第1話 ③
「うう…うん……」
日も沈みつつある、夕刻。
ベッドに寝かされた少年が、小さく呻き声を上げながらその目を開いてゆく。
「ここは……」
目覚めた場所は、もう既に見知った場所――コウの家の中であった。
ただ一つ知らない物があるとするのならそれは、
「やぁ。お目覚めかい?」
「貴方は……?」
椅子に腰掛け、優雅に紅茶を啜る、執事のようなスーツを身に纏った、不思議な雰囲気の青年だった。
「皇明院ミライ君だね?私はフェン・イーグレー。魔族さ」
魔族。その単語に、ミライの体が強張る。
「警戒する気持ちもわかるが、あんな連中と一緒にしないでほしいかな」
彼は不満を漏らすと、机の上にカップを置き、ミライのいるベッドへと近づく。
「そうだ、コウさんは!」
ミライは血相を変え、フェンを無視してベッドから飛び出そうとする。
「彼は無事だよ、それよりも」
フェンは横切ろうとしたミライの肩に手を置き、目線だけを彼の方へ向ける。ミライは動きを止め、顔を横へ向けてフェンを見つめる。
「私は、君に用があるんだ」
「……何ですか」
ミライは、フェンという男がイマイチ信用できなかった。魔族、というのも理由の一つではあるが、何よりもその口調が、胡散臭さに溢れていたからだ。
「ふーむ、ずいぶん警戒されているらしいね。なら、これでどうかな?」
「!」
少し考え込むような仕草をした後、フェンは上着の内ポケットから、「あるもの」を取り出す。
「大事な物なんだろう?」
「僕のペンダント!」
それは、日本にいた頃から彼が大事にしていた父親の形見のペンダントであった。フェンはチェーンの部分を人差し指と中指を伸ばして引っ掛け、釣り餌のように見せつける。
「返してください!」
「おっと」
珍しく語気を荒げ、フェンが持つペンダントに手を伸ばすミライ。しかし彼は手が届く寸前に指を戻し、その勢いで掌の中にペンダントを握ってしまう。
「それは、本当に大事な物なんです!お願いします!」
「それじゃあ、話を聞いてもらえるかな?私を信用はしなくてもいいから、ね」
「っ……わかりました」
「ふふ、ありがとう」
フェンは口元に笑みを浮かべると、再び椅子に座り、ペンダントを机に置く。ミライもまた、ベッドから足だけ出す形で座り直す。
「その前に、1つだけいいですか」
フェンが話を始ようとしたその時、ミライが右手を上げた。
「何だい?」
「何で、あのペンダントが僕の物だって知ってたんですか」
それは、率直な疑問だった。ミライは彼の事は知らない。しかし、彼は自身の事を知っていた――名前はコウから聞いていたとしても、ペンダントが僕の物であるという事には辿りつかないはずだったからだ。
「それはね、『彼』から聞いたのさ」
そう言うと、フェンが指をパチン、と鳴らす。すると――
「ミライーーッ!」
「ど、ドラン!?」
聞き慣れた声と共に、小さな竜が――彼の唯一の家族、竜形ロボットのドランがどこからか飛んできたのだ。
「探したんだぜこのヤローッ!」
「はは……ごめんね。でも嬉しいや」
ドランは涙こそ出ないものの、喜びと心配さの入り混じった声を出しながらミライの周囲をぐるぐると飛び回る。そしてしばらくすると、彼の横に着地した。
「どうしてドランまでここに?」
「まあ、いろいろな。追々話すさ」
含みのある言い方で彼の質問をかわすドラン。
「さて、そろそろいいかい?」
その光景をしばらく見つめていたフェンが、軽い咳払いをする。それに反応して、2人は彼の方へと向き直った。
※
「報告は以上となります。では、これにて失礼いたします」
その頃。村から数キロ先に位置する建物があった。その中にいたのは、牛の頭をした魔族達――コウの村を襲撃した、彼らであった。
「失礼いたします!隊長!」
「こちら異常なしであります!」
ドアを開け、入ってきたのは兵士の1人。彼は見張り番の役割を担っていた。
「よし。お前は次のものに交代し、休め。ご苦労だった」
「ハッ!それでは!」
兵が再びドアの方を向き、出ていこうとした瞬間だった。
「うおっ!」
「ったく、危ねえな!」
ドシドシと足音を立てながら部屋に入ってきた者とぶつかり、互いに転んでしまう。その人物とは――
