ちていた。

「ほんと、現実感がない非日常的な……」 

『ちゃんと現実を見た方が良いぞ』

 非日常そのもののコイツに言われたくない。


 家に帰り着くと、大分遅かったので親に少し怒られた。結局、港町からバス乗り継いで来たのだ。

 ゆっくりと風呂に入りながら思いを巡らす。

『庶民でも毎日、こういう風呂に入れるのはこの文明の良いところじゃな』

「科学の勝利だな。お前のとこの世界、文明レベル低そうだからなぁ。この世界で何世紀くらいにあたるんだろう」

『一概に文明レベルが低いとはいえんぞ。確かに科学技術の発達は比べるべきもない。しかし、あの世界には魔法がある。例えば魔法文明が明らかに優れている点は医療じゃな。この世界には初歩の回復魔法すらない。若返り寿命を伸ばす手段もない。我ら魔法使いにとって医療の点ではこの世界に勝る』

「魔法使い以外の一般庶民はそれを享受できてるのか?」

『……確かに、この世界の庶民の方が豊かで発達した暮らしをしているだろう。今はな。

 だが、百年後、二百年後はどうだろうな?

 地球温暖化がこのまま続けば人間は生きていけるのか? 

 石油が無くなった後のエネルギーをどうする? 

 放射性廃棄物の最終処分は?

 いわゆる、さすてなびりてぃー問題とという奴じゃ。

 はてさて、どちらの人類が大きな危機に瀕しているかな? 

 なあ、一度試しに向こうの世界に行って自分の目で確かめてみないか?』

「……おまえ俺をおまえの世界に行かせたくて、口から出任せ言ってるけど、魔物が闊歩して、空にはワイバーンが飛び、人の体を乗っ取る悪の魔道士がいる世界の方がヤバイからな。少なくとも今は」

 異世界は、見物するのは面白そうだか、住むには厳しそう。

『じゃがどうする? おぬしに選択の余地はあるのか?』

 愉快そうに聞く。

「このままでは、また遠からず魔物が来る……よな」今日の出来事に思い返す。

『だろうな。ゴブリン、オーク程度なら退治も出来ようが、オーガやそれより強い魔物が来た場合、次はおぬしの周囲で誰か死ぬかもしらんな。弟子達は座標はわしを……この体を基準に開く。

 危険にさらされているのは、おぬしの近しい者達だぞ』

「もう一度教えてくれ。一体どうやってこの世界に回廊って開くんだ?」

『回廊魔法はわしが編み出した魔法だ。

 まず、わしがこの世界に渡った時。これは、わし自身の体を触媒としてほぼ同一の存在である貴様の肉体を、その霊的相似を利用して魔術的につなぎ、基準座標として世界に穴をあけたのだ。

