第1話 ④

「ぎゃあ!」

村の入り口で、悲鳴が空に響いた。声の主は門番。彼の胸は右から左に袈裟懸けに斬られていた。即死だった。

その下手人は――血の滴る刀を右手に持つ、二本角の影。フィルだ。

「さぁて、おっ始めるかぁ!」

彼は刀を背にしまうと、その両手に力を込める。すると、彼の両手に橙色に発光する球体が形作られる。

「らぁ!」

彼は砲丸投げの如く球体を放り投げると、それは放物線を描いて飛び、少ししてから民家の屋根に着弾した。そして――


ドオン! ドグォ!


爆発音と共に、空が一瞬、明るく照らされる。


「そらそらぁっ!」

彼は次々に球体を投擲。村のあちこちはあっという間に火の海へと変わる。それは、朝の一件とは比べものにならないほどであった。


(人間、そしてフェン……早く出てきやがれ!俺がこの手で仕留めてやる!)

そんなことを考えながら、攻撃を続けるフィル。その時であった。



「貴様は朝の……!」

3人の人影。コウと村の兵士2人が、彼の前に現れたのは。


「ふん、村長か。ちょうどいい」

フィルは一旦攻撃の手を止めると、コウを睨みつける。

「お前……あの人間、そしてフェン・イーグレーを出しやがれ!出てこない限り攻撃を続けるぜ!」

「誰が貴様なんぞの!」

威勢良く声を上げ、兵は槍を構えて突撃を仕掛ける。しかし、

「うるせぇ!」

1人は爆発により、もう1人は接近こそするもののフィルの剛腕により殴りつけられ、命を落とす。

「む、くうう……」

「そんな程度か。やっぱり人間なんざとの間に生まれたせいだなぁ?ひ弱でいけねぇや」

「おのれ!」

コウは斧を手に、フィルを見据えたままジリジリと足を動かす。そして、

「退屈すぎてあくびが出るぜ」

「もらった!」

フィルが大口を開けてあくびをした隙を狙い、斬りかかる。しかし――


「残念!痛くも痒くもねぇなあ!」

刃はその肌すらも傷つけることは叶わず、斧は無残に持ち手と刃とをつなぐ部分がへし折れてしまう。

「ふんっ!」

「ああっ!」

フィルは嘲笑うかのように口元を歪めながら、コウを軽く裏拳で殴りつける。

コウの額から、血が吹き出す。

「おっと、まだ死んでもらっちゃあ困るぜ?」

「う、うう……」

フィルは彼の髪を引っ張り持ち上げると、馬の近くまで連れてゆき、持っていたロープでその手足を縛り付ける。

「お前はあの人間の目の前で殺す」

凍りつくような一言を付け加え、フィルは

(頼む、ミライ君……どうか、どうか逃げていてくれ……)



