第41話  監視役の少年

 ゴリゴリと重い音が室内に響く。

 慣れた手つきで薬研で薬草をすり潰しているのは、ワンピースにエプロンをかけた姿のフィン。ここ最近は勉強やマナーの練習そっちのけで、朝から晩までこの元厨房の作業部屋にて薬作りをしている。

 こうなった切っ掛けはアマンダの言葉。『設備と材料を提供すれば、ポーションくらい作れるかもしれませんわ』というセリフを間に受けたジョルジュが、物は試しと手に入る限りの薬草を買い集め、フィンに薬を作れと命じたのだ。


「必要なものがあれば揃えてやる。効果の高い薬を作れたら、養女に出さずここで専任の薬師として雇ってやってもいいぞ」


 居丈高にそう言い放ったジョルジュに一旦は無理だと断ったが、とにかく作ってみろと聞く耳を持たないため、フィンは仕方なくやってみることにした。

 しかし薬作りのの字も知らないジョルジュが揃えた設備や材料は、足りないものや使えないものが多く、実際に作業に取り掛かれたのは命じられてから三日後のことだった。

 使われていなかった離れのキッチンを作業部屋として与えられ、ジューンの元へ通っていた頃に薬草園で育てたり森へ摘みに行ったりして手に入れていた薬草類は、乾燥した状態か瓶詰で手元に届けられた。


(あんまり状態が良くないな…)

 

 専用の木箱に入れられた薬草を見て、フィンの眉間にシワが寄る。

 まだ弟子入り前だったが、ジューンに薬草摘みのイロハを叩き込まれたフィンの目は確かなものだ。準備された乾燥モーギを手に、少女は落胆の溜息を吐いた。


「なんだよ。そのやる気のない態度」


 ご主人様に告げ口しちゃおうかな~と楽し気に話し掛けてきたのは、監視役としてつけられた黒髪の少年、リット。僅かに左脚を引き摺る彼は何をするでもなく、部屋の隅に置かれている椅子に腰掛け、ただただフィンのやることを眺めている。


「そんなんじゃないもん。こんなモーギじゃ良い薬が作れないなぁって思っただけだもん!」


 彼はフィンより三つ四つ年上らしいが、堅苦しい言葉遣いは苦手だからしなくていいと言う。しかし万が一にもそんな所を家庭教師のアマンダに見咎められたらまた鞭で打たれると思い、初めは怖くてタメ口なんてできなかった。

 けれど作業部屋に移動してからは令嬢としての教育も休止中で…というか、どうやら薬作りを邪魔されないようジョルジュが彼女を遠ざけているらしく、アマンダとは顔を合わせないため、今は素の話し方でリットに接している。


「ホントかよ~? って、まあお前の態度が悪かろうが好かろうが、ご主人様は薬ができりゃぁ文句ねーんだろうけど」

「それならもっといい材料を仕入れてほしいよ…」


 乾燥というより枯れているように見えるモーギを指先でちぎり、先に薬研ですり潰しておいたシュビュレやその他諸々と合わせて鍋に入れ、蒸留した水を加えてじっくりと煮込んでゆく。

 ジューンの手順を思い出しながら、少しでも良いものができるよう祈りを込めて作る。一回目より二回目、二回目より三回目、と、作るほどに品質は向上しているけれど、やはりジューンの作った薬にはまだまだ遠く及ばない。

 ジューンを思い出すと寂しさがぶり返してくる。けれど彼女との唯一の繫がりである薬作りをしていると一時その寂しさが薄らぐ上に、難しいと実感しながらも充実した気持ちにさせてくれるのだ。


「そんな作業のどこが楽しいんだかね~」

「ん? なんか言った?」


 鍋が焦げ付かないように丁寧にゆっくり掻き混ぜていると、つまらなそうに頭の後ろで手を組んでフィンを見ているリットが、しみじみとした口調でそう言った。


「楽しそうな顔してたっつーたの」

「楽しそう?」


 そんな顔してたかな? と無意識に頬を擦ると、リットはぶははっと笑い出した。


「ケケケ、今のすげぇ間抜け面~。おもしれーからもう一回やって」

「やだよ! やだったら、やめて!」


 鍋から離れられないのに、リットはフィンの頬を抓もうと手を伸ばしてくる。


「もう! リットの意地悪!」


 リットの手を防ごうとして、鍋を掻き混ぜていた杓子を振り回すと、ゴツッと衝撃が柄を伝わって感じられ、それと同時にリットの「痛っ!」という声が聞こえた。


「わ! ごめん!」

「いちぃ~…」

「…リット?」


 右肩の首の根元に当たったらしいが、大袈裟に痛がってしゃがみこむリットの様子に違和感を覚えたフィンは、彼の後ろに回り込んでその首筋を覗き込んだ。


「 え⁈ どうしたの、これ‼」


 思わず後ろ襟を引っ張ってしまい、リットがぐえっと変な声を出す。だがフィンはそれどころではない。なぜならリットの首筋から肩、見える限りだと背中にも、どす黒く腫れあがった殴打の痕がいくつもあり、その上を血が滲んだミミズ腫れが縦横無尽に走っている。

