第56話  親子

「君がフィンだね」

「?」


 どう答えればいいのかわからなくてギルを振り返ると、彼はまじめな面持ちで驚くべきことを告げた。


「その方はフィンの父親だ」

「え⁈ え? …と、お父さん?」


 不思議な気持ちで彼を見上げると、フィンと同じ夜明けのような紫紺の瞳とぶつかる。背が高くてややほっそりとしたその人は、後ろに隠れていた女性をフィンの前に連れ出した。


「そして彼女は君の”お母さん”だ」

「え! お母さんもいるの⁈」


 突然できた”両親”に、フィンの頭は大混乱だ。

 許容量を過ぎた情報の多さにクラクラと目を回していると、女性は我慢できないとばかりにがばっとフィンに抱きついた。


「わっ」

「フィリア! あああ…フィリアっ。こうしてあなたに会える日を、どれだけ夢見たことでしょう!」


 彼女は涙を流しながら、何度も何度もフィリアと呼ぶ。

 抱き締められたまま動けずに困っていると、”お父さん”が”お母さん”を宥め、フィンから引き離した。


「驚かせてすまないね」

「でもわたし、フィリアじゃ…」


 名前が違うから、人違いではないかと言おうとすると、彼は微苦笑して首を振った。


「君の本当の名前はフィリアなんだ。フィリア・アデルオルト」

「フィリア・アデルオルト…」


 彼に倣い、本名だという名前を声に出してみた。

 そんなフィンの様子を微笑ましく見ていたギルは、徐にフィンへ左肩の痣の話を振った。


「フィンにはヴァラの刻印…花の形の痣があるだろう?」

「うん。なんで知ってるの?」


 痣の話をしたことないのにと不思議に思っていると、ギルはフィンの考えていることがわかるのか、ニヤリと唇を吊り上げた。


「彼にも同じ痣がある。もっと大きいけどな」

「ええっ!」


 驚きの声を上げるフィンに、「ちなみに俺にもあるぞ」と更に追い打ちをかけてくる。

 あまりにもビックリしたフィンが反射的に”お父さん”へ振り向くと、彼は肯定するように首を縦に振った。


「その痣があることが、私たちが親子である何よりの証拠なのだよ。…改めて、私はアデルオルト公爵家の当主でゼオン、そして彼女は君の母親で、私の妻のティアナだ」

「こ、公爵様?」


 ”公爵”という響きに驚きすぎて、フィンはこくりと喉を鳴らす。ジョルジュの邸で勉強したため、”公爵”がとても偉い・・・・・ことをフィンは知っている。

 慌てて淑女の礼をしようと腰を屈めたところを、ギルによって止められた。


「そんなことしなくてもいいんだ。フィン」

「でも、だって、公爵様だよ!」

「なにを言っているんだ? それなら彼らの子供のお前だって”公爵令嬢”だろ?」

「え? え⁈ えええ⁈」


 そんなことを言われても理解が追いつかない。

 頭を抱えて蹲ったフィンに、のんきなリットが声を掛ける。


「フィ~ン~、今更お貴族様も何もねーって! 第一お前、王子サマに敬語使ってねーじゃん!」

「王子様って?」


 ぐるりと周辺を見回したが、それらしい人物は見当たらない。フィンは小首を傾げるが、結局リットは王子様が誰なのかは教えてくれなかった。


「そんなことより、フィン。両親に会えたんだ。何か言いたいことはないのか?」

「言いたいこと?」

「おねだりでもいいんだぞ」


 ギルは悪戯っぽくニヤリと笑うと、二人の前へと押し出した。


「……」


 なぜかゼオンとティアナから期待に満ちた眼差しで見つめられ、フィンは仕方なく一生懸命に考えて、やっと一つだけ思いついた。


「あの、お願いがあります」

「お願い?」


 ゼオンは娘からの初めてのお願いに、嬉しそうに目を細めている。


「あの! わたし、お姫様にならなくてもいいですか?」

「「「は?」」」

「わたしジューンさんの弟子になりたいので、貴族のお姫様にはなれないんです」