一方、ミライ。彼はいつの間にか深く眠ってしまっていたのだが――


「……!?」


突然の轟音と地響きに、叩き起こされた。ペンダントを片手に急いでドアを開くと、そこには――


「村が……!」

朝の比では無いほどの惨状が広がっていた。家は燃え、人々があちこちに倒れている。

そんな中であった。


「村長の命が惜しくば出てきやがれ!人間!そしてフェン・イーグレー!」

耳をつんざく怒号が聞こえたのは。

「コウさんが……危ない!」

彼は顔を真っ青にし、家を飛び出す。声の方向は――北の滝がある湖からだ。



ミライが数十分かけそこにたどり着くと、それはいた。朝に村を襲ってきたあの魔族――フィルだ。

そしてその傍には、両手両足を縛られ、地面に横たわるコウ。

「コウさん!」

「ミ、ミライ君!来るんじゃなーーぐぅ!」

「黙ってろジジイ!」

フィルは制止しようと叫ぶコウを蹴り付け、黙らせる。そしてミライの方を向くと、腰から小さなナイフを取り出し、指差すようにミライへと向ける。

「お前だけか?」

「……そうだ」

「まぁいいか。人間、お前にいいものを見せてやる」

「!」

そう言うと、フィルは力無く倒れるコウの髪を掴んで持ち上げ、ミライに見えるような形で無理やり正面を向かせた。そして、

「このジジィを今から、そうだな……5分だ。5分かけてじっくりいたぶり殺してやる」

「邪魔したいなら止めにきてもいいが、そうすればお前も死ぬ。最も、順番が変わるだけの話だけどなぁ!」

「じゃあ、いくぞぉ!」

まるで楽しむかのような声で、フィルはコウの右肩にナイフの先端だけを当て、ゆっくり、ゆっくりと撫でるように下へ下げて行く。

「うぐぐ……」

コウの口から苦悶の声が漏れ、細い切り傷から血が滴り落ちる。

「苦しいか?苦しいよなぁ?そこの人間に助けを求めたらどうだ?ほらほら!」

「わ、わしのことはいい……!早く……」

苦痛に耐えながら、ミライに逃げることを勧めるコウ。


「おっと手が滑ったぁ!」

「ぐあああーっ!」

それが気に入らなかったのか、わざとナイフを強く押しつけるフィル。コウの腕から、血が一気に噴き出す。

「あ、ああ……」

その様子を見つめながら、ガタガタと震えるばかりのミライ。助けたいという心と、死への恐怖が、彼をその場に縛り付けていた。


「んんー?どうした?来ないのかぁ?」

そんな彼を見て、さらにナイフを持つ手に力を入れるフィル。既にコウは気を失っていた。

「ハァ……つまんねぇな、こりゃ。やめだやめだ。さくっと殺しちまおう」

ついに膝を折り、蹲ってしまったミライ。それを見たフィルは興が失せた、と言わんばかりにコウを乱雑に投げ捨てると、ナイフをしまい背中の刀に手をかける。

そして今にも振り下ろさんとした――その瞬間だった。

ミライの中で、何かが切れたのは。


「……めろ」

「ん?」

か細いその声を聞き、ミライの方へと目をやるフィル。


「やめろ……」


なんとミライは震える足で立ち上がり、フィルを睨みつけていたのだ。


「ほーう。立ち上がったか。だがもう遅い。そこでこのジジィの最期を見てやがれ!」

しかし、そんな彼に構わずフィルは刀をコウ目掛けて振り下ろす。


「やめろォーーーッ!」


ミライの叫びが、夜空に響いた――




一方、同時刻。魔族達の駐屯所では、混乱が生じていた。


「ダメです、ビクともしません!」

「こちらもです!おそらく、魔力的な方法で閉じられているのかと!」

扉、そして窓。外に出るための一切の手段が、何者かによって封じられていたのだ。魔族の中でも比較的腕力の強い牛人であっても、突破できないほどに。

「隊長!」

「何だ!」

「フィル隊員の姿がありません!」

「何だと!?……まさか!」

サーロの予感は当たっていた。彼の息子は、数時間前にここを抜け出し、1人村へと襲撃に出かけたのだ。

「ぬうぅ!このっ!このおっ!」

彼はなりふり構わず、硬く閉ざされた扉を何度も殴り付ける。拳から血が吹き出ようと、何度も、何度も。

(何なんだ、このまとわりつくような悪寒は……!)