 次に、わが弟子達が触媒に用いているのはわしの血だな。

 塔には、万が一わしが異世界から回廊を開く時に指標とするため、わしの肉体の一部、保存術式を掛けた血が一瓶おいてある。

 何か霊的に繋がった肉体の一部があればよいのだ。

 弟子達はその血を触媒として回廊魔法を発動させ、このわしを世界をつなぐ目的座標としている。

 この体がこの世界にある限り、あやつらがわしの血を触媒に回廊魔法を使えばわしの居た世界とこの世界がつながる』

「うーん……あんま考えずに先送りしてきたけど、何とかしないと駄目だな」

『だから言っておるだろ。回廊魔法を使って向こうの世界に渡るのだ。わしの弟子と話せば解決じゃ』

「回廊魔法使うには百年修行しないと無理なんだろ? 俺が回廊魔法覚える前に次の魔物が送りつけられてくるだろ」

『ふむ、では、実行可能な代案を。

 体の支配権をわしに寄越して、わしが回廊魔法を使うというのは……』

「……お前に体の支配権を渡すのは嫌だな」

『では、おぬしが回廊魔法を覚えるしかないのだが……。

 ふむ、そうじゃな、百年の魔法の勉強を飛ばして回廊魔法を覚える方法が一つあるぞ』

「ほぉ、勉強をしなくて覚えられるというのはいいな。どうやるんだ?」

『寝ている間にわしの回廊魔法の記憶をおぬしの脳に注ぎこむ。

 まあ、すいみんがくしゅう……みたいな』

「……えーと」

『その魔法の記憶を流し込むだけだ。楽ちんで確実に覚えられるぞ』

「……デメリットは?」

『さあ? わしもやったことはないからな。だが、わしと近似の肉体を持つおぬしへなら問題なく記憶が定着するはずだ』

「うさんくさい……」

『まあ、強制はせんよ。というか口だけのわしに強制はできない。だがな……』

「異世界に渡ってそいつらと話をつけなければ何も終わらん。そして、次こそ周囲の人間が危ない、か」

『そうじゃな。ああ、交渉するには言語も分かるようにしとかないといかんな。それも入れておこう。睡眠学習、いいじゃろ? 

 寝ている間に楽々学習、勉強嫌いの人でもばっちり』

 ……なんか怪しい通販みたいだ。

『我が名にかけて嘘は言っていないぞ』

 どうにも胡散臭い。嘘はついてはいないが全部を話してもいないだろう。

 しかし、他に方法はあるのか?

 陽菜が血を吐いて倒れ伏していた記憶が蘇る。

 うん……それは駄目だ。


 俺はその晩、睡眠学習を受け入れた。

 その夜の夢は覚えていない。しかし、確実に悪夢であった。


「すずちゃん、起きてよすずちゃん」

 体を揺する手をつかんで俺は飛び起きた。

 びっしょりと汗をかいている。

「すずちゃん、寝坊してるよ。遅刻しちゃうよっ。

 ……て何か顔色悪いけど大丈夫?」

 少シ寝坊したケド、何モ心肺するコトではナい。

 俺は陽菜に向かって、大丈夫だと伝えようとした。

「すずちゃん、何言ってるの?」

 口をついて出たのは、日本語とは全く異なった風変わりな音の羅列。

 くらりときた。頭を押さえる。

 ゆっくりと今度は日本語で答える。

「陽菜……。大丈夫だ。すぐ行く」

「んじゃ、私、下で待ってるから、急いで着替えてね」

 トントントンと階段を降りる足音。それから、

「おばさんに、すずちゃん起きたよー」陽菜の声が小さな一軒家に響きわたる。

『ほほ、いい娘じゃな』  

「……俺は……誰だ」

 俺の中に昨日まではない膨大な記憶がある。回廊魔法と西ルーマ正方語の記憶だ。

 人格は記憶によって形成される。他人の記憶が、入れば、それは変質するのではないだろうか。

 特に言語はまずい。思考は言語に支配される。

 西ルーマ正方語で話している時の俺は、俺として思考しているだろうか。思考が乗っ取られているのではないだろうか。

『それは考えすぎではないかの』

 もし仮に、俺がこいつの全ての記憶を得たら、それは俺が乗っ取られる事になるのではないか?

 記憶融合はまずい。この方法は危険極まりない。

「知っていたのか?」

『何のことかな? まあ、可能性の一つではあったが、何も確証はなかった。そして、それほど確率が高いわけでもなかった。知らなかったというのは嘘ではない。

 ふむ……そうか……くくく、わしの記憶を全ておぬしに渡したら、おぬしはわしになるのだろうか、か。

 これは哲学的命題だな。面白い。研究に値する』

「もう二度とこんな事はしない。油断も隙もない」

『ふん。何とでも言え。わしがこの数百年蓄えた叡智が死ごときで無に帰す事は許さん。

 まだ途上だ。わしは魔法で人を超え、いずれ神の頂きへと至るのだ』

 この誇大妄想狂め。

 ……しかし、その強大な魔法の力は本物だ。

「まあ、良い。とりあえずこれで異世界に渡れる」

 異世界に渡る――そのパワーワードに、興奮もあった。

 じいちゃんが話してくれた旅を上回る冒険旅行になるだろう。

「旅の準備をしなくちゃな」

 リュックに荷物を詰めないとな。何を持って行こう。着替えに、ソーラー充電出来るスマホのバッテリー、おやつは五百円まで、バナナはおやつに入らない、と。

 旅を前にして、不思議に遠足前のような高揚感を感じるのだった。

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