 ごめんなさいと頭を下げると、慌てたギルが会話に割り込んだ。


「待て待て! お前、両親と暮らさないつもりか?」

「うん」


 躊躇いなくコクリと顎を引くと、彼は更に追い縋った。


「いやいやいやいや、やっと会えた家族だぞ⁈」

「でも公爵様のお邸に住んだら、ジューンさんの薬屋へ行けなくなっちゃうでしょ」

「そうかもしれないけど。邸で薬学を学べばいいだろう?」

「いや! わたしジューンさんがいいの! ジューンさんの弟子になりたいの!」


 ギャーギャーと言い合っていると、急にゼオンがぶはっと噴出した。


「いいよ。わかった。君の好きにするといい」

「ゼオン様⁈ なにを言い出すのです!」


 驚いたティアナが夫に詰め寄るが、彼はケロリとしている。


「私と兄上も成人前から好き勝手していたからね。血筋だよ。仕方がない」

「そんな!」

「いいじゃないか。ねえフィリア、いや、フィン。その薬屋に広い庭はあるかな?」


 ゼオンが言わんとしていることはわからないが、質問にはきちんと答えた。


「薬草園もあるので、それなりに」

「そう、いいね。じゃあちょっとした装置を置かせてもらっても大丈夫かな?」

「装置?」

「叔父上⁈」


 ふむふむと顎を擦りながら何かを思案するゼオン。その隣ではティアナやグイードが諦め顔で虚空を見つめている。


「室長に相談したら、きっと彼泣いて喜ぶだろうね」

「ソウデスネ。変な呪いをかけられないように気を付けてください…」

「?」


 フィン本人を放っておいて大人たちは結論が出たらしく、ゼオンとティアナは来た時と同様転移魔法で帰ると言い、やってきた時と同じ場所(奇跡的にここだけ地面は無事だった)に現れた光の円陣を前に、ティアナは泣きそうな顔でフィンを再び抱きしめた。


「フィリアっ、ああ、フィリア。またすぐに会いましょうね!」

「えっと、はい。お母さん」


  二人の間に少々温度差はあるけれど、親子らしく抱擁を交わして次の約束をした。

 

「フィリア、転移の魔法装置が完成したら、ギルバートを通してすぐに連絡するよ」

「え! 俺⁈」

「はい、待ってます」


 ゼオンとは握手を交わし、ギルを介して連絡すると約束した直後、足元から伸びた光の柱が二人を包み、一瞬で両親は帰っていった。


「……」


 アデルオルト公爵夫妻が帰っただけなのに、周囲は途端に静かになった。

 まるで夢から覚めたばかりのように、ぼんやりと星が瞬く夜空を見上げる。この数ヵ月はあまりにもいろいろありすぎて、ゆっくり空なんて見ていられなかった。


「どうした?」


 様子がおかしいと思ったのか、心配したギルがフィンに声を掛ける。けれどフィンは上を向いたまま、「うん」とだけ返事した。

 フィンはそのまま地べたに座り込むと、ばたりと後ろに倒れる。地面は湿っているし、生乾きのドレスは泥だらけの上にクシャクシャで、髪は散切りにされてボサボサだ。

 少し前ならアマンダにみっともないと叱られ、鞭で叩かれているところだ。

 

(でももうアマンダさんはいない)


 そう、これからは鞭に怯える必要はない。ちょっとミスをしたり行儀が悪いことをしても、反省室に入れられることも食事を抜かれることも、きっとない。

 苦しくて辛かった日々は終わり、これからはジューンやギルやイドやリット、それから両親と、楽しく幸せな日常を送るのだ。


「…おい、フィン。なんで泣いているんだ?」


 仰向けに寝転がってぽろぽろと涙を流すフィンを、ギルは心配そうな顔で覗き込む。ひっくひっくとしゃくり上げるばかりで答えられないフィンの隣に腰を下ろすと、彼は短くなった銀灰色の髪を、フィンが泣き止むまでずっと、ずっと撫でてくれていた。





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