第1話 ②

「来たか」

そう言い放ち、腕を組みながら肩で息をするコウを睨みつける、数十人の兵を率いた男。その姿は全身筋肉の塊に、鎧を身に纏ってはいるが――その頭は、なんと「牛」。ミノタウロス、とでも言えば良いだろうか――とにかく、人間の姿では無いことは、確かであった。

「……何の用だ」

「テメェ!口の聞き方に……」

兵の中の1人が、乱雑な口調で前に踏み出し、コウを怒鳴りつける。しかし、一番先頭にいた隊長格の牛人はこれを手で遮り、制止。兵は渋々と隊列へ戻り、再び姿勢を正す。

「この村の長よ、単刀直入に問う」

「……」

「貴様は先日、この村に人間を保護したな?」

「……何の話だ」

その質問が、ミライのことを指しているのは明白だった。しかし、コウは眉一つ動かさず、しらを切る。そして静寂が始まった。



一方、ミライは。

土煙も晴れ始め、村の様子が確認できるようになってきていた。彼が辺りを見回すと、数十分ほど前までののどかな村の姿は、もう無かった。

子供たちは泣き叫び、火が付き屋根が燃えている家もある。その上、

「……!」

隣に居たミオが、声をもらさぬようにしつつも、涙を流していた。畑が、精魂込めて育てた作物が、火の海に飲まれているのだ。

彼女はただ、口を手で覆いながら、膝を地につけ項垂れるばかりであった。

「ミオさん……」

「!」

彼は再び、驚愕した。村の入り口の方に目をやると、そこに居たのはコウと、明かに人では無い、数十人の異形――彼の言葉で表すならば、「魔物」。ゲームやアニメの中に出てくるそれであった。