「……フィル。またお前か」
フィル。村の襲撃時、度々叱責されていた若い牛人だった。彼は立ち上がり、汚れを払いながら言った。
「親父。ちょっと話があるんだが」
親父。そう呼ばれたのは、先程他の兵に隊長、と呼ばれていた牛人――名はサーロ。
「で、では私はこれで……」
フィルとぶつかって転んだ獣人はそそくさと部屋から出ていくと、静かにドアを閉め、去って行った。
「……それで。何の用だ」
「納得いかねぇんだよ!」
「何がだ」
声を荒げるフィル。サーロはやれやれ、と言った様子で頭を押さえながら、息子を見る。
「朝の事だ!何であそこでき引上げちまったんだ!あのまま村を潰しちまえばよかっただろ!」
机をバン、と叩きながら熱弁する彼に、サーロはため息を吐き、言った。
「フィルよ。言っただろう。あの男相手では分が悪いのだ」
「フェン・イーグレーの事か?確かに強いとは聞いたことがあるけどよ、数で畳んじまえば……」
「無理だな」
フィルが言い終わるより先に、サーロはバッサリとその言葉を切り捨てる。
「奴は先代魔王の世話役にして付き人――当然、戦闘能力もかなりの物だ。もし我々があの時向かってゆけば」
「……どうなるんだよ」
「間違いなく全滅、だな」
「……」
全滅。その一言を聞き、フィルは眉間にシワを寄せたまま、黙り込む。
「じゃあ、どうすんだよ。このまま指をくわえてるってのか?」
「いや、それはしない。……奴の事を報告した。何らかの対抗策を練る、との事だ」
「いつまでかかんだよ」
「そうだな……おそらく1日もあれば、連絡が来るだろう。それまで待つのだ」
「……けっ、わかったよ」
「お前ももう少し大人になれ。隊の者に示しがつかん」
サーロの言葉を背に、フィルはドアを開け、立ち去る。
「全く、困った奴だ……しかし、お前は俺の息子だ。信じているぞ……」
フィルが出て行き、静かになった部屋で、サーロは1人、本音を漏らした。
一方、苛立ちを抱きながら廊下を歩くフィル。そんな彼の耳に、ある会話が飛び込んできた。
彼は耳をすます。
「しかしまぁフィルの奴には困ったもんだぜ。」
「いちいち隊列を乱すわ、しょっちゅう怒鳴られるわ。一緒にいる俺たちの身にもなってほしいもんだ、なぁ?」
「あれでよくまぁ隊に入れたもんだ。親の七光、とはこの事かね」
「全くだぜ」
彼らは曲がり角の先にある廊下を歩きながら、フィルへの不満を言い合っていた。
「よう」
そんな彼等の前にフィルは歩いてゆき、声をかける。
「よ、よう、フィル」
「これから休憩か?」
「……まあな」
それだけ言い、フィルはのしのしと廊下を歩いてゆく。彼の姿が完全に見えなくなった事を確認し、2人はほっ、と胸を撫で下ろした。
(今に見てやがれ……俺の実力が本物だって事、証明してやらぁ)
フィルの心には、メラメラと野心の炎が燃えていた――
※
「では、率直に言わせてもらおうか」
フェンは姿勢を正すと、一度目を閉じ、軽く頷く。それに釣られて、ミライもまた、ごくりと唾を飲む。そして――
「皇明院ミライ君。君には、我々の王となっていただく」
予想外の一言が、その口から飛び出した。
「え……?」
王。そんな大それた言葉が出てくるとは思わず、開いた口が塞がらないミライ。
「……」
「……」
暫しの静寂。
「……どうやら、理解が追いついていないようだね」
「そ、そりゃそうですよ。それに、何で僕が王様になんか」
先に破ったのはフェン。ミライも後に続く。
「その理由は、これにある」
「ペンダントが……父さんの形見が、何か関係あるんですか?」
フェンが手に取ったのは、彼のペンダント。
「ああ。大いに関係あるとも。何せ、君の父親は――」
「現魔王である弟君に追放された、先代の魔王なのだから」
「なっ……!」
この世界に来て1番の衝撃が、彼を襲った。父親が、人間ではない――それも、魔王だなんて。
「冗談……じゃ、ないんですよね。その顔からすると」
「その通り。これは紛れもない真実だ」
「でも、それが何でわかるんですか?」
「このペンダントから感じる魔力さ。これは紛れもなく、あのお方のもの。赤ん坊の頃から見てきた私が言うんだ。間違いはない」