そんな思いが、彼を突き動かしていた。

「フィル……早まるなよ……!」

その姿は、兵達の隊長から、1人の父親へと変わっていた――



村の北、滝がある湖のそば。

そこにあったのは、転がる老夫の頭。そして絶望に染まる少年の遺体――そんな光景ではなく。

フィルの目線の先では、天地が目まぐるしく入れ替わっていた。そう、彼は横方向の回転を伴って吹き飛んでいたのだ。


「ぐぐ、何故俺が……っ!?」


木にぶつかった衝撃と共に、事態を遅れて知覚したフィル。彼は頭を振ると、前を向く。そこには――


左拳を突き出す、ミライの姿があった。硬く握られた指の隙間からは、青い光が漏れ出している。

「な、何だこりゃ……!どうなってやがる!」

あり得ない。あんな細腕のガキが、倍以上の体格の俺を殴り飛ばすなんて――彼は激しく狼狽していた。

だが、彼の狼狽はその程度では止まらない。なぜなら――

「……俺と、やろうってか」

先ほどまで怯えるばかりだった少年の姿は、もうどこにもなかったのだから。

鋭い視線を彼へ向け、ミライは歩いていた。

速度こそないが、確かな重みを伴って。言葉が無くとも、本能がそれを理解した。

彼から溢れ出す明確な、そして体の芯から凍りつくような冷たい殺意を。

お前を決して許さないという、確固たる意志を。

「来るなら来やがれ!」

彼は急いで腰からナイフを抜き、構えた。逃げるわけにはいかない。逃げればまた、屈辱に耐えるだけの日々が続くことになる。その一心が、彼を踏みとどまらせた。

しかし直後、彼はその身を持って知ることになる。その選択が大きな間違いであったということを。

「来るか!」

ミライはぐっと両脚に力を込め、真っすぐにフィルの元へと駆ける。

単調な攻撃。そう予想したフィルは、相手の突進を利用し、カウンターでナイフを突き刺さんと全身に体重をかけ、どっしりと構える。だが、

「ごっ……!」

そのあては外れた。突如ミライの姿が彼の視界から消え、その次の瞬間には彼の頭部に衝撃が走る。ミライは彼が知覚できないスピードで真横へ飛び、木を蹴って方向転換し、再加速。それを2度繰り返してフィルの背後へ周り、スピードの乗った右膝を延髄へ叩き込んだのだ。

「このっ!」

フィルはすぐさま上半身を捻り、肘打ちないし裏拳で反撃を試みる。しかし、

「おぐ……ぅ!」

ミライは着地の勢いのまま右膝を地に着けてしゃがみ込み、それらを回避。勢いをつけたフィルの攻撃が空振りになったことで生じた一瞬の隙をつき、素早く立ち上がると同時に右肘を鳩尾めがけてねじ込む。フィルは声にならない悲鳴を上げ、胸を押さえて項垂れる。

「がふっ!?」

だが、彼に息つく暇は与えられなかった。今度は横方向の衝撃が、腹部を襲った。ミライが放った左の回し蹴りが、彼の横っ腹に当たっていた。背骨からの異音を聞きながら、彼はまたもや吹き飛ばされる。

「調子に、乗るんじゃ、ねええぇっ!」

回転しつつ吹き飛び、背中から地面に落ちた彼は素早く上体だけを起こすと、右手に力を込め、橙色の光球を放つ。村を焼いたあの攻撃だ。

「このっ、死ねっ!死ねえええぇぇ!」

2発、3発、4発……彼はありったけの力で光球を連射。それらは全て、追撃を行おうと近づきつつあったミライに直撃、爆発する。

「はあっ、はあっ、やったか……?」

そして10数発打ち込んだ後、彼は力尽き、右腕を下ろす。炎と煙で見えはしないものの、これだけ打ち込んだのだ、跡形もなくなっているだろう。そう彼は確信した。いや、したかった。


「ああ……あ……!」


だが、その期待は無情にも打ち砕かれた。煙の中から現れたのは、未だ直進し続けるミライの姿。上半身の衣服は燃え尽き、素肌にも火傷を負ってはいるものの、その殺意は一向に鈍っていない。まっすぐにフィルを見据え、夕然とその足を進めていた。


「う、うう……」

フィルは恐怖した。最早恥も外聞もない。彼はただ生き残るべく、逃走をはかる。しかし彼の体は全くいうことを聞いてくれない。焦れば焦るほど、足は滑り、立ち上がることすらままならない。さらに――