しかし、これは現実だ。草木の焼け焦げる匂いが、早まる心臓の高鳴りが、それを否応なしに味合わせてくる。

位置が遠いため、何を言っているのかまではわからない。だが、切迫した状況にあるのは、彼でも理解できた。その直後。

「ッ!コウさん!?」

事態は、動いた。


「ほう……?しらを切るか」

「何を言っているのか。わしにはさっぱりだな。人間など、この村にはいない」

再び、コウと牛人の男。

「この村にいるのは、わしらだけだ……お引き取り願おうか。同じ種族同士、血を流すのは得策では無いだろう」

同じ種族。コウがその一言を言った途端、牛人の男はコウに背を向け、身体を震わせ始める。

「ハハ……ハハハハ!笑わせる!同じ種族だと?貴様らと!我々が!」

牛人の男は大声で馬鹿にするように笑い始めると、己とコウを何度も往復して指差す。

「一緒にするんじゃあないぞっ!人間と交わり、誇り高き血を汚した貴様らなどとぉ!」

そして途端に態度を変え、激昂。我慢ならない、と言わんばかりに鼻息荒くコウの腹を蹴り、大きく吹き飛ばす。

その様子を見ていた周囲の兵士たちは、慌てて男を羽交い締めにし、諫める。

「ぐ…ぐぅ……」

「フン、構わん……答えたくないというのならば、答えなくとも良い」

「その代わり――」

部下に諫められ、冷静さを幾分か取り戻した男は、何やら部下にハンドサインで指示を出す。すると――

「な、何をするつもりだ!?」

「決まっている。この村を焼き尽くし、貴様らもろとも灰にするまで」

整列していた兵たちが、一斉に弓に矢をつがえ始めた。その先端には、橙色の光が灯っている。

「なっ……!?」

驚愕と怒りに満ちた表情のコウは、腹部の痛みを堪えながら立ち上がろうとする。しかし、脚に力が入らず、再びへたり込んでしまう。

「手始めに、貴様からだ」

牛人の男は、腰に着けた鞘から幅の広い刀を抜き、コウの喉にその先端をあてがう。

「さらばだ」

そしてその先端を一旦喉元から離し、コウの頭上に刃が来るように構え直す。そしてそれを振り上げ、今まさに命を奪わんとした――その時であった。

「待てぇっ!」

若い男の声が響いたのは。



三度、ミライの方へと場面は映る。

彼は目撃し、叫んだ。コウが、その老体に力強い蹴りを入れられたのだ。苦しげに身をよじる姿に、全身から血の気が引く。

だが、事態はそれに止まらなかった。幾許かの問答の末、何やら光る矢を弓につがえた兵達が一斉に村の方角を向き、コウの喉元に刃が突き付けられていた。

瞬間。彼の脳裏に、様々なイメージがフラッシュバックする。

「父の死」。

「大吾の死」。

そして何より強く浮かんだものは、「嘆き怒り狂う母、花苗」。彼の頬に、あの時の痛みまでもが、鮮明に蘇る。

「ダメだ……ダメだっ!」

彼がそう叫んだ時、既にその足は大地を蹴り、丘を駆け下り始めていた。

「ミライ君!行くんじゃない!」

ミオの悲痛な叫びすら、届かぬほどの勢いで――



「……ミライ、君」

どうして、どうして出てきた――そんな言葉さえ出せぬ程に、コウは驚愕していた。

「ほう、貴様が」

突然の乱入者に気を取られ、牛人の男もまた、振り下ろす手を止め、ミライをじっと見つめる。

「ごめんなさい、コウさん。約束、破りました」

息を切らしながら、コウに目をやるミライ。彼の心臓は恐怖と緊張、急な運動による三重の合わせ技により、激しく鼓動を打っていた。

「そこの……人?何をするつもりなんですか」

彼は牛人の方へと向き直り、そう投げかける。

「知れた事。その男を殺し、村を焼く」

「なぜ、そんな」

「お前を匿ったからだよ、この人間野郎!」

矢を構えていた兵のうちの1人が、顔だけをミライの方向へと向け、嘲笑混じりに吐き捨てる。先程コウに食ってかかり、制止された者と同じ男であった。

「フィル!貴様は気をそらすな!」

「へいへい」

フィル、と呼ばれ叱責された兵は、軽く舌打ちをすると、またすぐに顔を村の方角へと向ける。

「……やはりしらを切っていたようだな」

「……」

男の追求に、コウはただ黙るのみ。

「だが、チャンスをやらんこともない……おい」

そういうと、男は再びハンドサインを送る。すると今度は兵達が一斉に弓を構えることを止め、整列し直した。

「長老よ、その人間をこちらに差し出せ」

そしてコウに向かって、その一言を叩きつけた。

「なっ……」

「そうすればこの村と、ついでに貴様には手を出さずにおいてやろう」

口の端を歪め、ニヤリ、と笑う男。

「そんなことが――」

コウが立ち上がり、そこまで言いかかった時だった。


「……わかりました」


ミライが前に出たのは。


「ほう?」

「ミライ君!何を!」

「僕1人の命で、みんなが助かるなら、それでいいです。それに……」

手を伸ばし、引き留めようとするコウを背に、彼は牛人の男の正面に立つ。そして足の震えを堪えながらも、続けた。

「僕は元々、もう死んでるはず。……いや、死ぬべきはずの人間だったんです。だから」

「もう、いいんです」

「ありがとうございました。コウさん。こんな僕に、良くしてくれて。朝ごはん……美味しかったです」

涙を浮かべたまま笑顔を作り、一瞬だけ、コウの方へと振り向いた。そしてまた、男の方へと向き直る。

「ふむ。その心意気だけは認めてやろう。せめてもの情けだ。苦しむ暇もなくその首を刎ねてくれる」

そして男は刀を地面と水平に向け、ミライの首の位置へ1度合わせ、肘を曲げて力を溜める。

「ふぅん!」

掛け声と共に刀を振り、ミライの首を刎ね飛ばした。そう誰もが思った瞬間だった。


「そこまでにしてもらおうか?」

若い男の声と共に、突風が牛人の男を吹き飛ばしたのは。


「ぬうっ!?何奴!」

隊長、と周囲が騒ぐ中、すぐさま体制を立て直した男は、声の方向――空を見る。その視線の先には――



時は数刻前。村の門で行われているこのやりとりを、村の外れにある木の陰に1人隠れて様子を伺う者がいた。深くフードを被ったその者は、背の高い細身の青年だった。

「さて……今日で間違いないはずだが……」

彼はそんな独り言を呟きながら、じっとやりとりを見つめていた。

「あれは……?」

1人の少年が両者の前に躍り出たのだ。見たところ、何の武装もしていない一般人のようだ。

「正気なのか、あの少年……」

青年は思わず、そんなことを口走る――その時だった。

「ん……?」

彼の懐が青い光を放った。正確には、彼が懐にしまっていた物が、だが。

「この光は……まさか」

彼はその物体を取り出し、少年と交互に見つめる。その物体とは、青い宝石が中央に嵌った、無骨で他と比べるとはるかに大きなサイズのエンドパーツが付けられたペンダント。あの少年――皇明院ミライが大事にしている、父親の形見であった。

「……なるほど」

青年は何かを理解したように呟くと、フードを脱ぎ去り、全身に力を込める。するとその身は瞬く間に姿形を変え――



再び現在。

牛人の男が見つめる先。そこには、己と姿こそ違えど、同じ存在がそこにはいた。

鋭い足の爪。

足首、上腕、腰回り、首回りを覆う白い体毛。

頭部の額から鼻の部分に当たるまでを覆うように突き出たクチバシ。

そして何よりも、その背から生えた、巨大な翼。

鳥の獣人が、空に浮かんでいた。


「何だテメェは!」

困惑する兵達の中で、唯一フィルだけが弓を向け、その男に食ってかかる。

「待て!フィル!迂闊に手を出すな!」

「何で!やっちまえばいいでしょう!」

「……ここは退くぞ。分が悪すぎる」

そう言うと、牛人の男は馬に乗り、部下を率いて撤退し始める。フィルだけは疑問を浮かべた顔で後方を見つめていたが――

鳥の獣人も、その様子を見つめたまま追撃を行いはしなかった。

そして数分後、完全に兵達の姿が見えなくなった頃。


「……退いたようだね」

男が安堵した様子で、地に降り立った。

「あの……貴方は一体」

コウが腹部を押さえながら、彼に問いかける。

「これは長老様。ずいぶんと手ひどくやられたご様子で」

「申し遅れました。私はフェン。フェン・イーグレーと申します」

「フェン・イーグレー…… まさか、あの!?」

フェン。そう名乗った鳥の獣人は、右腕を前に出しながら、執事の如く頭を下げた。

そんな彼の名を聞き、コウは驚きを隠せない様子でいるようだった。

「何故、貴方様程のお方が……」

「その前に」

コウが問いを続けようとするも、フェンはそれを押しとどめる。

「彼の介抱が、先ではないかな?」

そう言い、彼は掌である方向を指し示す。それは――

「ミライ君!」

意識を失い地に倒れ伏す、ミライであった。コウは痛みも忘れ、彼のそばに駆け寄る。

「良かった、息はある……」

「私の家で介抱します。よろしければ、ご同行をお願いいたします」

「ええ。最初からそのつもりです」

負傷しているコウに代わり、フェンはミライを所謂「お姫様抱っこ」の形で持ち上げ、家の方向へと歩き始めた――

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