第40話 手懸かり(★)
クラリスの話が終わっても、すぐには誰も口を開かなかった。
ギルバートは思い出す。事件当時八歳だった彼は、夜中にも拘らず城中が大騒ぎとなり、普段はさばさばとしたヴォルターが、それまで見たこともない酷く険しい顔で配下たちに指示を飛ばしていたのを覚えている。
緊張した面持ちのハクセンに何が起きたのかと訊ね、叔父夫妻の邸に賊が侵入したことを知らされたのだ。
まだ一歳の従妹が勾引かされたと聞き、酷く憤った記憶がある。
そして嘆き悲しむ叔母に、何一つ声を掛けてやれない自分の無力さを痛感し、それまで以上に強くなりたいと願ったのも、ヴォルターの治世以上に平和な世の中にするのだと誓ったのも、あの日が切っ掛けだった。
「夫君はその話を…?」
「はい。結婚する前に聞きました」
バルティスは若かりし頃に婚約者を流行り病で亡くして以降、ずっと独身を貫いていたという。だが六年前にクラリスと出会い、彼は二度目の恋をした。
辺境の地オクトールの邸でメイドとして働き始めたクラリスに、バルティスは何度も求婚しその度に断られ続けていたが、
「お恥ずかしいことですが、その時は本当に一生に一度の願いのつもりだったんです。クラリスの優しさにつけ込んで、強引に結婚を了承させようとしたわけですが、それでも彼女は首を縦に振ってはくれませんでした」
ならば理由を教えてほしいと要求し、やっとクラリスの口からその忌まわしい過去を聞けたのだという。
「驚きました。そんなにも辛い過去を背負い、罪を感じて生きてきたのかと」
自分は罪人だから結婚はできないと涙ながらに告白したクラリスに、バルティスはその罪を共に背負うと誓い、漸く求婚を受け入れてもらえることができた。
「覚悟を決めた私は、大本となった女性を調べ始めました。ワンツ伯爵の不貞の真相を調べ、そして彼が嵌められたことを知りました」
夜会を主催した家の使用人の男が、女性に金をつかまされロドリゲスのグラスに薬を仕込んだ上、意識が混濁した彼をゲストルームに運び込み、衣服を脱がしてそれらしく装った。
「もしかしてクラ…奥方に賊の手引きをさせるために?」
「はい。”公爵家に関りを持つ身内がいる、格下の貴族”の中からワンツ伯爵を選び、計画的に嵌めたのです」
ロドリゲスにとって絶対に頼みを断れない相手。悪名高い侯爵の妻で、元は王太子妃の筆頭候補として名前が挙がるような、由緒あるウィンチェスター伯爵家の令嬢だった女性。
アマンダ・カーベリー。夫を亡くし息子を亡くした後、修道院に身を寄せたために家名は剥奪されたが、孤児院に赴任していた彼女は、つい最近還俗し、再び旧姓を名乗っているという。
「私は元の婚約者から相手の名前を聞いていたので知っていましたし、あの方は社交界でも有名でしたから、お顔も存じておりました。ですから修道女として孤児院へ視察に訪れた時はとても驚きましたし、あの方が赴任してくると聞かされた時は心の臓が止まるかと思いました」
アマンダを見た時の、恨みと恐怖がないまぜとなった感情を思い出したのか、クラリスは自身の手の甲に爪を立てる。しかしそれに気が付いたバルティスが、優しく包み込むようにその手を握り締めた。
「アマンダ様がお嬢様に気付いて赴任してこられるのかはわかりませんでしたが、私を知っている可能性はありました。なので院長先生にお嬢様のことをお願いし、お側を離れることにしたのです」
必ず戻ると約束して孤児院から離れたクラリスだが、行くあても所持金もない。平民とさほど変わらない余裕のない男爵家に生まれた強みで、とりあえず少しでも孤児院から離れた町で働きながら機会を待とうと乗合馬車に乗り込んだ。
だがその馬車が野盗に襲われるなど、想像もしていなかった。
「そして先ほど旦那様がお話しした通り、私はオクトールでメイドとして雇っていただき、結婚を申し込まれ、彼の妻になりました」
聞けば昨年には子宝にも恵まれたというが、出産後からクラリスの心に陰が差した。
「我が子を腕に抱いた瞬間から、私は強い罪悪感に苦しめられるようになったのです。こんなにも愛おしい存在を、私はアデルオルト公爵夫妻から奪ってしまったのだと」
「それは賊からフィ…リアを助けるためだったのだろう?」
「それでもっ…きっともっといい方法があったはずなんです! そもそも私が強い意志で賊の手引きなど断っていれば! 役人でも騎士でもいい、誰かに情報をお知らせすれば、お嬢様は温かく優しいご両親の元で、何の苦労もなく幸せに…っ」
「クラリス!」
気持ちが昂ったのか、途中から己を責め泣き出したクラリスを、バルティスは立ち上がりきつく抱きしめた。
「申し訳ございません。王妃様、ギルバート殿下。処罰を受ける覚悟はできております。このまま拘束されても文句はございません」
真っすぐに見据えてくるバルティスの双眸には嘘が無いように見え、ギルバートは構わないと許した。
「あなたたちの罰は後回しです。まず優先せねばならないのはフィリアを見つけ出すこと。クラリス、あなたはアマンダの行きそうな場所に心当たりはないかしら?」
「いえ…私はアマンダ様と直接話をしたことさえございません。ましてや行き先など…」
シェセリアーナの問いに、クラリスは悲しそうに首を横に振る。すると未だ妻の肩を抱いたままのバルティスが驚きの発言をした。
「そのことなのですが、実は私も独自に方々へ聞き込みをしておりましたところ、我が領へ商品を卸しにやってきた商隊の長が、有力な情報を持ってきてくれたのです」
それによると、オクトールの東側に隣接するベイクウィッド領へ寄った時、得意の客が言っていたのだが、ベイクウィッド領郊外にあるずっと無人だった古い館に最近よく馬車が止まっていて、領主ではない貴族らしき赤茶色の髪の男と黒髪の女が住んでいるようだと言う。
食料品や生活雑貨などの注文が多く、関連の店は大喜びだとか。
「調査書によると、確かアマンダは黒髪だったな」
「はい。しかもジョルジュ・ケーマスの髪色はその男と同じ色です」
ギルバートが背後に控えていたグイードに確認すると、両者の特徴が一致すると返答された。
「しかもここ最近になって意外なものを配達させるらしいのです。乾燥させたシュビュレやモーギ、瓶詰のココツなど…」
「モーギだと⁈」
未だ記憶に新しい、人使いの荒いぽっちゃり老婆の営む薬屋で、さんざん見聞きした薬草の名に、ギルバートはフィンがそこにいると直感的に確信した。
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