第57話  薬屋の公爵令嬢

「フィン、モーギとシュビュレを持ってきておくれ!」

「はーい!」


 中庭の井戸で一つ一つ慎重に薬草を洗っていたフィンは、作業場から響くジューンの声に返事をする。急いでそれらを笊に並べると、風通しのいい日陰に置いてから、店の中に入った。

 土間の壁沿いにずらりと並んだ抽斗を開けて、頼まれた乾燥モーギとシュビュレを取り出すと、奥の作業場で薬研を使っているジューンの元へ持って行った。


「はいお待たせ! ジューンさん、モーギとシュビュレです!」

「あいよ。…ああ、やっぱりフィンが処理した薬草は状態がいいねぇ」


 フィンが自分の目でしっかり確認しながら摘み、丁寧に手間と時間をかけて乾燥した薬草を一枚手に取り、ジューンがしみじみとそう呟く。それを聞いたフィンは努力が認められたみたいでなんだか照れくさく、勝手にニマニマする顔を見られないよう、店へと向かった。

 店内は相変わらず狭くて殺風景だが、最近はカウンターの隅にハーブの花を飾っている。なんとなく寂しかった店内が、ほんのちょっぴり明るく感じられるようになった。


「ごめんください」

「はい! いらっしゃいませっ」


 店に出たついでにカウンターの拭き掃除をしていると、簡素な木製のドアが開き、フィンより少し年上に見える・・・、くすんだ金髪の少女が来店した。


「メアリー!」

「頑張ってるみたいね。フィン」


 彼女に会うのは久しぶりだった。ずっと一緒に育ったメアリーは、フィンがジューンの弟子になる少し前に孤児院を出、今はオクトールの邸でメイド見習いとして働いている。

 クラリスが夫と一緒に孤児院を訪れた際、必死に頼み込んで強引に雇ってもらったそうだ。

 メアリー曰く、


『クラリスさんったら約束したのに、なかなか会いに来てくれないんだもの。だからわたしが行くことにしたのよ』


 クラリスはまだ成人していないメアリーを雇っていいものかと迷っていたが、バルティスが苦笑しつつも許可したのだ。


「どうしたの⁈ 帰ってきてるなんて知らなかった!」

「旦那様が仕事でフォルトオーナに行くって言ったら、クラリ…奥様がここでお薬を買ってきてって」


 頼まれたから仕方なく、と、ボソボソと言い訳しながらフィンにメモを見せた。


「あ、これね。すぐ出すからちょっと待って」


 いつもの書付を引っぱり出して確認したフィンは、メアリーが持参した籠にそれらを積めた。

 間違いなく代金を受け取り釣銭を返したが、メアリーはどことなくそわそわしてなかなか帰ろうとしない。どうかしたのかと首を傾げると、メアリーは意を決したように勇ましい表情でフィンの名前を呼んだ。


「フィン!」

「はい⁈」

「あの…っ、えっと…」

「?」


 言い難そうに唇をムニムニとさせるメアリー。そして彼女が叫ぶようにフィンに告げたのは、驚きの告白だった。


「わたしオクトールのお邸で完璧なメイドになれるよう頑張るから、そしたらいつかフィンの専属のメイドとして雇いなさいよ!」

「え⁈」


 フィンの出生を知ったメアリーは、一生懸命に考えて、その方法を選んだのだという。


「いいわね。約束よ!」

「う、うん…?」


 言いたいことが言えてスッキリしたのか、メアリーはふんっと鼻息を荒くし、どすどすと店を出て行った。

 束の間ポカンと呆けていたフィンは、慌ててメアリーを追って店の外に飛び出すと、彼女の背中に「ありがとう!」と声を掛けた。


 嬉しい気持ちがどんどん胸の奥から溢れてくる。今の話を早くジューンに教えたくて店の奥に飛び込むと、続き間の向こうの開放したままの勝手口から、鮮やかな緑がフィンの目に留まった。

 誘われるように中庭へ出る。目の前に広がっているのは、手塩にかけたフィンの自慢の薬草園。ここに住み込むようになった途端、ジューンは薬草園の管理をフィンに全部任せた。

 通いのお手伝いと違って、住み込んでみると新たな発見も多い。夜にしか咲かない花や収穫できない薬草もあったり。フィンの弟子生活は充実している。

 満たされている。

 時折庭の隅に設置された転移魔法の装置を使ってゼオンとティアナが会いに来たり、ギルドのクエストついでだと言って、ギルとイドが寄っていったりする。

 孤児院の仲間たちも、まだちょっと蟠りが残っているけれど、サリア以外とは概ねいい関係だし、クラリスも夫であるバルティスと共に、愛娘のイーシャを見せに来てくれる。

 リットは……よくわからないけどたまにふらりと顔を出す。


(こんな風に穏やかな日々を過ごせるなんて、前は思わなかった)


 目を閉じると今でもありありと思い出せる。あの日フィンの髪を道連れに、一人で墜ちていったアマンダの顔を。

 彼女は最後の最後までフィンから目を離さず、深い青の瞳にフィンの姿を焼き付けて逝ってしまった。


(でも、あの時…)


 見間違いかもしれない。高揚した脳が見せた幻かもしれない。でもフィンは今でもそう思っているし、そうであってほしいと思っている。

 アマンダはあの時、笑っていた。

 標章に背を貫かれるその瞬間、彼女が望んだすべての終焉の時、アマンダはフィンに向かって手を伸ばし、これまで見たことのない優しい瞳で微笑んでいた。


「…ぁ」


 ザザァっと枝葉の騒ぐ音が聞こえた直後、薬草園の上を渡った風がフィンの横を駈け抜け、銀色の髪を搔き乱してゆく。 

 いくつかの季節を過ぎて、短く切られたフィンの髪は、漸く肩を超えるくらいの長さになり、それに伴って背も伸びた。最近ではジューンよりも高くなったため、高い棚に置いた物が取ってもらえると、彼女は喜んでいる。

 薬師にはなれないと一度は諦めたけれど、結局フィンはジューンに薬作りを習っている。すぐに結論を出す必要はないとフィンを説得したのは、ギルにとても良く似たオジサンで、ゼオンのお兄さんだと言う男の人。彼も顔の左半分から首にかけて、フィンと同じ…ううん、もっと濃い色の痣がある。

 そのオジサンは太陽のようににかっと笑うと、ギルと同じようにフィンの頭をガシガシと無遠慮に撫でながら、ちょっと意地悪そうな顔で言った。


『アマンダもお前くらいの時は死ぬほど勉強したんだ。その彼女に教育を受けたお前ができねーこたぁねぇさ』

 

 その言葉は他の何よりもフィンの背中を押した。

 どこまでできるかはわからない。でも今はやれるところまでやってみたい。だって彼女には、見ていてくれる人がたくさんいるのだから。






                             ― FIN ―





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