フェンは一瞬だけペンダントを見つめると、懐かしげな表情を浮かべる。
「それに」
そして、彼はある方向を指差す。その先には――
「ドラン?」
父と母が残した、唯一の家族の姿があった。
「……その話はホントだ。ミライ。俺は知っててずっと黙ってた。すまねぇ……」
いつになく神妙な口調で話すドラン。ミライは、こんな彼を見るのは初めてだった。しかし、だからこそ信じられた。お調子者で口の減らない彼が、こんなにも申し訳なさそうな態度でいる。16年間一緒に暮らしてきたミライだからこそ、その心が理解できた。
「……でも、まだどう答えていいかわかりません……僕が半分人間じゃなくて、王様になれ、だなんて」
「それに、僕は……」
ミライは俯いた。
親友を死なせた僕が。逃げることしかできなかった僕が。誰かを悲しませてきた、僕が。
そんな事を考えている内、自然と彼の目からは、涙が滴り落ちていた。
「確かに、そうかもしれない。今の君では、これに眠る力を使うことすらできない」
そんな彼に近づき、フェンはペンダントを手渡しながら一言を投げかける。
「最も無理はないけれど、ね」
「しばらく、1人にさせてくれませんか」
「……ああ。構わないよ。私は長老と話をしてくる。村の様子も気になるからね」
「俺も行くな。なんかあったら、呼んでくれよ」
そう言うとフェンは玄関を開け、出て行く。ドランもそれに続き、パタパタと飛んで行った。
1人残ったミライは、ベッドに大の字になり、ペンダントを見つめた。
(ねぇ、父さん。何で父さんは、これを残したの?何で僕は――)
そう考えながら、彼は目を閉じた。
※
「ふあーあ、異常無し、っと……」
夜。馬の様子を見にきた牛人の兵士が、大きなあくびをあげる。
「早く戻って飯にするかぁ、腹減っちまった」
彼はランタンをぶら下げながら独り言を呟き、戻ろうとする。しかし、
「動くな……」
背後からの声と、冷たい鉄の感触が、それを許さなかった。
「なっ、お前は」
「騒ぐんじゃねぇぞ……」
その声の主は、フィル。彼は小さなナイフの側面を兵の首に当てがっていた。
「な、何の冗談だよ、こりゃ。タチ悪いぜ」
「安心しな。危害を加えるつもりはねぇ……だがお前にやってもらいたいことがある」
「何だよ……」
※
「……そうですか。まさかあの子が、私達と同じような存在だったとは」
一方、村ではコウとフェンが焚き火を挟んで話し込んでいた。
「ええ。ですが私は思うのです。人間と魔族の混血――それもあの優しき先代の血を引く彼だからこそ、この世界をより良くできるのではないか、と」
「あの方の理想その世界を作れるような――人間と我々魔族の橋渡しとなる存在に」
そこまで言うと、彼は目を細めてコウの家の方角を――そこで未だ眠っているであろうミライの事を思う。
「さて。私は村を見回ってきます。フェン様は?」
「私も少しの間、この村を離れます。明日の朝、またここへ戻りますが」
「そうですか。お気をつけて」
「ええ。お気遣い感謝いたします」
そう言うと、フェンは本来の姿――つまり魔族としての姿に戻り、翼を開き空へ飛び立つ。その姿は、みるみる小さくなってゆき、夜空へと消えた。
(我々魔族が、地球の人間と交わってから私で2世代目。軍に目を付けられぬよう細々と生きていくしかなかった我々に、ついに希望の光が見えたのだろうか――)
そう思いながら、コウは焚火の火を消し、ランタンを片手に歩き出した。
※
夜の平原を、一頭の馬が走り抜けていた。それに乗るのは、あの牛人、フィル。
「へっ、うまく行ったぜ」
彼はなぜ、ただ1人で平原を駆け抜けているのだろうか――
真相は、少し前に遡る。
「よう、どうだい調子は」
「ん、何ともねぇが。交代にはまだ早いけど、どうした?」
そんな何気ない会話をしているのは、先程フィルに脅しをかけられていたあの男と、見張り役の男だった。
「いや、最近冷えるだろ?だから早めに代わってやろうと思ってな。許可は取ってるぜ」
「本当か?だが悪いな」
「構わんよ。さ、代わってくれ」
「まぁ、そこまで言うなら……礼にまたなんか奢ってやるよ」
「おう、楽しみにしてるぜ」
そう言うと、見張りをしていた兵は身体をさすりながら梯子を降りてゆき、兵舎に戻って行った。