 あまりの痛々しさに襟を掴んだまま顔を顰めていると、リットは気まずげな表情でフィンを振り払った。


「勝手に見んじゃねーよ」

「でも! 酷い怪我だよ!」

「こんなんなんでもねー」

「なんでもないわけないでしょ! ちゃんともう一回見せて!」


 ブスくれて距離を取ろうとする彼にしがみ付き、フィンは強引に服を脱がそうとする。か弱い見掛けに反して…いや実際にか弱いのだが、この時のフィンは馬鹿力を発揮した。


「わかったわかった。だからそんなに引っ張んなよ」


 攻防戦の末に折れたのはリットで、彼は諦めたように嘆息すると、矢庭にシャツを脱ぎ捨てた。


「ほれ、これでいーんだろ?」

「っ!」


 裸になった背中をフィンに向ける。その瞬間ひゅっと息を呑む音が部屋の中に小さく響いた。


「なに、これ…」


 フィンが目にしたのは、まだ少年の域の細くしなやかなリットの背中。けれどそれは元の肌色を探すのが困難なほど痣で変色していた。

 治りかけらしい薄黄色の痣の上から、まだ新しいどす黒い痣が重なっている個所もあり、彼が日常的に暴力を受けていることがわかる。

 しかも痣以外にも切り傷や火傷の痕も多く、きちんと治療してもらえなかったのか、ところどころ木の根のような形に引き攣れて治癒してしまっていた。

 あまりの酷さに言葉を失っているフィンに、後ろを向いたままのリットが、居心地悪そうに声を掛けた。


「おい、そろそろいいか? もう満足しただろ」

「まだ着ちゃダメ!」


 シャツを着直そうと身じろいだリットを止め、フィンは作業台に走る。鍋を火からおろすと、抽斗から曲木製の容器を取り出してリットの元へ戻り、容器の中身を彼の背中に擦り付けた。


「うわ! イテっ、おま、何してんだよ⁈」


 背中に薬を塗られていることに気が付いたリットは、身を捩って慌てて逃げ出そうとしたが、フィンにがしっと肩を掴まれ逃亡を阻止された。

 しかしジョルジュが作らせている薬を勝手に使ったら命がないと恐怖するリットは、何とかフィンから距離を取ると、怒りのままに怒鳴った。


「いい加減にしろよ! 勝手に薬を使ってお前が叱られるのはいいけど、ここじゃあ無理やり塗りたくられたオレまで痛い目に遭うんだよ!」

「大丈夫なの! これはジョルジュ様に頼まれた物じゃないから!」

「へ?」


 嘘はついてない。それが証拠にジョルジュに作らされているのは、ギルドに卸していたものと同じ瓶に詰めた液体状の薬だが、今リットの傷に塗っているのは柔らかい軟膏タイプだ。


「これは薬を濾した後の残り滓を練ったものなの。効果は落ちるけど、ちゃんと効くから大丈夫!」


 ジューンに習った廃品活用法。普通の薬屋だと濾した後の滓は捨ててしまうらしいけど、ジューンはそれすらも余さず手荒れ用の薬として再利用していた。

 ヒビやあかぎれで血の滲んだフィンの手に、ジューンがこれと同じものを丁寧に塗ってくれた時のことを懐かしく思い出しながら、早く良くなりますようにと祈りを込めてリットの傷にやさしく伸ばしてゆく。

 すべての傷に薬を塗り終えたフィンは、おとなしくされるがままになっていたリットにもう服を着てもいいと声を掛けようと顔を上げると、肩越しにポカンと見下ろしている彼と目が合った。


「どうしたの?」


 長めの前髪の間から覗く、リットの琥珀色の瞳をきれいだなぁと見返しながら、こてんと首を傾げて訊ねると、彼はゆっくりと持ち上げた右手をフィンの頭目指して垂直に振り下ろした。


「こんのバッカモーン!」

「にゃっ! いったぁぁぁぁい!」


 手刀でべしッと額を叩かれたフィンは、悲鳴を上げて蹲った。





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