「な、何なんだよ、ありゃあ……!?」

フィルを仕留めるべく歩くミライの姿に、異変が起こりつつあったのだ。

炎が彼の全身に纏わり付き、何かを形作っていた。最初は先ほど放った攻撃による炎だと思っていたが、そうではない。

「彼の身体から」炎が噴き出ていたのだ。そしてそれは次第に形を変えてゆき、左手から漏れる輝きが今までで最も大きな光を放ち、赤い炎は青にその色を変え――


「嫌だ……嫌だぁ!」

死にたくない。誰か、誰か助けてくれ――目の前で起こる光景に、命の危機を悟った彼は、ただ叫んだ。


「ひいっ!」

しかし、現実は非情だった。ミライが――いや、ミライだった「何か」が足を止め、彼を見下ろしていた。

「それ」を一言で表すなら、「化け物」。

人の頭蓋骨と竜の顔を混ぜたような頭部に、細く鋭い指。所々に鎧を纏った「骨」を思わせる、黒く輝く身体。

魔族である彼ですら震え上がる異形の存在へと、ミライは変貌していたのだ。

「うわぁっ!があっ!」

それは後ずさるフィルの首を掴むと、前方に見える木に向かって彼の背中を字面に擦り付けながら直進。その勢いのまま木に叩きつける。

「う……ぐぐ……がっ」

その瞳を青く輝かせながら、骸の怪物はフィルの首を締める力を強める。首の骨の軋む音を聞きながら、彼は間近に近づく死を感じていた。そして――

「とっ、父さ――!」

最後の一撃が、彼を襲った。腹部から背中にかけて、左拳が貫通したのだ。

怪物が拳を引き抜きその手を離すと、彼の身体は力なく横たわる。血溜まりが地面に広がり、死の匂いが立ち込める。

怪物はその骸に目もくれず後ろを振り向き、歩き出す。

まだ燃え残る炎が血溜まりを照らし、雲のかかりつつある月夜を映し出していた――



村へと続く平原では。


「隊長!あまり無茶をなさらないでください!」

「構わん、急げ!」

牛人――サーロが1人の兵を連れ、豪雨で道がぬかるむ中、馬を走らせていた。

「しかし、こんな視界では!」

「黙らんか!」

彼がこんなにも急ぐ訳――それはただ一つ。息子の安否だ。彼がかけたであろう扉への魔術が、突如崩れるように解けた。

(息子よ――どうか無事でいてくれ……!)

彼はただ、一人の父親として我が子の無事を祈っていた――



「これは……どうしたことだ……!」

村に到着したフェンは、その惨状に困惑していた。

豪雨で炎はほぼ鎮火したものの、家の多くは焼け落ち、道にはいくつかの死体が転がっている。

あの平和な村は、最早どこにもその面影を残していなかった。

「……フェン、様……でしょうか……?」

彼の背後から、蚊の鳴くような声がした。彼は急いでその方向へと振り向き、辺りを見回す。

「君か!」

彼は声がしてから遅れる事数秒、瓦礫に埋もれた人影を発見する。若い女性だった。

「村長が、魔族に……」

彼女は瓦礫の下から救出されるとフェンに抱えられながら、滝の方向を力無く指差す。そして程なくして事切れ、糸の切れた人形のようにその手が下がった。

「……すまない」

彼は自責の念に追われながらも、女性の亡骸を木に寄りかからせ、その場から飛び立った。



一方、滝の上では。


「おい!おい、ミライ!しっかりしろ!」


元の少年の姿へと戻ったミライ。血溜まりに倒れこむ彼の周りを、小さな竜が――ドランが声を上げながら飛び回っていた。

そしてその右手の中には、形見のペンダントではなく。

竜の紋章が描かれた、青い宝石が中心にはめ込まれた八角形の何かが握られていた――

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