(ったく、あのバカ息子め……こんなことさせてどうするつもりだ)
そう。彼がここに来たのは、他でもないフィルの指示だった。彼はフィルから渡された箱を見つめながら、心の中で愚痴をこぼす。
「……戻ったな、よし」
彼は先ほどの兵が完全に兵舎まで帰った事を確認。次にランタンを持ち上げると、ナイフを鞘から抜く。そして、
「こうだったな?」
ランタンの光でライトを照らし始める。すると、兵舎から離れた森の中から、同じような光が見えた。
「ん。どうやら伝わったみてぇだな……さて」
フィルの要求は3つ。
1つは、馬を一頭、貸せということ。
もう1つは、見張りを交代し、終わり次第俺に合図をおくれ、ということ。
そして最後の1つは――
「こいつを開けりゃあいいんだな。よし……」
先程彼が持ち込んだ箱を、合図の後開けろ、ということだった。彼は一度深呼吸し、蓋を開ける。すると――
「うわっ!?んだよこりゃあ、あ、あ……」
強烈な白い光が、彼を照らした。痛みこそないものの、強烈な睡魔が彼を襲う。
「あ、あの野郎、俺まではめやがった、な……」
呪詛を吐きながら、彼の意識は急激に遠ざかり、数秒と経たないうちに眠り込んでしまった。
「しばらく寝てやがれ……悪く思うなよ」
森の中。馬に乗った牛人、フィルは光を確認すると、そう呟き馬を走らせ始める。
行き先はただ一つ。コウの村だ。
そして現在。
(見てやがれお前ら……そして親父!俺の実力を思い知らせてやる!)
その背に野心を乗せ、馬は闇夜の中を駆けていた――
※
――どこか、深い霧のかかる森の中。空を飛ぶ一つの影が、まっすぐにその中へと消えてゆく。
その影は、鳥の獣人、フェン。彼は暗い森の中に降り立つと、再び人間の姿を取り、木々の間を歩き始める。
そして湖が見える開けた場所に着くと空を見上げ、
「私だ。開けてくれ」
何もない湖に向かって、話しかけた。すると何ということだろうか。突如として屋敷とも城とも取れる建造物が、その姿を現した。
「よし」
彼は一言だけ呟くと、開いた門をくぐり、中へ入ってゆく。
そして彼が入ったことをまるでわかっているかのように、門はひとりでに閉じ、建物は再びその姿を消してしまった。
「おーい。どこにいるんだい?」
門が閉じてすぐ。彼は誰かを探していた。
「……お呼びかしら」
「なんだ、そこにいたのか」
すると、彼の正面から、少女の声がした。
「せめて、夜ぐらい灯りはつけてくれないかい?君にとっては暗い方がいいのはわかるが」
「今付けようとしたところよ」
少女がそう言うと、部屋が明るく照らされる。
「ただいま、ミスティ」
ミスティ。フェンがそう呼んだのは、目の前のメイド服を着た、小柄な切れ目の少女だった。
「それで?収穫はあったのかしら」
「ああ。だが喜んでばかりはいられない、かな」
「どういう事?」
彼らは廊下を話しながら歩いてゆき、階段を上ってバルコニーに出ると、フェンは村の方向を眺めつつ、柵にもたれかかる。ミスティもまた、椅子に腰掛ける。
「彼の精神面がね」
「でもその子、戦いとは無縁の場所にいたんでしょう?多少は仕方ないんじゃないの」
「そこでは無いんだ。何というか……そう。傷つきすぎていた、とでも言えばいいのかな?」
「傷?」
「ああ。自分に対して自信がない、というよりは、自棄になってる節がある」
「このままでは王になるどころか、自ら命すら断ちかねない危うさだね」
「……で、どうするの?」
「私ではどうしようも無いね……彼が自分で変わらない限りは」
「そう……」
軽い返事だけ返すと、ミスティは立ち上がり、背を向けてバルコニーから立ち去ってゆくーーその時だった。
「っ!?」
フェンが驚きの表情とともに身を乗り出さん勢いでバルコニーの柵を掴んだのは。
「どうかしたーー」
「!」
その音に振り向いたミスティもまた、異変に気づく。村の方角の空が、明滅を短時間の間に繰り返していたのだ。
「すまないミスティ。私はもう一度出る」
「ええ」
フェンは階段を駆け下り建物を出ると、すぐさま姿を変え、飛び立った――
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